間に合うか?法隆寺の12時の鐘
法隆寺が今日のメインだとか言っといて、その前にちょっと寄るだけだったはずのならまちに、予想外に長居してしまった。さあ、法隆寺へ向かおう。奈良駅へと急ぐ。
時計を見ると、もう11時前!
まずい。急がなきゃ間に合わない。急げ急げ!
え? 何をそんなに急いでるんだって?
そりゃあ、急がなきゃ12時の鐘に間に合わないからですよ。
そう、鐘。法隆寺の鐘。
柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺
と、子規が詠んだ、その鐘だ。
この、古池や~と並んで、全俳句の中でいちばんメジャーなんじゃないかという句に描かれた鐘の音は、なにも遠い昔に過ぎ去った音景色じゃない。この令和の時代にも現在進行形で生き続けている、バリバリ現役な音景色だ。
この法隆寺の鐘の音が、私はなぜか妙に好きなのだ。
鐘が小ぶりな分、重々しさはないのだが、かといって甲高いという感じでもなく、音色が優しくて、柔らかい。個人的には、「まろやか」っていう形容詞がいちばんしっくりくる。
重厚でもなく、華やかでもなく、高貴でもなく、まろやか。
……音の印象をコトバで表そうとすると、どうしても形容詞のオンパレードになって、個人的な感覚の押し売りから逃れられないのがはがゆいなあ……。
近寄りがたい威厳も取り澄ましたところもなく、かといって過度になれなれしい感じもなく、適度な品と親しみと距離感、っていう感じだろうか。
それが、都市から離れた斑鳩の里の風景とか空気感と、いかにも似つかわしい気がして、聞いていると穏やかな気分に満たされる。もしかすると、子規も柿を食いながら、同じようなものを感じていたのかもしれない。当方、柿はめっぽう苦手なのだが……。
で、法隆寺ではその鐘が、朝8時から夕方4時まで、2時間おきに時の鐘としてつかれている。つかれる回数は、その時間の数字と同じ数。8時なら8回、2時なら2回。
つまり、12時がいちばん数多く、そのまろやかな音色を味わえるわけだ。これは何としても外せない。
そんなわけで、大荷物を背負って速足で駅へ突き進む。駅に着いて電車に乗ったら、あとは法隆寺駅へ着くまで急ぎようもないのだが、たった3駅がいたく待ち遠しい。
法隆寺駅で降りたら、法隆寺まで2キロ弱くらいの道のりを歩いていくのだが、途中のスーパーで弁当を買わなきゃいけない。このスーパーは、弁当が充実していてしかもそこそこ安いので、法隆寺に行くときはいつも寄って買っていく。
急いでいる今日のこと、いっぺん法隆寺まで行っちゃって、鐘を聞いてから買いに戻ればよさそうなもんだが、スーパーは中間点よりだいぶ駅寄りのところにあって、戻るとなるとたいそう億劫なのだ。
引き続き速足でスーパーまで飛ばしていき、充実した弁当のラインナップを前に、じっくり選びたくなる気持ちを振りきって、サッと手に取ってレジを済ませ、法隆寺を目指す。
通いなれた斑鳩の裏道を抜けていくと、法隆寺へとまっすぐに続く、立派な松並木の参道が見えてくる。さあ近付いてきた、と気分が高まるところだが、そこに立ちはだかるのが、国道の信号だ。
向こうは国道、こっちは裏道。タイミングが悪いとかなり待たされる。そうは言っても、5分も10分も待たされるわけじゃないのだが、信号待ちの間、いったい何回時計に目をやったことだろうか。
待ち焦がれた青信号を合図に、並木の間の歩道へ飛びこむ。足元の砂利に軽く靴を取られるのがえらくもどかしいし、なんだかやたらと長く感じる。ようやく並木を通り抜け、南大門をくぐって境内へ。
その瞬間、目に飛び込んでくるのは、生真面目に続く石畳と築地塀の向こうに、絶妙な配置で重なる中門と五重塔。いわゆる「世界最古の木造建築」の名画だ。
古都を好む旅人ならずとも、誰でも思わず足を止めて見とれるところだが、そうもしていられない。目指す鐘は、境内左手の奥まったところにある。ここまで来れば、その音を聞けるには聞けるのだが、せっかくの12時の鐘、間近でじっくり楽しみたい。その12時まで、もう5分を切っている。
いやー、ほんとにギリギリだな……。
中門前で、後で改めてごあいさつしますんで、と軽く会釈して、足早に左手へ。拝観入口を横目に進み、三経院という建物の前を通り過ぎると、奥へ続く通路と階段の先に、朱塗り鮮やかな西円堂が見えてきた。鐘はその右奥にある。
階段下あたりで聞く鐘の音も味があるが、ここまで急いでやってきた勢いで、階段を登りにかかる。ちょうどその時、その階段の上から、平和に晴れた斑鳩の空へ、だしぬけにひとつ、ソレが放たれた。時計を見ると、たしかに、12時ちょうど。
12時の鐘をここで聞くという、どこまで行ってもごく個人的なコダワリでしかない至上命題を、なんとかクリアできた……のか? いや、階段登っている途中って、なんだかとっても中途半端で、むしろ「間に合わなかった」感のほうが強い展開だな……。
まあいい。まだまだ12回のうちの1回目だ。この鐘は、正確に1分おきにつかれる。まだ足かけ10分以上、このまろやかな音色を楽しめるのだ。
ひとまず登りきって、西円堂のお薬師様にお参りする。このあたりのタイミングで、2回目の鐘の音。
