止まった時間
ゆるゆると書いてます。
変なところがあれば都度ストーリーに関わらない程度に直しております。
冒険者協会の東京本部、豊島支所。
豊島区に拠点を置く「探索管理課」のオフィスは、常にダンジョン内で発生する膨大なデータと、冒険者たちの功罪を処理する無機質な熱気に包まれていた。
「なあ、知ってるか? このモンスター、今ネットでめちゃくちゃバズってるんだぜ」
モニターの一つを指差し、軽い調子で話しかけてきたのは、この部署で働き出して4年になる唐沢という男だった。
彼が声をかけた相手は、今年、総務課からこの実務部隊へと異動してきたばかりの社員、水瀬綾香だ。
「……配信はあまり観ないので。ただ、SNSで名前が流れているのは知っています」
綾香は視線を落としながら、静かに答えた。
あの日、新宿の深い闇の中で起きた「あの事件」から、すでに3年の月日が流れている。
彼女は一度、冒険者を引退することを考えた。
自分を、そして仲間を守るためにその場に踏みとどまり、命を散らした高梨朔のことを、片時も忘れられなかったからだ。
世間的には、彼は「死亡」と判断されている。
だが、どれほど凄惨な現場であっても、彼の遺体は今日まで見つかっていない。
ダンジョンという魔窟では、遺体が魔物に喰われ、跡形もなく消え去ることなど珍しい話ではない。
それでも、綾香の心の奥底には、恐怖や不安と同じだけの質量を持った「確信」が居座り続けていた。
――彼は、どこかでまだ生きているのではないか。
冒険者として戦う力は失ってしまったかもしれない。
けれど、情報の集まるこの協会にいれば、いつか彼に繋がる何かに触れられるかもしれない。
その一縷の望みだけが、彼女をこの場所に繋ぎ止めていた。
「観たほうがいいぞ。新種のモンスターなんだけど、こいつがなかなか人間臭くて面白いんだ。……まあ、ここ1か月ちょっと、パッタリと配信が止まってるのが気掛かりだけどな」
唐沢の言葉に、綾香は微かに眉をひそめる。
「テイマーに何かあったか、あるいは飽きてしまったか……。配信を始めてみたものの、思い描いていた結果と違うとすぐに投げ出してしまう人も多いはずですから」
「おぉ、お前ら。丁度いいものを観てるな」
背後から響いた野太い声に、2人は背筋を伸ばした。
そこに立っていたのは、探索管理課を束ねる40代のベテラン、関口課長だった。
「実はな、"上"からこのモンスターとテイマーについて、詳細を調査するように通達が来ていてな」
「話題のモンスターに会えるなんて、役得っすね! 課長!」
唐沢が調子よく応じる中、関口は熱を入れて答える。
「だろ? うまくいけば、この新種のモンスターを研究対象として囲い込めるし、協会の広告塔としても使いたいらしい。たとえそこまでいかなくても、協力関係を築ければ、協会としての旨みは計り知れないからな」
「……あの、なんで私が?」
綾香の問いに、関口は事務的な笑みを向けた。
「たまには現場に出向くのも、良い経験になるだろう。それに、相手のテイマーも若い女性だ。同性がいた方が、相手も警戒心を解いて安心するだろうからな。……頼んだぞ、水瀬」
「……わかりました。頑張ります」
関口の言葉に従い、綾香は深く頭を下げた。
だが、その心境は複雑だった。
関口の言葉の端々に透けて見える、対象のモンスターやテイマーを「便利な道具」としてしか見ていない打算的な響きが、どうしても彼女の倫理観に触れた。
かつて、彼女が所属していたパーティ『フロントライン』。
紅一点のヒーラーとして、パーティの精神的支柱を務めていた綾香。
リーダーであり、生真面目を絵に描いたような堅物、相馬。
常に反抗的で、言葉は鋭いが誰よりも仲間思いな黒崎。
そんな2人の衝突を、綾香が包容力で宥め、さらにその横でおちゃらけながら火に油を注いで怒られるのが、斥候の朔だった。
