会談 2
ゆるゆると書いてます。
変なところがあれば都度ストーリーに関わらない程度に直しております。
「……お待たせしました。高梨朔……サクです。よろしくお願いします」
その言葉は、俺の唇から自然と零れ落ちた。
かつての自分の名――高梨朔。
自分からそう名乗ってしまったのは、正面に座る男性……冒険者協会会長、鷹栖直継さんが、あまりにも真っ直ぐに、そして包み込むような温かさで俺を見つめてくれたからだ。
師匠は静かに席を立ち上がると、一歩ずつ、重みのある足取りでこちらへ向かって歩いてきた。
迷いなど微塵もない。
その瞳は、逃げることも逸らすこともなく、ただ俺という存在だけを射抜くように捉えている。
そして、俺のすぐ目の前で足を止めた。
静まり返る室内。
空調の音すら消え失せたかのような錯覚に陥るほど、沈黙は深い。
呼吸をすることさえ躊躇われるほどの緊張感の中、師匠がゆっくりと口を開いた。
「……馬鹿弟子。師匠より先に死ぬ弟子が、一体どこにいるんだ……」
低く震えるその声と共に、俺は力強く抱きしめられた。
厚い胸板、鍛え上げられた身体の硬さ。
そして、微かに香る懐かしいような煙草と男の匂い。
「師匠……」
その温もりに触れた瞬間、俺の脳裏に、濁流のような勢いで鮮明な景色が流れ込んできた。
記憶の深淵、その奥底に眠っていた光景だ。
俺は、この人の広すぎる背中を追いかけ、何度もその首を獲ろうと挑み続けていた。
『――相手を惑わせろ。常に視界から逃げ続けろ。いいか、お前は手数の多さで逃げようとする悪癖がある』
大きすぎる存在感。
圧倒的な身体能力。
俺がどう動こうとも、どんなに巧妙に姿を晦まそうとも、師匠はまるですべてを見通しているかのように俺を捕らえて離さない。
『――一瞬でいい。お前の持ち味を活かせ。隙を突いて、急所を狙え!』
わかってるよ、師匠。
でも、あんたが強すぎるんだよ!
クソッ!
オラッ!!
激しい打撃音。
そして、視界が一瞬で回転し、高い天井が映し出される。
背中に走る鈍い痛み。
『――まだまだだな、坊主。俺が認めるまで、何度だって叩き込んでやるぞ』
ははは、上等だ。
やってやるよ、何度だって!
そこで、俺の意識は現在の会議室へと戻ってきた。
俺は、溢れそうになる涙を堪えて、小さく呟いた。
「……でかすぎるな、この背中は。相変わらずだ」
「……ガハハ!当たり前だ。まだまだ坊主には獲らせねえよ」
クシャクシャと、壊れ物を扱うような、けれど力強い手つきで頭を撫でられる。
その確かな手のひらの熱に、俺は自分が「高梨朔」であったことを、魂の芯で思い知らされた。
「……さあ、座ってくれ!坊主、積もる話をしようじゃないか」
師匠は満足そうに笑うと、自分の席へと戻った。
俺が椅子に腰を下ろすと、師匠の隣に座っていた秘書の女性が、冷静な、けれどどこか緊張を孕んだ声で口を開いた。
「……会長、失礼いたします。……サクさん。申し訳ありませんが、私のスキルで、あなたを覗かせていただきます」
当然の要求だ。
協会のトップを守る立場として、正体不明のモンスターを無警戒に受け入れるわけにはいかないだろう。
「……どうぞ、お好きに。隠し事なんてありませんから」
俺がそう答えると、彼女はジッと俺を射抜くように見つめてきた。
彼女の瞳に魔力が宿り、解析の光が走る。
最初は冷静だった彼女の細められた瞳が、解析が進むにつれて、段々と驚愕に見開かれていく。
その額には、一筋の冷や汗が流れていた。
「……あ、あ、ありがとう……ございます……」
彼女は震える声でそう言うと、隣に座る師匠に顔を寄せ、耳打ちをした。
その声は、恐怖に強張っているようだった。
「――ガハハッ!そうか。見たこともないくらいの化物だってよ、お前は」
豪快に笑い飛ばす師匠の言葉に、俺は少しだけ気恥ずかしくなり、頭を掻いた。
「……最高の配下……いえ、仲間たちがいますから。それに、俺には絶対に達成したい目標があるんです。だから、必死にやってるだけですよ」
「……ほう。坊主の仲間、か。私も是非、会ってみたいものだ。……今、ここに出せるか?」
「会長ッ!危険です!!この化物は……ここにいる全員が束になっても敵わないような、文字通りの規格外なんです!!」
秘書の春原さんが悲鳴に近い声を上げる。
失礼な。
