会談 1
ゆるゆると書いてます。
変なところがあれば都度ストーリーに関わらない程度に直しております。
池袋ダンジョンの入り口には、今日という日を象徴するように、一枚の貼り紙が掲げられていた。
『緊急メンテナンスのため、少々お待ちください』
CurrentをはじめとするSNSでも、冒険者協会の公式アカウントから大々的にメンテナンスのアナウンスが出されていた。
そのため、普段なら冒険者で賑わうはずの広場には、人っ子一人いない。
静まり返ったその空間には、協会から派遣された数名の警備員が、鋭い視線を周囲に走らせながら立っていた。
「……すみません。本日の会談に呼ばれました、松田紗奈です」
私は震える声をなんとか絞り出し、入り口を固める警備員に声をかけた。
警備員は私の顔を一瞥すると、手元の無線機で何事かを確認し始める。
「……はい。……はい、確認取れました。ありがとうございます。松田紗奈さんですね、中へお入りください」
「……あ、ありがとうございます」
許可が出て、私は重い足取りで中へと進んだ。
緊張が、止まらない。
心臓の音が耳元まで届くほどに大きく鳴り響いている。
私は、ただのテイマーだ。
本来なら、こんな場所に来ることすら許されないような存在。
けれど、私にはサクを支えるという大切な役割がある。
私はドキドキと波打つ胸を抑えながら受付へと向かい、そこにいた職員さんに話しかけた。
「……松田です。本日、会談に参加するために参りました。私は、どうしたらいいでしょうか?」
「松田様ですね、お待ちしておりました。ただいま、担当の職員と護衛の者がダンジョンへ向かっておりますので、松田様はひとまず、あちらでお待ちください」
促されるままに後をついていくと、ある扉の前で職員さんが足を止めた。
待機室かな。
本格的な話し合いが始まる前に、お茶でも飲んで少し心を落ち着かせたい。
そう願っていたけれど、現実はそんなに甘くはなかった。
コンコン。
職員さんが扉をノックした。
「……松田様がお見えです」
「……どうぞ」
中から聞こえてきたのは、底知れない威圧感を孕んだ、けれど不思議と温かみのある低い声だった。
えっ……もう始まっているの?
「では、こちらでお待ちください。失礼いたします」
扉が開かれ、私は背中を押されるように中へと足を踏み入れた。
部屋の中を覗き込むと、正面の長いテーブルには、スーツをビシッと着こなした、体格の良い40代くらいの男性と、その傍らに控える若い女性の姿があった。
そして、別の席には二人の男性が座っている。
一人は短髪の、鋭い眼光を放つ男性。
もう一人は落ち着いた雰囲気を纏った黒髪の男性。
スーツを着ていても隠しきれない、鍛え上げられたその体躯。
一目で分かった。
彼らは、間違いなくこの国でもトップクラスの冒険者だ。
「……っ、し、失礼します……」
部屋全体を包み込むような重圧に、私の緊張は一気に最高レベルを突き抜けた。
足がすくみ、呼吸をするのも忘れてしまいそうになる。
「ははは。そう緊張しないでくれ。私たちは君を責めるために呼んだわけじゃないんだ」
正面に座る男性が、柔和な笑みを浮かべて言った。
けれど、そう言われても無理に決まっている。
この人が誰なのか、私だって知っているのだから。
「……申し遅れたね。私は、冒険者協会で会長を務めている、鷹栖直継だ。よろしく、松田紗奈さん」
この人が……。
日本冒険者界の頂点に立つ、伝説の元冒険者。
見た目は40代ほどにしか見えないけれど、その瞳には幾千もの戦場を潜り抜けてきた、底知れない深みがあった。
「よ、よろしくお願いします。松田紗奈です」
「……私の隣にいるのは、秘書の春原だ」
「春原です。本日はよろしくお願いいたします」
「……そして、こちらの二人は、国内最強パーティの一つ『レガリア』に所属する金澤と黒崎だ」
その名を聞いて、私はハッと目を見開いた。
黒崎。
黒崎玲司。
サク――高梨朔と同じパーティ『フロントライン』に所属していたという、あの人だ。
「……どうも、金澤です。よろしく」
「……黒崎です」
黒崎さんは、どこか複雑な、それでいて切実な視線を私に向けた。
「……あの坊主はどうだい。元気でやっているかな?面白い奴だろう」
鷹栖会長が、まるで自分の息子自慢をするようなトーンで聞いてきた。
