獣の森とネットの海
ゆるゆると書いてます。
変なところがあれば都度ストーリーに関わらない程度に直しております。
俺は暗く長い階段を下りていった。
一段、また一段と足を進めるたびに、肌を撫でる空気の質が変わっていくのを感じる。
1層の乾燥した岩の匂いは消え、代わりに立ち込めてきたのは、重く湿った土と、腐葉土が発酵したような青臭い森の匂いだった。
(……空気が、重いな)
最下段に降り立ち、顔を上げた瞬間、視界を埋め尽くしたのは無数の巨木だった。
光が届かない森。
ねじくれた枝を伸ばす不気味な樹木が密生し、薄暗い「森」を形成している。
頭上を覆う葉の隙間からは、魔素が発光しているのか、微かな燐光が霧のように漂っていた。
俺はシャドウインベントリから、スマートデバイスを取り出した。
画面を数回タップし、地図アプリを起動する。
(オートマッピング開始……。よし、記録を頼むぞ)
画面の端で、俺の歩みに合わせて白紙の地図が少しずつ塗り潰されていく。
攻略において、この「足跡」を残す作業は何よりも重要だ。
特に視界の悪い森のような階層では、方向感覚を失えば命取りになる。
◇
数歩、森の奥へと足を踏み入れてすぐに気づいた。
ここは1層とは比較にならないほど「戦いにくい」。
巨木の根が複雑に地面を這い、足場が不安定なだけでなく、密集した茂みが視界を極端に狭めている。
(足音が吸収される……。土と葉が柔らかい分、音は殺せるが、それは敵にとっても同じことだ)
サワ……と、微かに頭上の葉が揺れた。
俺は本能的に足を止め、腰の2本の短剣の柄に手をかけた。
『気配遮断』を意識的に高めるが、それ以上に、何者かが俺を「見定めている」ようなねっとりとした視線を感じる。
不意に、正面の茂みが揺れた。
現れたのは、1匹の小さな獣。
紗奈の連れているグレイと同種のベビーウルフだった。
(『アナライズ』)
種族:ベビーウルフ レベル:4
HP:26 / 26
MP:8 / 8
筋力:G(18)
耐久:G(16)
敏捷:F(78)
器用:G(24)
魔力:G(8)
運: G(12)
■スキル
嗅覚強化
■取得可能アイテム
極小魔石、ベビーウルフの爪、ベビーウルフの牙
(レベル4か。ステータスは1層のモンスターより上だが、今の俺の敵じゃない。……問題はスキルだな)
『嗅覚強化』
このスキルがある以上、姿を消す『透明化』の効果は半減するだろう。
視覚を誤魔化せても、この身体が発する微かな魔物の匂いまでは消せない。
「ガルル……ッ!」
ベビーウルフが鋭い唸り声を上げた瞬間、背後の茂みからも同様の気配が膨らんだ。
1匹 による挟み撃ち。
俺は『透明化』を使うのをやめ、2本の短剣を抜き放った。
「獣のエリアか。面白そうじゃねーか!」
正面の1匹 が弾かれたように飛びかかってくる。
俺は一歩も引かず、最小限の動きでその牙を回避した。
すれ違いざま、もう1匹 が死角から喉元を狙って跳躍してくる。
(……見える!)