「わーっ、ごめんごめん! 相馬さんも玲司も、そんな怖い顔すんなって!」
「朔! お前が余計なことを言うからだろ!」
「……綾香、助かるよ。ごめんな、いつも」
そう言って、朔が頭をポリポリと掻きながら少し気まずそうに笑うのが、探索中のいつもの風景だった。
2つ歳上の相馬と、1つ上の黒崎。そして同い年の朔。
普段の朔はどこか頼りなく、放っておけない危うさがあったが、戦闘が始まれば一変した。
斥候、遊撃、そしてデバフ。
オールラウンダーとして盤面を支配し、仲間が戦いやすい環境を完璧に整える。
そんな彼を、綾香は誰よりも信頼し、そして密かに、淡い恋心を抱いていたのだ。
そして――あの日。
新宿ダンジョン、第28層。
突如として視界を埋め尽くした、あまりにも純粋で、暴力的なまでの白光。
次に目を覚ました時、綾香は清潔な病院のベッドの上にいた。
爆風に吹き飛ばされた際、頭部を打ち付けたが、幸いにも命に別状はなかった。
「……玲司……?」
「綾香……綾香!! よかった……!!」
傍らにいた黒崎は、目を覚ました彼女の手を、潰さんばかりの力で強く握りしめた。
彼の瞳は赤く腫れ、隠しようのない絶望が張り付いていた。
そこで綾香は聞かされたのだ。
リーダーである相馬が、命を落としたこと。
そして、殿として残り、身代わりとなった朔が、今も行方不明であることを。
「嘘……嘘って言ってよ!! だって、朔は……あんなに逃げ足だけは自信があるって……!」
「あいつがいなければ、俺たちも今頃死んでいたんだ。……あんなバケモノに、人間が敵うわけがない。それでも、俺たちを逃がすために、アイツは独りで立ち向かったんだ……クソッ!!」
黒崎は、脳裏に焼き付いた最後の光景を振り払うように、拳を強く握りしめた。
黄金に輝く、巨大な龍。
その神々しくも冷酷な巨躯を前に、折れそうなほど小さな背中で、それでも力強くダガーを構えて立っていた朔の姿。
仲間を見捨てるという残酷な選択。
何もできずに仲間を置き去りにして逃げ帰った、自分自身の弱さ。
黒崎もまた、泣き叫ぶ綾香を抱え、グチャグチャな感情に溺れながら、ただ必死に出口を目指すしかなかったのだ。
派遣された討伐隊によって、現場からは無残に果てた相馬の遺体だけが回収された。
黒崎と綾香のデバイスに残された断片的な映像記録を解析した結果、その襲撃者は、新種の個体『ルミナスドラゴン』であると認定された。
だが、その後の目撃情報は一切なく、実態の掴めない「幻のモンスター」として処理されることになる。
冒険者という職業において、死や怪我は日常の一部だ。
しかし、「イレギュラー」との遭遇は、確率論から言えば天文学的な不運でしかない。
ダンジョンが出現してから今日まで。
毎日どこかで誰かが戦うこの世界でイレギュラーが正式に確認された事例は、わずか5件に過ぎないのだ。
そのうち、個体名が判明しているのはたったの2体。
残りの3件は、目撃者が一人残らず消滅しており、現場に残された凄まじい痕跡のみで「イレギュラーの存在」が推測されたに過ぎない。
朔は、そんな「神の怒り」にも等しい化物に、単身で立ち向かったのだ。
生存など、奇跡を何度積み重ねても届かない領域であることは、頭ではわかっていた。
それでも、綾香はこの管理課のデスクで、毎日膨大なモンスターの情報を追い続けている。
「……本当に、道具みたいに扱う仕事なら、お断りですからね。関口課長」
綾香は小さく独りごちると、唐沢に渡された資料を手に取った。
モニターの中では、インプに似た小さなモンスターが、コミカルに、だがどこか洗練された動きでダンジョンを駆け抜けている。
その姿を追いながら、彼女は自分でも気づかないうちに、指先で画面をなぞっていた。
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