サクのことだ。
「……サクのこと、ですか?そうですね……。とても面白くて、驚かされることばかりですが……何より、とても優しくて、温かい人です」
「『人』ね……」
私の言葉に、会長は満足そうに目を細めた。
「……そうだね。あいつは本当に馬鹿だけれど、誰よりも真っ直ぐで、自分を犠牲にしても誰かのために動ける、そういう奴なんだよ」
会長が語るサクへの言葉には、深い慈しみと、そして深い後悔が入り混じっているように見えた。
その目は、まるでサクが笑っている時のような、優しくて温かい光を宿している。
「……あいつは」
不意に、沈黙を守っていた黒崎さんが口を開いた。
その声は、微かに震えているようにも聞こえた。
「……あいつは、本当に記憶がないんですか?俺たちのことを、何も……?」
「……はい。ただ、完全に何もかも忘れてしまったわけではないようです。朧げな感覚としての記憶は残っているようですし、一般常識や冒険者としての知識は覚えているようです。……ただ、自分自身のことや、かつての仲間との思い出といった『個人的な記憶』だけが、すっぽりと抜け落ちてしまっているようで……」
黒崎さんは、ただ一言、「……そうですか……」と低く呟いた。
その短い言葉に、彼が抱えてきたであろう何年もの重みが詰まっている気がした。
「……高梨くんが、ねぇ……」
金澤さんが、苦い薬を飲み込んだような顔をして天井を見上げた。
「……黒崎、そんな顔をするな。今日は再会の日だろう」
「……分かっていますよ。でも……」
その時。
部屋の外から、静かな、けれど確かな足音が近づいてきた。
コンコン。
「……失礼いたします。到着いたしました」
その声に、部屋の中の空気が一気に張り詰めた。
「……どうぞ。入ってきなさい」
鷹栖会長の、凛とした声が響く。
その声に導かれるようにして、扉がゆっくりと開かれた。
◇
池袋ダンジョン――1層エントランス。
いつもなら初心者冒険者がいるはずのこの場所が、今は気味が悪いほどに静まり返っていた。
俺は約束の時間の少し前にこの場所へ到着し、グリムやゴウキ、ノア子たちを影の中に潜ませ、一人でその時を待っていた。
数分後。
静寂を破るように、エントランスの向こうから3人の女性が現れた。
「……朔ちゃん!!迎えに来たよぉ!!」
聞き覚えのある、あの声。
舞香さんが、まるで数年ぶりに帰宅した夫を出迎える妻のようなテンションで、一直線にこちらへと駆け出してきた。
そして、当然のように両手を広げて、全力で抱きついてくる。
「……っ、ぶほっ!?」
あぁ、もう。
受け止めるしかないじゃないか。
俺は、弾丸のような勢いで突っ込んできた舞香さんの華奢な体躯を、優しく、けれどしっかりと受け止めた。
その後ろには、明らかに機嫌の悪そうな顔をした綾香と、それを見てクスクスと笑っている、見慣れない女性が一人。
「……ふふっ、久しぶりに見たよ、舞香さんのその浮かれっぷり。……高梨くん、おかえりなさい」
その女性は、俺のことを知っているようだった。
「……あ、ごめんごめん。記憶がないんだったわね。私は『レガリア』の門脇芽依。……いつか、思い出してくれたら嬉しいな」
「……朔、芽依さんはね、昔から姉さんの暴走からあんたを守ってくれてた、数少ない味方なんだから。ちゃんと挨拶して」
「……あ、あぁ。……その節は、色々とありがとうございました……?」
なんとか言葉を返していると、綾香がツカツカと近づいてきて、俺にべったりとくっついていた舞香さんを強引に引き剥がした。
「……いつまでやってんのよ、姉さんは!!今は仕事中でしょう!!」
「……あぁん、もう。綾ちゃんのケチ。……ていうか朔ちゃん、また一段と雰囲気が変わったね。進化したの?」
「……確かに。その衣装と言い、纏っている気配と言い……顔も……」
3人の視線が、今の俺の姿に注がれる。
俺は頭の横にかけていた『ナイトメアジョーカー』の仮面を、スッと顔に戻してみせた。
「……種族、ナイトメアジョーカーになりました。どう?似合ってるかな、カッコいいだろ?」
俺は少しおどけたように、芝居がかった動作でポーズを決めてみせた。
「「……カッコいい!!」」
水瀬姉妹の声が、見事に重なった。
「……はぁ。本当に、分かりやすい姉妹だねぇ……」
