衝突
ゆるゆると書いてます。
変なところがあれば都度ストーリーに関わらない程度に直しております。
池袋ダンジョン、1層、エントランス。
約束の時間よりも少し早く到着してしまった私は、湿り気を帯びた洞窟の空気を肺いっぱいに吸い込み、どうにかして震える心臓を鎮めようとしていた。
「……サク、もう来てるかな」
いつもの待ち合わせ場所、あの澄んだ水が湧き出す岩場の方へ、私は重い足取りで歩き出す。
今、私はどんな顔をしているんだろう。
鏡を見なくても分かる。
きっと、昨日までの検索履歴と、自分の中に芽生えた醜い劣等感に押し潰されそうな、情けない顔をしているに違いない。
「聖女」と謳われる水瀬綾香への嫉妬。
どこかへ逃げ出したくなるようなネガティブな気持ちが私を支配していた。
トボトボと歩きながら、私はふと違和感に足を止めた。
「……モンスターが、いない?」
エントランスから岩場までの道のりは、本来ならいくつかのスライムやゴブリンと遭遇してもおかしくない距離だ。
けれど、周囲には静寂だけが満ちている。
誰かが、根こそぎ「掃除」したような不自然な静けさ。
その正体を察するよりも早く、前方から肌を刺すような、それでいて懐かしい強烈なオーラが押し寄せてきた。
そして、岩場の陰からその姿が現れた。
オーラの源は、2体のモンスター。
「……サク?」
私は、思わず声を漏らしていた。
そこにいたのは、かつての面影を残しつつも、劇的な変貌を遂げた「彼」だった。
漆黒の翼を背負う、完全に人型のシルエット。
黒いコートを翻し、金色の瞳をニコッと細めるその立ち姿。
そしてその後ろには、紫色の炎を瞳に宿し、半透明で黒い靄を纏った骸骨の魔導師が、静かに控えている。
「サナ!!」
私の名前を呼ぶ、聞き慣れた、けれど少しだけ深みを増したサクの声。
彼は私を見つけるなり、地面を蹴ってこちらへと駆け寄ってきた。
もし初対面なら、その圧倒的な威圧感に腰を抜かしていただろう。
けれど、私は迷わずに走り出し、彼の逞しくなった胸元へと飛び込んでいた。
「サナ、アイタカッタヨ」
サクの腕が私の背中に回り、力強く抱きしめられる。
以前は私よりも小さかったサク。
頭を撫でていたあの頃のサイズ感はもうどこにもなく、今の彼はすでに私の身長を大きく超えていた。
けれど、腕の中から伝わってくる温もりと、私に顔を埋める甘えたような仕草は、間違いなく私の知っているサクそのものだった。
「サク……私も、会いたかった。……こんなに格好良くなっちゃって。頑張ったんだね」
私は少しだけ背伸びをして、彼の頭をよしよしと撫でた。
「ハハハ、モウサナノシンチョウヲ、コエテヤッタ」
サクはニヘラと、あの私を安心させる笑顔で笑った。
「……じゃあ、今度はサクが、私を撫でて」
「ヨシヨシ、イイコダ」
彼の大きな手が、私の頭を優しく、包み込むように撫でる。
その確かな手のひらの感触に、張り詰めていた心の糸が少しだけ解けていくのが分かった。
ずっと怖かった。
進化して、記憶を取り戻して、私のことなんて忘れてしまうんじゃないかって。
でも、彼はこうして私の隣にいてくれる。
気恥ずかしくなって彼から少し距離を置くと、サクは私の足元を見つめて問いかけてきた。
「サナ、グレイトリリハ、ゲンキカ?」
「うん。あとで出すから、たくさん可愛がってあげてね。サクのことを、きっとびっくりすると思うけど」
「レベルハ、ドレクライ?」
「今は私のレベルが12まで上がったよ。グレイとリリは、サクに追いつきたくて必死に頑張って、14まで成長したんだ。ドロップした魔石は、全部あの子たちにあげてるからね」
この2週間、私も必死だった。
サクのパートナーとして、せめて足手まといにならないように。
けれど、私の目の前にいる彼は、私の想像を軽く超える領域にまで辿り着いていた。
「そういえば、サク。後ろの……骸骨さんは?」
「アッ、ヤバイ。ワスレテゴメン。マドウシノグリムダヨ」
「(お嬢さん、主からは話を聞いている。ネクロシェードのグリムだ。以後、よろしく頼む)」
ネクロシェード。
聞いたこともない種族名だ。
骸骨の魔導師でありながら、その言葉遣いは丁寧で、空洞の瞳から放たれる紫の光には不思議な温かさがあった。
サクと同じ、イレギュラーな存在。
「ご丁寧にありがとうございます。こちらこそ、よろしくね、グリムさん」
移動しながら、私はサクからここ数週間の出来事を手短に聞いた。
驚いたことに、このグリムはかつて3層のフロアボスだったリッチなのだという。
ボスモンスターを「スカウト」して仲間にするなんて、ダンジョンの常識を根底から覆す行為だ。
アイテムを身代わりにしてシステムの目を欺くなんて、そんな話、協会の人たちに聞かれたらどんな大騒ぎになるか。
サクのレベルは現在44。
そして、グリムはレベル40。
進化してからの短期間、サクは全ての魔石をグリムに与え、自身は純粋な戦闘経験だけでレベルを4つも上げたのだという。
一体、どれほどの数の魔物を屠ればそんなことが可能なのか。
そして何より、サクは『シャドウドミニオン』というスキルによって、グリムを自分の影の中に潜ませることができるらしい。
「今日は、グリムさんの姿は隠しておいてね。サクだけでも驚かれるのに、グリムさんまでいたら、本当に収拾がつかなくなっちゃうから」
「ジャア、ソロソロエントランスニ、ムカオウカ」
