1層での成長
ゆるゆると書いてます。
変なところがあれば都度ストーリーに関わらない程度に直しております。
俺は、少しひらけたエリアの岩場に腰を下ろし、大切に抱えていた「鮭のおにぎり」を口に運んだ。
ひんやりと冷えた米の感触。噛み締めるたびに、鮭の塩気と海苔の香りが鼻を抜けていく。
一口、また一口と咀嚼するたびに、視界がじわりと熱くなった。
(……この身体になっても、俺の魂は日本人のままなんだな)
思わず鼻を啜る。
感情に呼応するように、背後の細長い尻尾がピコピコと小さく揺れた。
前世では当たり前のように食べていたコンビニのおにぎりが、今の俺にとってはどんな高級食材よりも心に染みる。
入口付近にある岩場の「仮の住処」から、このエリアまではトテトテと歩いて1時間半ほど。
道中のモンスターを間引きながら進んできたが、そろそろこの1層のエリアボスが姿を現してもおかしくない距離だ。
(現時点で、俺のレベルは5 ……池袋ダンジョンの推奨レベルは、確か……)
俺は、頭の片隅にある冒険者協会の知識を引っ張り出す。
基本的には「階層×基準レベル2~5=推奨レベル」というのが、冒険者たちが攻略前に必ず確認する数値の指標だ。
たとえ5層しかない小規模なダンジョンであっても、1層あたりの基準レベルが5なら、最終層の推奨レベルは25にも跳ね上がる。
この確認を怠れば、大怪我では済まない最悪の結果を招くことになるのだ。
(次に紗奈が来た時に、このダンジョンの正確な基準値を確認しなきゃな。仮に池袋の基準が5だとしても、1層の推奨レベルは5 。今の俺なら、数字の上では適正、あるいは少し上回っているはずだ)
どちらにしても、周回してドロップアイテムを稼がなければ、紗奈との物々交換は成立しない。
デバイスを手に入れるためには、相当な額の魔石や素材を積まなければならないのだから。
(……足のつかない盗品を流すのは……いや、いかんいかん。それは紗奈を犯罪に巻き込むことになる)
ふと頭をよぎった不謹慎な考えを、首を振って打ち消す。
俺を信じてくれた彼女を裏切るような真似はしたくない。
最後の一口を名残惜しそうに口に放り込み、空になった包みを見つめる。
残りの「明太子おにぎり」は、今日の攻略が終わった後の自分へのご褒美にするつもりだ。
「ギィ(よし……やるか!)」
俺は小さく気合を入れると、尻尾の先端をピンと立てて立ち上がった。
◇
モンスターたちは、倒されると黒い霧となって霧散し、一定の時間が経てばまたどこからともなくリポップする。
俺は、冒険者の姿が少なくなる時間帯を狙って、仮の住処からボスフロアの手前までの区間を何度も、何度も周回し続けた。
たまに新人と思われるソロ冒険者やグループと遭遇することもあったが、その時は『透明化』と『気配遮断』を併用し、彼らの背後を通り抜けざまに『盗む』を繰り出してやり過ごした。
やはりレベル 5 で覚えた『気配遮断』の効果は絶大だった。
新人冒険者たちの探知系スキルや、コボルトの嗅覚さえ警戒していれば、この1層は俺にとって最高に効率の良い狩場へと変貌していた。
(だが、この先に進むなら熱源探知や魔力探知、より鋭い嗅覚強化を持つ魔物や冒険者が増えるはずだ。今のうちに、成長しておかないとな)
俺は、先々の戦いでも通用するだけの練度を求めて、目に入るモンスターを見境なく狩り続けた。
そして、紗奈が再びやってくると約束した日の前日。
俺のシャドウインベントリの中には、驚くほどの収穫が収められていた。
大量の魔石、ゴブリンの爪、コボルトの牙や皮。そして運良く手に入れた、レアドロップと思われるアクセサリーの類まで。
戦いの中で、あの『錆びた短剣』はとうとう寿命を迎え、音を立てて砕け散ってしまった。
だが、今の俺には武器がなくても戦える術がある。
