2つの心
ゆるゆると書いてます。
変なところがあれば都度ストーリーに関わらない程度に直しております。
池袋ダンジョン、地上階ロビー。
吹き抜けの高い天井から降り注ぐ陽光が、磨き抜かれた大理石の床に反射して、私の視界を白く焼き切る。
冒険者協会、水瀬綾香さんという女性から連絡があってから2週間。
ついに今日、私たち『サナサクちゃんねる』と、協会側の担当者が直接顔を合わせることになった。
この2週間、仕事に攻略にと忙しくしていた私の頭から片時も離れなかったのは、あの電話の向こうで名前を聴いた瞬間の、サクの微かな、けれど決定的な反応だった。
悪いことだとは分かっていた。
プライバシーを暴くような真似はしたくなかった。
けれど、止められなかった。
暗い部屋で一人、スマートフォンの検索窓にその名前を打ち込む指は、ずっと震えていた。
『水瀬綾香』
かつての新進気鋭パーティ『フロントライン』のメンバー。
支援スキルに特化し、その類稀なる治癒力と広域防御展開能力から、人々は敬意を込めて彼女を「最前線の聖女」と呼んだ。
姉はあの「氷の女王」として知られる水瀬舞香。
探索者の事情に疎い私でさえ、そのパーティ名や二つ名、そして氷の女王は知っていた。
「……本当だったんだ」
サクがかつて語った、自分が「元は人間だった」という言葉。
それが、残酷なまでの真実味を帯びて私に突き刺さる。
あんなにも美しく、才能に溢れ、人々から愛された聖女様。
彼女が通話の時に隠しきれなかった、あの熱っぽい、祈るような声の正体。
サクから事情を聞いている今の私なら、痛いほど理解できてしまう。
仲間なら気づく、サクの違和感。
そして、記憶を失っているはずのサクも、私が伝えたその名前に導かれ、自ら答えに辿り着いたのだろう。
余裕のなかった私は、全面的にサクを信用したふりをして、彼が抱えるものを知ろうともしなかった。
「……愚かだな、私は」
独り言が、ロビーの喧騒に混じって消える。
フロントラインに関する記事を漁るほど、私の心は黒い泥のような感情に侵食されていった。
リーダーの相馬武晴。
「裁定者」黒崎玲司。
そして、「最前線の聖女」水瀬綾香。
記事の中の彼女は、眩しいほどに輝いていた。
凛とした立ち姿、慈愛に満ちた微笑み。
何も持っていない私。
仕事も中途半端で、人見知りで、ようやくサクという「特別」に出会えただけの私の中に、醜い劣等感が鎌首をもたげる。
そして、私の指が止まる。
『「凶星」高梨朔』
それが、かつてのサク。
掲載されている写真はどれも、緊張のせいか顔が強張り、引き攣ったような不自然な表情をしていた。
けれど、メンバーと冗談を言い合っているような隠し撮り風の写真の中に、私は見つけてしまった。
目尻を下げ、ニヘラと少しだらしなく、けれど心底楽しそうに笑う、あの私の知っているサクと同じ表情を。
(……カッコいいな。それに、可愛い)
もし、この時に出会っていたら。
今のサクではなく、あの輝かしい場所にいた頃の朔に、出会えていたとしたら。
いや、出会っていたとしても、きっと私なんて見向きもされなかっただろう。
何層にも重なる「もしも」を積み上げて、私は自分を追い詰めていく。
何をやっているんだろう。
サクはサクだ。
私のお気に入りであり、唯一無二のパートナー。
それなのに、高梨朔の肩にそっと手を置いて笑う水瀬さんと、それに応えるように笑い返している彼の写真を見るたび、胸の奥がチクチクと疼いて止まらない。
余計なものを見なければよかった。
知らなければよかった。
そう後悔しながらも、私の指は次のページを捲ってしまう。
「凶星」高梨朔。
元々はソロの探索者としてそれなりの名を馳せていたが、どこのギルドにもパーティにも属さない一匹狼。
それが、当時有望パーティと言われたフロントラインに加入した際の騒動。
当時の掲示板のログには、彼を勧誘して断られたギルドの愚痴や、彼の実力を称賛する声、そして熱烈なファンの書き込みが溢れていた。
「……気持ち悪い」
私自身の執着が、気持ち悪い。