……いや、解析の結果をそのまま信じるなら、確かにそう見えるのも無理はないのかもしれない。
今の俺は、それほどまでに力を得てしまっているのだから。
「……そこのお姉さんの言っている通りですよ、師匠。俺は、力を持った『化物』です」
会議室に、刺すような静寂が流れる。
俺は一呼吸置いて、視線を下げた。
「……俺は、ずっと考えていました。俺は一体何なんだって。高梨朔の記憶を持ち、高梨朔の外見をしただけの、醜いモンスターなんじゃないかって。……そう、俺はモンスターなんですよ。もう、ニンゲンじゃない」
気づかないうちに、膝の上で握りしめていた拳に力が入りすぎていた。
その時、師匠の野太い声が、澱んだ空気を一喝するように響いた。
「――それでもな、坊主。俺は、お前を信じるぞ。お前が高梨朔であっても、サクという名前の化物であっても、俺にとっては変わらぬ弟子だ」
その言葉と、そこに含まれた圧倒的な温度に、俺の昂ぶっていた感情が少しずつ落ち着きを取り戻していく。
「……俺だって。……好き好んで、こんな身体になりたかった訳じゃない」
俺は、絞り出すようにそう呟いた。
心の底に溜まっていた、ニンゲンへの未練、そして運命への呪詛。
その言葉を聞いて、綾香は顔を覆って泣き崩れ、俺の斜め向かいに座っていた黒髪の男性……黒崎玲司は、膝を握りしめたまま、小刻みに震え始めた。
「……朔……すまなかった。……本当に、すまなかった!!」
玲司の叫び。
絞り出すような、懺悔の声。
「……玲司……で、いいんだよな。謝るなよ。お前は悪くない。あの状況で、お前ができる最善を尽くしたんだ」
「……でも、俺と綾香だけが生き残って……リーダーを……お前を、あんな暗闇に置き去りにして……っ!」
「……言っただろ。俺には、目標があるって」
そう。
俺には、どうしても成し遂げなければならないことがある。
俺がこの身体を受け入れ、狂おしいほどの戦闘を積んできた理由は、ただ一つだ。
「……師匠。俺の目標は、あのクソドラゴンをぶっ飛ばすことです」
「……ルミナスドラゴン……か」
玲司が、苦渋に満ちた表情でその名を口にする。
「……他に誰がいる。そうだよ。俺を喰らって、俺のすべてを奪っていった……アイツだよ」
言葉を失うニンゲンたち。
思い出しただけで、五臓六腑が煮えくり返るような、止めどない怒りが突き上げてくる。
俺の意思とは無関係に、身体からは不気味な黒い瘴気が溢れ出し、部屋の温度が急激に下がっていくのを感じた。
「……サク!……サク、落ち着いて!」
隣に座っていた紗奈の、切実な声で我に返る。
俺は荒い息を整え、ゆっくりと視線を上げた。
そこで、脳内の霧が晴れるように、すべての因縁が繋がった。
「……思い出した。……思い出したよ」
あの日、あの時、何が起きたか。
誰と笑いあい、誰と過ごしたか。
リーダーの相馬さんが、どうやって果てていったか。
すべてが、鮮やかな色を帯びてクリアになった。
「……玲司。意識を失うほどのダメージを受けた綾香を連れて、必死に逃げてくれてありがとう。……お前は、あの日逃げたんじゃない。俺の守りたかったものを、守り抜いてくれたんだ。俺の最後の望みを、お前が叶えてくれたんだよ」
「……朔……っ!」
「……だけどッ!!俺は、お前を見殺しにしてしまったじゃないか!!仲間を捨てて、俺だけが――!!」
玲司はテーブルを叩き、子供のように泣き叫んだ。
「……玲司。あんな化物に、誰が敵うって言うんだ。……師匠だって、世界最強の勇者だって、今のニンゲンのままじゃアイツには勝てない。……それは、俺が一番よく分かってる。喰われたんだぜ?」
「…………」
「……俺は今、何だ?この姿を見てくれよ。俺はモンスターだ。化物なんだよ。だからこそ、あいつに勝てる。ニンゲンの理を超えた強さを手に入れれば、あいつを屠れる。……俺だけじゃない。リーダーだって、あんな無惨にやられたんだ。俺が、その仇を討つ」
誰も、口を挟むことはできなかった。
俺は、驚愕に凍りついている秘書の春原さんに向き直った。
「……お姉さん、解析したから分かってるよね?俺は今、レベル75だ。けれど、ここで止まるつもりはない。あいつを殺すまで、俺は成長し続ける」
俺は、真っ直ぐに彼女の目を見据えた。