階段を登りきっただけで、鐘からの距離はたいして変わっていないのだが、ここまで来ると、鐘と自分との間に遮るものがなくなるので、音がストレートに、芯を持ったままぶつかってくる。
お参りを済ませたら、お堂の左へ歩いていく。八角形した西円堂の後ろ側に、塀に沿って桜が何本か並んでいて、ちょうど見頃。毎年楽しみにしている桜スポットのひとつだ。
青空をバックに、枝先がお堂の軒のほうに伸びてきていたりするあたりを見上げて、いかにも古刹の桜といった風情に浸っていると、3回目の鐘。
そう、これこれ。この音景色、そしてこの桜景色。これを楽しみに、駅から忙しなく飛ばしてきたといってもいいだろう。
もう急ぐ必要もない。ここで、この眺めに浸りながら、最後の1回までじっくり味わうのみ。
お堂の右側に回ると境内が見渡せるが、五重塔とか金堂とか、超一級の文化財でありながら、それが何か?と言わんばかりに、こともなげに建っている千古の伽藍にも、まろやかな鐘の音は響きわたり、染みこんでいく。1分間のインターバルの間、余韻が長く尾を引きながらも、また元の斑鳩の空気に戻っていって、心が安らいでいく感じが心地いい。
そんなふうにして、最後の1打が春の空に放たれると、担当の職員さんが鐘つき堂を降りて、古都ならではの音景色を楽しむひととき、終了。
法隆寺に着いて早々、ひとつの大きな目的は果たせたわけだが、今日はなにも12時の鐘だけ聞きに来たわけじゃない。これから、メインの目的である花見をじっくり楽しむとしよう。
西円堂から降りて戻っていく道すがらにも、あちこちに桜が咲いて目にも心にも優しい。さっき通り過ぎた三経院の前に休憩所があるので、電車で座って以来のひと休み。ベンチのすぐそばにも桜があって、その枝越しに五重塔がのぞくあたり、さすがは千四百年間磨きあげられた桜景色、行き届いている。
ひと休みを終えて中門のほうへ戻っていくと、回廊越しに五重塔を見上げるところにも、桜。中門の傍らにも、桜。同じ桜が千四百年咲き続けているわけじゃないが、当時も同じところにあったんじゃないか?と思うくらい、絶妙なところに桜があって、建物と完全に溶けあっている。
一つひとつ、足を止めて見上げながら歩いていって、中門のところであらためてお参り。ここでは、みんな写真を撮るばかりで、わざわざ階段を登ってお参りしている人をめったに見かけないが、賽銭箱もあるし、拝観料を払って回廊の中に入らない者は、ここでお参りするのが筋だろう。
お参りを済ませて、また回廊と溶けあう桜を見上げながら、時速1~2キロで歩いていくと、聖徳太子をまつる聖霊院に着いて、ここもお参り。
さらに進んでいくと、綱封蔵という高床式の建物があって、その先に、柵に囲まれた桜の園が見えてくる。ここがまた、思い入れのある桜スポットだ。
奥に食堂という朱塗りの建物が建っていて、その前庭が、満開の桜に埋め尽くされている。食堂を眺めると、その視線が桜に包まれる格好だ。
桜の間に、いかにも古代、っていう朱塗りの建物の真ん中あたりが絶妙に見えて、そのまわりが絶妙に隠れている。そこまで考えて桜を植えたわけじゃないのかもしれないが、狙ってこうしたとしか思えない、計算されつくした眺めだ。
この食堂、その名の通り、かつてはお坊さんが食事をしたところらしいが、私が知る限り、今は4月8日の花まつり――正式には仏生会――のときだけ使われている。かつて1回、その日に拝観したのだが、中で法要があった後、誕生仏の前に並んで、一人ずつ甘茶をかけてお参りした。
ちょうど桜が見頃で、今眺めている桜の間を通り抜けて、古代ムード満点の食堂に入って、伝統の法要を目の当たりにした、その思い出は今も鮮やかに浮かんでくる。
その他の日は、こうしてだいぶ手前に柵があって、お参りはおろか食堂に近づくことすらできない。でもその代わり、こうでもしなけりゃまず望みえない、人のいない上質な春景色を楽しめるわけで、かえってこのほうが好ましいような気もする。
しばし花景色と思い出に浸ってから、南へ歩いて境内のメインストリートへ出ると、ここがまた桜並木。その先の東大門を出て、夢殿があるほうへ歩いていく道も、また桜並木。桜並木自体はどこにでもあるが、ここはそのバックに、奈良でよく見かける黄土色の築地塀が続いている。これまた、古都ならではの桜景色と言えるだろう。
こんなふうに法隆寺は、その境内の至るところに上質な桜が満ちている。東大寺ほどじゃないものの、そこそこ敷地も広いので、じっくり楽しみながらそぞろ歩いていたら、有料拝観ゾーンに入らなくても半日くらい余裕で過ごせるレベルだ。
今日も、ときどき休憩しながら桜を眺め惚けて過ごすうち、早くも夕方4時が近付いてきた。そろそろおいとまするとしよう。
でもその前に、もういちど西円堂へ。最後に4時の鐘を味わおうという魂胆だ。こんどは余裕をもってそのふもとに着いたが、階段は登らず、ちょっと離れた音色を楽しむとしよう。
ほどなく階段の上から、その音がひとつ。このくらい離れて聞いたほうが、むしろ「まろやかさ」が際立つかもしれない。
一つひとつ、余韻に身を委ねつつ手を合わせる。やがて4回目が鳴って、その余韻も消え去った。
よし、今年も春の法隆寺を満喫した。駅へ戻るとするか。
優しく日が傾く斑鳩の空のもと、満開の桜に見送られて南大門を出て、あの松並木をこんどは逆向きに歩いて駅へ向かっていった。