「うん、そうだね。……頑張ろうね、サク」
「テデモツナグカ?」
サクが、私をからかうようなニヤけた顔で手を差し出してきた。
「……いいよ」
私は差し出されたその手を、指を絡めるようにして強く握り締めた。
「ナッ!」
今度はサクの方が、予想外の反応に顔を真っ赤にして驚いていた。
自分から言い出した手前、彼はそれ以上何も言えず、照れ臭そうに視線を逸らしながらも、私の手を決して離そうとはしなかった。
◇
なんでこうなった。
ほんの少しの悪戯心でからかってやったつもりが、完全に返り討ちじゃないか。
繋がれた手のひらから伝わってくる紗奈の体温が、熱くて仕方がなかった。
後ろを歩くグリムが、心なしか「主も隅に置けないな」とニヤニヤしているような気配が伝わってきて、さらに居心地が悪くなる。
まったく、食えない配下だ。
「悪い、グリム。……そろそろ、影に控えてくれ」
エントランスが近づく。
「では、主よ。健闘を祈る。何かあれば、即座に影から飛び出そう」
グリムはそう言うと、そのまま俺の影へと深く沈んでいった。
「良い仲間が出来たね、サク。これで、寂しくないじゃん」
紗奈が、握った手に力を込めながら優しく笑う。
確かに、孤独だったダンジョンにグリムという理解者が現れたことは大きい。
けれど、それだけではまだ足りないんだ。
俺は、この隣にいる紗奈や、グレイたち、そして自分の居場所を守り抜くための「圧倒的な力」が欲しい。
今の俺は、人類の基準で言えばようやく上級冒険者に足を踏み入れた程度。
国内トップクラス、国家戦力級、さらには伝説級と呼ばれる怪物たちが跋扈するこの世界で、今のままではまだ不安で仕方がなかった。
せめてレベル60の大台を超えなければ、本当の意味での安心は得られないだろう。
配信の再開、カメラマンとしてのグリムの活用……やりたいことは山ほどある。
けれど、そんな思考は、エントランスの光が見えた瞬間にすべて吹き飛んだ。
そこには、スーツ姿の男女が立っていた。
男の方は、笑顔でペコッと頭を下げる。
そして、その隣に立つ、背筋を伸ばした女性。
その姿を目にした瞬間、俺の足が凍りついたように止まった。
心臓が、肋骨を叩き割らんばかりに激しく脈打ち始める。
脳の奥底、固く閉ざされていたはずの記憶の扉が、暴風にさらされたようにガタガタと音を立てる。
断片的な映像が、濁流となって脳内に流れ込んできた。
何もかも消え去るほどの閃光。
血の匂い。
絶望的な咆哮。
そのすべてに靄がかかっていて、はっきりとは形を結ばない。
けれど、たった一つ。
その霞んだ世界の中で、俺のことを「朔」と呼び、この世の何よりも愛おしそうに微笑む彼女の顔だけは、高解像度のカラー写真のように、鮮明に浮かび上がった。
「アヤ……カ……」
自分の口から漏れたその名前に、俺自身が一番驚愕していた。
「えっ」
隣で、紗奈の息を呑む音が聞こえた。
繋がっていた彼女の手が、微かに震える。
「さ……く……朔っ!!」
その声は、悲鳴のようであり、祈りのようでもあった。
気づいた時には、スーツ姿の彼女が、弾かれたようにこちらへ駆け寄ってきていた。
そして、周囲の目も、俺がモンスターであることも一切構わず、彼女は俺の身体に縋り付くようにして抱きしめてきた。
「あぁ……っ!朔……朔なのね……!生きて、生きていてくれたのね……っ!」
彼女の身体から伝わってくる、激しい震え。
首筋に落ちる、熱い涙の感触。
何故か懐かしく感じる、花の香りが鼻腔をくすぐる。
「おい、水瀬!何を……何をやってるんだ!離れろ!」
後ろから唐沢が、悲鳴に近い声を上げて駆け寄ってくる。
彼は必死な形相で、俺に縋り付く彼女を引き剥がそうとした。
「あはは……ごめんなさい……貴方の大ファンのようで……」
その声に、彼女はハッと我に返ったように身体を強張らせた。
「あ……も、申し訳ありません……私は、つい……」
乱れた髪を直し、涙を拭う彼女。
けれど、その瞳は今も、縋るような光を湛えて俺を見つめ続けている。
「イヤ、カマワナイデスヨ。ネ、サナ」
俺は、努めて冷静な、紗奈のパートナーモンスターとして演じようと声を絞り出した。
隣に立つ紗奈は、ただ無言で、表情を消してその女性を見つめていた。
彼女がどんな想いでこの光景を見ているのか。
それを考えると、胸の奥がキリキリと締め付けられる。
俺は、震える紗奈の肩をそっと叩いた。
彼女はビクッとして俺を見上げ、絞り出すような声で「うん……」とだけ答えた。
「トリアエズ、ソコノイワバニ、スワリマセンカ?タチバナシモ、ナンデスシ」
「あ、ああ、そうですね。それがいい。……はは、すみません、うちの者が取り乱してしまって……」
唐沢も、気まずさを隠すように愛想笑いを浮かべながら肯定する。
けれど、その場の空気は、一度着火した火種が燻り続けるように、重く、淀んでいた。
「最前線の聖女」水瀬綾香。
そして、その彼女を誰よりも近くで見つめる、パートナーである松田紗奈。
二人の女性の視線が交差する中、俺は自分の過去と現在が、修復不能なほど激しく衝突し始めていることを悟った。
はぁ……。一体、どうなるんだか、これ。
俺は重い溜息を心の中で吐きながら、岩場へと足を進めた。
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