俺は空中で身体を鋭く捻り、2本の短剣を回転させるように振り抜いた。
遠心力を乗せた刃が、 2匹のベビーウルフの胴体を同時に深く切り裂いた。
「キャンッ!?」
悲鳴を上げる暇もなかった。
着地と同時に、俺はそれぞれの首筋へトドメの一撃を突き立てる。
2匹の獣は痙攣することもなく、黒い煙となって消えていった。
足元には、極小魔石と、白い「ウルフの牙」が転がっている。
俺はそれらを素早く回収し、再び森の闇へと目を向けた。
◇
さらに奥へ進むと、森の空気が一段と冷え込んだ。
ガサッ、という大きな音と共に、1層のボスより大きな体躯を持つ狼が姿を現した。
(『アナライズ』)
種族:フォレストウルフ レベル:6
HP:36 / 36
MP:12 / 12
筋力:F(55)
耐久:G(32)
敏捷:E(108)
器用:G(32)
魔力:G(14)
運: G(20)
■スキル
嗅覚強化、気配感知、突進
■取得可能アイテム
小魔石(赤)、ウルフの爪、ウルフの牙
(『気配感知』まで持ってんのか。完全に隠密殺しだな)
フォレストウルフは、既に俺の位置を完全に特定しているようで、低く身を構えて威嚇している。
このレベル6という数値。 1層のボスより高いステータスに、俺の背中に緊張が走る。
「ワォォォォォンッ!!」
咆哮と共に、巨体が突進してくる。
速い!
俺は隣り合う巨木の幹を蹴り、跳び上がった。
股の下を通り過ぎる狼の背中。
だが、奴は即座に空中で身を翻し、着地と同時に再び牙を剥いて跳ねてきた。
(空中回避……!)
俺は背中の羽を強く羽ばたかせ、不格好ながらも一瞬だけ空中に留まり、その突進を紙一重でかわす。
そのまま空中で『ファイヤーボール』を放つ。
ドォォォォォンッ!
着弾の爆炎が狼の足を止め、視界を塞ぐ。
俺はその隙を逃さず、樹上の枝から枝へと高速で移動し、死角となる真上から急降下した。
2本の短剣を十字に交差させ、全体重を乗せた一撃を首筋に叩き込む。
「ギィィッ!!(落ちろッ!!)」
ザシュッ!
確かな手応え。
巨体は地面に激突し、数回脚をバタつかせる。
その隙を見逃さず、連撃を重ねる。
やがてフォレストウルフは霧散し、1粒の「小魔石(赤)」と「ウルフの皮」を残して霧散した。
◇
ふぅ……と一息つき、一度ここで住処へ戻ろうとした時、遠くから人の話し声が聞こえてきた。
俺は反射的に茂みの奥、大きな木の影に身を隠した。
「おい、マジかよ! この『ザクザクくん』、 2本連続でハズレだぜ!」
「ダンジョンの中でアイス食うなよ……。腹壊してもポーションはやらねーぞ」
現れたのは2人組の冒険者だ。
一人は人気アイス『ザクザクくん』を片手に、不満げに歩いている。
俺は岩陰からじっと彼らを観察し、頃合いを見て右手を伸ばした。
(よし……ちょっくら失敬して……)
(『盗む』)
音もなく、MPが消費される。
俺の手元には、数点のアイテムが出現した。
・手紙
クソ!もう一人からだ。
(『盗む』)
・冒険者セミナーのチラシ「1ヶ月でレベル 50!? 今なら入会金無料!」
(……セミナーのチラシ……これは詐欺だろ)
俺は心の中で毒づきながら、その場を後にした。
俺は木の陰で失敬した手紙を読む。
「愛するミカへ。普段はあまり言葉にしないけど、今日は手紙を書いてみました」
中身は彼女へ宛てた愛のメッセージだった。
結婚してくださいの文字を見た瞬間、俺はやってしまったと思った。
というかプロポーズは手紙じゃなく口で伝えろよ!!!
ふぅ、と息を吐きデバイスの画面を確認すると、2層のマップはおよそ3分の1ほどが埋まっていた。
(……今日はここまでだな)
俺は深く、重い森の奥を見据えながら、撤退を決断した。
無謀な挑戦は勇気ではない。ただの自殺行為だ。
入り口へ続く階段の前に立ち、俺は一度だけ後ろを振り返り森をみる。
他にはどんなモンスターがいるんだ?