門脇さんが呆れたように溜息を吐く。
いや、俺だって、別にこんな反応を期待しておどけたわけじゃないんだ。
「……ちょっと緊張をほぐそうとしただけなんだけど。……それより、そろそろ向かわなくていいのか?時間は大丈夫なの?」
俺が不安になって確認すると、門脇さんはハッとしたように時計を見た。
「……あ、そうだったね。本当は入念にボディチェックとかしなきゃいけないんだけど……相手は、高梨くんだもの。私たちはあんたを信じてる。……ほら、舞香さん、綾ちゃん、行くよ!」
門脇さんが頼もしくそう言ってくれて、抵抗する水瀬姉妹を両手で引っ張っていく。
「……芽依さん!私はひっぱらなくても――!」
「……芽依、引っ張らないでよ!朔ちゃんをちゃんと捕まえておかないと、どこかへ逃げちゃうかもしれないじゃない!……朔ちゃん、私の手、つないで行こ?」
……うん、舞香さん。
そのまま門脇さんに引っ張られていてください。
そんな騒がしいやり取りをしながら、俺たちはエントランスの長い登り階段へと差し掛かった。
「……高梨くん。心の準備はいい?これは、スタンピードのような有事を除けば、ダンジョンの歴史上初めて、意志を持ったモンスターが公式に外の世界へと出る瞬間よ」
門脇さんの言葉に、俺の背筋がピンと伸びた。
「……よし。大丈夫です。……お願いします!」
俺は、前を行く3人の背中を追って、一段ずつ階段を登り始めた。
階段の終わり。
視界に飛び込んできたのは、見慣れた洞窟の岩肌ではなく、人工的な壁と、天井で等間隔に光る蛍光灯の無機質な輝きだった。
そして、大きな窓の向こうに広がる、青い空とビル群。
……出た。
俺は、今。
……ダンジョンの、外に出たんだ。
『……みんな、見えているか?これが、外の世界だぞ』
俺は、自分の影の中に潜むグリムやゴウキ、そしてノア子たちに届くように、心の中で語りかけた。
影を通して、彼らの驚きと興奮が伝わってくる。
「……この景色を見ても、まだ何も思い出さないかもしれないけれど。……高梨くんにとっては、本当に数年ぶりの日本の景色ね」
「……朔ちゃん、おかえりなさい」
「……朔、おかえり」
3人が、振り返って温かい笑顔を向けてくれる。
俺は、胸が熱くなるのを必死に抑えて、一歩、また一歩と協会の廊下を進んだ。
受付の前を通る時、そこに見覚えのある顔があった。
「……あれ、鈴花ちゃん」
先日、1層で会ったあの職員さんだ。
「……高梨さん。……いえ、サクさん。……今日の会談、頑張ってください。ずっと、応援しています」
彼女は、真っ直ぐな瞳でエールを送ってくれた。
「……ありがとう。……俺のこと、知っていてくれたんだね」
「……はい。私……昔から、ずっと『凶星』さんの大ファンだったんです」
やっぱり、そうだったんだ。
かつての自分が、誰かの記憶の中で今も生きている。
その事実が、今の俺にどれほど大きな勇気を与えてくれるか。
「……よし。鈴花ちゃんのおかげで、気合が入ったよ。行ってくるね!」
俺は彼女に大きく手を振り、廊下の奥へと進んだ。
「……もう、またそうやってすぐに女の子をたぶらかすんだから……」
綾香が、膨れっ面で俺の袖を引っ張る。
「仕方ないじゃないか、ファンだなんて言ってもらえたんだから!嬉しいに決まってるだろ!」
「……どうだか!ほら、もうすぐ会議室なんだから、シャキッとして!」
俺は綾香にぐいぐいと手を引かれ、そのまま廊下の突き当たりにある一室の前で止まった。
ここだ。
運命が、再び動き出す場所。
「……高梨くん。行くよ」
門脇さんが、居住まいを正して扉をノックした。
コンコン。
「……失礼いたします。到着いたしました」
「……どうぞ。入ってきなさい」
中から聞こえてきた、重厚な声。
その声に導かれるようにして、ついに、重い扉が開かれた。
俺は、一歩を踏み出す。
そこには、不安そうな表情で俺を待ってくれていた紗奈の姿、そして複数のニンゲン。
俺は仮面を指で軽く上げ、彼らの顔を一人一人、静かに見つめた。
「……お待たせしました。高梨朔……サクです。よろしくお願いします」
静まり返った部屋の中に、俺の第一声が、凛として響き渡った。
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