実際に使ってみて分かったことだが、刃こぼれの酷い安物の短剣よりも、インプの鋭利な「爪」の方が、この身体と敏捷性には合っていた。
もちろん、短剣を手に入れられるなら今後も使いたいとは思う。
前世の俺は、この「短剣」という武器を好んで使っていたのだろう。
手に取れば、どう動いて、どう相手の急所を抉ればいいのかが、まるで本能のように理解できたからだ。
(武器を持つインプなんて、冒険者から見れば異様だろうな。だが、俺はただのインプじゃない)
人間の意識と魂に染み付いた戦闘経験。
そして、モンスターとしての成長速度。
その相乗効果によって、俺のレベルは3日間の強行軍で8まで跳ね上がっていた。
名前:サク 種族:インプ レベル:8
HP:47/47
MP:41/41
筋力:G (20)
耐久:G (17)
敏捷: E (148)
器用:F (53)
魔力:F (78)
運 :F (71)
■スキル
透明化、盗む、気配遮断、ファイヤーボール、強奪
「ギィ(……『強奪』、これも便利だな)」
レベル8で習得したスキル『強奪』は、俺の稼ぎの効率を劇的に向上させた。
これは、相手にダメージを与えながら、同時にアイテムを掠め取るという、戦闘と略奪を一体化させたシーフ系の上位互換スキルだ。
レベル5からここまで、俺が屠った魔物の数は、シャドウインベントリのアイテムの数を数えても、100体を超えているはずだ。
1層の一般モンスターであれば、俺の「暗殺スタイル」の敵ではなかった。
とはいえ、インプの耐久値の基礎成長率は、相変わらず「G」のままだ。
一撃でもまともに喰らえば致命傷になりかねないプニプニの身体。
だからこそ、俺の基本戦術は徹底している。
初撃の奇襲で討伐、もしくは深い傷を与えてから即座に距離を取り、相手が怯んでいる隙に『ファイヤーボール』でトドメを刺す。
この「安全策」こそが、今の俺が生き残るための正解だった。
俺は、手に入れた魔石をなるべく食べずに貯め込んだ。
腹は減るが、そこは冒険者から『失敬』したものや最低限の魔石だけでグッと我慢した。
これは、俺という異質な存在を信じてくれた紗奈への、俺なりの誠意だった。
正直に言えば、彼女のことを100パーセント信用しているわけではない。
裏切られるリスク、売られるリスク……そんなものは常に頭の片隅にある。
だが、俺には彼女に縋る以外の選択肢がないのだ。
人間の意識を保ったまま、モンスターとして戦場に居続ける。
それは想像以上に精神を削る作業だった。
普通の魔物なら、ダンジョンにいることが「日常」であり、同族と殺し合うことも「当たり前」だ。
だが、俺は違う。
俺は攻略が終われば家に帰り、暖かい布団で眠る生活を知っている。
その記憶があるからこそ、俺は孤独な夜が怖かったし、一瞬の油断で死ぬことに怯え続けていた。
だからこそ、この「あまり睡眠を必要としない身体」に転生したことだけは、神様に感謝していた。
眠らなくていい時間は、そのまま「生き残るための準備」に充てられる。
(紗奈が来たら、まずはこのダンジョンの現状を詳しく聞こう。あとは、地上の情勢もな)
紗奈に渡すためのアイテムは、十分すぎるほど貯まった。
だが、俺の欲は止まらない。
どうせなら、1層 のボスのドロップアイテムも手土産に加えたい。
レベル8という、1層では充分過ぎるステータスに達した今なら、安全に挑戦できるはずだ。
俺は、シャドウインベントリから盗んだもちもちパンを取り出した。
これを食べ終えたら、いよいよこの先にある大きな扉……ボスフロアへと足を踏み入れる。
(待ってろよ、エリアボス……。俺の力の一部になってもらうからな)
もぐもぐとパンを噛み締めながら、俺は闇の奥に鎮座する扉を見つめていた。
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