次の攻略が楽しみになってきた。
◇
俺は、1層の仮の住処の岩陰に深く腰を下ろし、シャドウインベントリから取り出した極小魔石をポリポリと小気味よい音を立てて齧りながら、デバイスの光る画面に視線を落としていた。
記憶の中にある知識と、3年が経過した現在の状況。
その「すり合わせ」をすることが、今の俺には何よりも必要だった。
まずは素材やドロップアイテムのレートを確認してみる。
一部のレア素材に価格の変動は見られたが、極小魔石や一般的な牙、爪といった素材の買取相場には大きな変動はないようだ。
俺は有り余る時間を消費するように画面をスワイプしていく。
最新のダンジョン攻略記録更新のニュース、匿名掲示板での情報交換、そしてSNSであるCurrentに溢れる膨大な投稿。
3年という月日は、確かに世界の細部を書き換えていたが、人間の本質的な営みまでは変わっていないようだった。
俺は、動画配信アプリである『 Qtube 』のアイコンをタップした。
攻略の生配信やVlogが数え切れないほど投稿されている。
(……そうだ。ケンちゃんのチャンネル、見てみるか)
検索欄に『ケンちゃんねる』と入力する。
ずらりと並んだ動画のリスト。
その中に、見覚えのある背景のサムネイルを見つけた。
タイトルは――『初攻略! 池袋ダンジョンでまさかの怪奇現象!?』。
(お、あの日の動画か……)
俺は吸い寄せられるように、その動画をタップした。
「はい! ということで始まりました、ケンちゃんのケンちゃんねる! 今日は豊島区にあります、池袋ダンジョンに来ております!」
画面の中では、あの時の青年……ケンちゃんが、元気よくカメラに向かって喋っていた。
派手な効果音やテロップが画面を飾り、いかにも初心者配信者らしい、面白おかしく攻略を進める様子が映し出されていく。
しばらく進めると、あの「事件」のシーンがやってきた。
「さあ、お待ちかね! ダンジョンと言えばこれ、お弁当ターイム!」
俺の尻尾がピコッと跳ねる。
そう、これだ。
「……え? ちょっと待って。え、ないんだけど。……嘘でしょ?」
画面いっぱいに表示される大きな赤文字――『ケンちゃん、お弁当を忘れる痛恨のミス!』。
本気で困惑し、リュックの底まで何度も弄るケンちゃんの姿がアップになる。
(いや……違うんだよ。俺が美味しく頂こうとしたんだ……)
俺は誰に言い訳するでもなく、小声で呟いた。
動画の横で流れるリアルタイムコメントのアーカイブが目に入る。
:うっかりさんめwww
:おいおい、早弁したのを忘れただけだろ?
:さっきケンちゃんが違和感を感じだところで、幽霊にパクられた説あるな。
:池袋1層に幽霊なんかいねーよw
(……幽霊扱いかよ。失敬な。いや失敬したのは俺か)
当の本人は、画面の向こうで今にも泣き出しそうな顔をしていた。
ケンちゃん「いや、間違いなく入れたんだよね。俺、今日の唐揚げ弁当、本気で楽しみにしてたんだもん……」
肩を落として項垂れるケンちゃん。
それを見て、俺の胸の中にチクリとした罪悪感が走る。
あのお弁当、あんなに楽しみにしてたのか……。
しかも、そのお弁当も、俺は結局ゴブリンに台無しにされてしまったのだ。
(……悪いことをしちまったな)」
あの時は生存が最優先だったとはいえ、今の俺には、彼がどれほどの絶望を味わったかが痛いほど分かる。
なんせ俺も、ずっと米に飢えていたのだから。
(……よし。今度もし彼をダンジョンで見かけたら、何らかの形でお詫びをしよう)
画面の中でトボトボと歩き出すケンちゃんの顔を見つめながら、俺は心に誓った。
例えば、レアドロップのリングをこっそり彼のカバンに放り込んでおくとか……。
そんなことを考えながら、俺は次なる情報を求めて、さらに深くネットの海へと潜っていった。
ブックマーク、リアクション、評価をしていただけると幸いです。
よろしくお願いいたします。