こうしてウジウジと過去を暴き、勝手な被害妄想で嫌な気持ちになっている自分自身に吐き気がする。
それでも、サクを誰にも渡したくないと思ってしまう。
私だけのサクでいてほしいと、願ってしまう。
私は重い足を、待ち合わせ場所である1層のエントランスへと向けた。
◇
「それにしても待ち合わせがダンジョン内なんて変だよな。ロビーでいいだろ」
唐沢さんの声に、私は現実に引き戻された。
「まあ、事情があるんでしょう。調査のためです。ケチをつけられないですよ」
「それはそうだ。水瀬、ちゃんと予習はしてきたか?」
「……もちろんですよ。仕事ですから。ファンになるほど、動画も拝見しました」
「はは、サナサクのファンが増えて、俺もなんだか嬉しいよ。俺なんて、楽しみで興奮しちゃってさ、昨日なんて6時間しか寝られなかったもん」
……ちゃんと寝ているじゃない。
馬鹿みたい。
私なんか、一睡もできなかったのに。
確信なんてどこにもない。
ただの思い込みかもしれない。
それなのに、私は震える手で何度も何度もメイクをやり直し、普段はしないような入念な準備をして家を出た。
嫌われたくない。見劣りしたくない。
もし、彼が私を見て「あの頃の彼女」を思い出さなかったら?
もし、私が彼の記憶の中の「聖女」を汚すような存在だったら?
そんな、意味のない不安が波のように押し寄せてくる。
相手は、ただのモンスターなのだ。
世間的には、そう認識されている存在。
けれど、私にとっては違う。
冒険者時代、言葉を操るモンスターを目撃したことはある。
けれどそれらはすべて、下層に君臨するボス級の高ランクモンスターに限られていた。
それなのに、あのサクという個体は、わずか1層から3層という初心者の領域で、堂々と配信を行っている。
進化の場面が映っていたが、あの状況から推測するに、せいぜい2から3段階目の進化だろう。
だとしたら、レベルは高くても20程度。
駆け出しの冒険者にとっては脅威かもしれないが、一応レベル52に到達している今の私からすれば、戦力としては「大したことがない」部類に入る。
けれど、レベル20であの驚異的な知性と、洗練された戦闘技術。
モンスター特有の、単調な行動パターンが微塵も感じられない。
豊かに変化する感情の表現。
どう考えても、イレギュラーとしか言いようがない。
だからこそ、私は……。
「水瀬がバッチリメイクなんて、久しぶりに見たわ。やっぱお前、気合入れると本当キレイだよな」
「……唐沢さん、それセクハラですよ」
「なっ、そんなつもりで言ったんじゃねえよ!いや、『最前線の聖女』時代はよく見かけていたけどさ、協会に入ってからの化粧っ気のない水瀬が、今日はどうしてそんなに気合が入っているのか気になっただけだって」
……うるさい。余計な詮索をしないで。
私は、ただ。
あの日のままの、彼の瞳に映る自分を想像してしまっただけなのだ。
「はぁ。大ファンのサナサクに会えると思ったら緊張しすぎて寝られなくて……。顔色が悪いのを隠しているだけですよ」
嘘だ。
それだけではないことなんて、自分が一番よく分かっている。
「聖女様でも、推しに会う前はそうなるんだな。面白いわ。おい、実際に会ったら感激して泣き出すんじゃねえぞ?」
「聖女なんて呼ばないでください。泣いたりもしません、別に……」
本当に、この人は信用できない。
思考の解像度が低くて、言葉が薄っぺらで。
でも、そんな彼に苛立っているのも、私自身の余裕のなさが原因なのだろう。
「はは、だといいな。せっかく綺麗にした準備が台無しになっちゃうからな。ほら、もう着くぞ」
ぼんやりと考え事に耽っていたせいで、目的地の建物がすぐそこまで迫っていることに気づかなかった。
車の窓の外を、池袋の騒がしい街並みが飛ぶように流れていく。
この雑踏の先に、彼がいる。
3年前、私を救って消えた、あの人が。
「……朔」
私は、自分にしか聞こえない掠れた声で、その名を呟いた。
唇に残るその響きが、あまりにも切なくて、私は強く拳を握りしめた。
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