「……俺の目標は、全部で3つだ。……あのドラゴンをぶっ飛ばすこと。……俺の仲間たちを、世界で一番幸せにすること。……そして、この世界のみんなを、笑顔にすることだよ」
ふっと肩の力を抜いて、俺は微笑んだ。
「……俺は、紗奈がいてくれたからそう思えた。……もう一度、笑いたいと思った。笑ってほしいと思ったんだ。綾香も、舞ちゃんもそう。師匠も!……そこにいる泣きべそかいている玲司だってそうだ。みんなを、笑わせたい」
「……俺の大切な人を泣かせた奴を、この世から消し去る。……いい目標だろ?ニンゲンの中には、俺という存在を危険視する者もいるだろう。当然だよ。お姉さんのように、恐怖を感じるのが普通の反応だ」
春原は、いたたまれなさそうに視線を落とした。
「……誰かが言っていた。ニンゲンが攻撃するのは当たり前、モンスターが反撃するのも当たり前。……俺だって、殺意を持って攻撃されたら、迷わず対処する。それは、ここで明確に言っておくよ。……俺だって、もう二度と死にたくはないからね」
「……でも、俺はこれまで、一人のニンゲンも殺していないし、これからもそのつもりはない。だから配信で、バカやって笑わせてるんだ。俺の仲間たちだって、ニンゲンの世界を知りたい、外の景色を見てみたいって願ってる。……それを、叶えてやりたいんだ」
俺は、切実に、魂からの願いを込めて言葉を紡いだ。
「――わ、私はっ!!」
不意に、紗奈が立ち上がった。
「……私は、サクに……笑っていてほしいです。幸せになってほしいんです!……私には何もできないけれど……でも、精一杯、彼の隣でサポートを続けたいんです!!」
「……私もです。会長……直継さん。お願いします。サクを、私たちと同じように認めてあげてください」
「……私もだよ、直継さん。私が全力で支援するわ。だから、お願い」
水瀬姉妹も、力強い言葉を並べてくれた。
そして。
「……朔。……遅すぎたかもしれないけれど、俺も手伝わせてくれ。俺にできることなら何でもする。……会長、お願いします!!」
玲司が、椅子から滑り落ちるようにして床に膝をつき、深く頭を下げた。
それを見た門脇さんと金澤さんが、頷き合いながら口を開く。
「……『レガリア』も、高梨朔の全面的な支援を約束します。会長、ご決断を」
部屋にいる全員の視線が、師匠へと集まった。
師匠は、天井を仰いで一つ、深く重い溜息を吐いた後、不敵な笑みを浮かべて俺を見た。
「……わかった。……いや、最初からわかっていたよ。……馬鹿弟子。その代わり、あのクソドラゴンは必ずお前が仕留めてこい。……お前たちが、このダンジョンの内外で自由に活動できるよう、私が責任を持って協会を、そして国を動かしてやる。……それと」
師匠が言葉を継ぐ。
「……お前の仲間とやらを、呼べ」
俺は「はい」と短く答え、精神を集中させた。
自身の影から、彼らを呼び出す。
一歩前に踏み出すように、深淵から彼らが現れた。
グリム、ゴウキ、ノア子。
そしてグリムの背後には、威風堂々とした三英傑とカースサモナーたちが。
ノア子の傍らには、可憐な三少女たちが控える。
「……師匠。俺の自慢の配下であり、大切な仲間たちです」
師匠はゆっくりと立ち上がると、俺の仲間たちに向き直った。
そして、日本冒険者協会のトップであるその身体を、深々と折り曲げた。
「……どうか。……どうか、この可愛い馬鹿弟子を……サクを、頼む」
その姿に、会議室は再び静まり返った。
協会の最高責任者が、モンスターに対して頭を下げる。
その歴史的な光景を、いや、師匠が俺のために頭を下げてくれた姿を、俺は目に焼き付けた。
「――会長とやら。任されたぞ。……主の命、このグリムが必ず守り抜こう。安心して見守っているがいい」
「……おう。大将を守るのが、俺の仕事だからな。任せろ」
「……サクは、私に外の世界の美味しいお菓子を食べさせてくれるって約束したの。だから、私もサクを守るわ」
仲間たちが、それぞれの言葉で師匠に応える。
「……ありがとう。……私は、お前たちのこれからの活動を、全力で支援することをここに誓おう」
「――ありがとうございます!!」
俺は、精一杯の感謝を込めて、深く頭を下げた。
始まるんだ。
ここから、新しい歴史が始まるんだ。
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