歪ー40 攻防
「――しかし、それと今回の統制強化案は、果たして同じ問題なのでしょうか?」
ハンスの問いかけに、アルトゥール・パーシヴァルは静かに視線を向けた。
「ほう。それは、どういう意味かな?」
「魔族の脅威に対抗するため、王国全体で情報を共有し、各領地が協力する体制を築く。その必要性については、私も同じ考えです」
ハンスは落ち着いた口調で続けた。
「しかし、そのために地方領主の権限を縮小し、中央に集中させる必要があるのでしょうか。各領地の連携を強化することと、統治権限を中央に集めることは、必ずしも同じではないはずです」
「なるほど。ハンス公の懸念は理解できる」
アルトゥールはゆっくりと頷いた。
「確かに、各領地の連携を強化することは重要だ。しかし、それだけでは十分とは言えまい」
その声は穏やかだったが、議場の隅々までよく通った。
「今回の事件を鑑みれば、各領地がそれぞれの判断で対応する体制には、少なからず限界があることも明らかだろう。情報の伝達、状況の把握、そして迅速な意思決定。これらを円滑に行うためには、王国全体を統括する仕組みが不可欠だと考えている」
「その点については理解しています。しかし、中央に権限を集めたとしても、それを担う者の判断が誤っていれば、かえって被害を広げることにもなりかねません」
「そのとおりだ。だからこそ、その権限を担う者には、相応の責任と厳格な監督が求められる」
アルトゥールは少しも動じなかった。
「我々が目指しているのは、決して地方領主の権限をいたずらに奪うことではない。王国全体の秩序を維持し、いかなる脅威にも迅速に対処できる統治体制を築くことだ。そのために必要な改革であると理解していただきたい」
その言葉に、大派閥の貴族たちが頷いた。
確かに、中央が各領地の状況を把握し、必要に応じて指示を出せる仕組みがあれば、今回のような事態にも対応しやすくなるだろう。
だが、それだけで済む話でもない。
中央に権限が集中すれば、地方領主が独自に判断できる範囲は狭くなる。まして、その権限を大派閥の貴族たちが握ることになれば、ハンスたちにとっては無視できない問題だ。
そもそも、今回の統制強化案を中心となって推し進めているのは、大派閥の筆頭貴族であるヴァレンティア公爵家だ。
「なるほど。王国全体の秩序を守るため、ということですね」
ハンスが静かに頷いた。
「そういうことだ」
「では、もう一つ確認させてください」
ハンスはアルトゥールへと視線を向けた。
「先ほど、パーシヴァル公は聖リヴォニア教会の理念について言及されましたね」
「ああ。我が家は代々、聖リヴォニア教会の理念を尊重し、その活動を支えてきた」
「聖リヴォニア教会は、魔族の排除と神聖な秩序の維持を掲げています。私も、王国の平穏を守るという点において、その理念に異を唱えるつもりはありません」
ハンスはそこで一度言葉を切った。
「しかし、今回の事件では、その魔族と結託していた人物が、王国有数の商会を率いていたことが明らかになりました。そして、その商会と深い関係を持つ諸侯が、今まさに王国の統治権限を拡大しようとしているのです」
議場が静まり返った。
「無論、ヘルメースと取引していたというだけで、不正への関与を疑うことはできません。ですが、教会の理念を重んじるのであれば、なおさら、その関係について慎重に確認する必要があるのではありませんか?」
アルトゥールはハンスの言葉を最後まで聞き届けると、静かに頷いた。
「魔族との関わりについて慎重を期すべきという点には、私も異論はない」
そこで一度言葉を切り、議場を見渡した。
「しかし、ヘルメースと取引があったことと、カフカが魔族と結託していたことは、明確に分けて考えるべきではないかな?」
アルトゥールの口調は、あくまで穏やかだった。
「ヘルメースは長年にわたり、王国の交易を支えてきた商会だ。我々のみならず、多くの諸侯や商人が取引を重ねてきた。その代表が不正に手を染めていたからといって、取引のあった者すべてに疑いを向けるのは、公正な判断とは言えまい」
その言葉に、何人かの貴族が頷いた。
「無論、我々とて魔族との結託を容認するつもりはない。カフカの行いが事実なら、相応の裁きが下されるべきだろう」
アルトゥールはハンスへと視線を戻した。
「だが、それをもって王国の統治体制を見直す議論まで妨げるべきではない。むしろ、今回のような惨劇を繰り返さぬためにも、必要な改革は進めなければならないと考えている」
大派閥の席から、再び賛同する声が上がった。
ハンスの主張にも筋は通っているが、アルトゥールの反論にも無理がない。
少なくとも、今ある情報だけで大派閥の責任を問うのは難しそうだ。
「……確かに、通常の取引まで問題にするべきではありません」
ハンスは静かに答えた。
「ですが、今回の事件を受けてヘルメースの内部調査が必要となった以上、関係の深かった諸侯についても確認すべきことはあるでしょう」
「無論、その必要性を否定するつもりはない」
アルトゥールは穏やかに応じた。
「ただし、調査と改革の議論は分けて考えるべきだ。疑惑だけを理由に、必要な改革を止めるわけにはいかないからな」
「では――」
ハンスはアルトゥールをまっすぐに見据えた。
「今後の調査によって、ヘルメースと関係の深かった諸侯が、王国の秩序を脅かすような重大な不正に関与していたと明らかになった場合、その責任はどうお考えですか?」
「無論、相応の責任を問うべきだろう」
アルトゥールは迷うことなく答えた。
「それがいかなる立場の者であろうと、王国の秩序を乱す行為が明らかになったのであれば、然るべき裁きを受けるべきだ。我々とて、そのような行為を庇うつもりはない」
「それは、大派閥に属する諸侯であっても同じでしょうか?」
「当然だ。所属する派閥によって、罪の重さが変わるわけではあるまい」
その返答を聞き、ハンスは小さく頷いた。
「仮に今回の統制強化案を主導する諸侯が、重大な不正に関与していたと明らかになった場合はどうでしょう。そのような人物が進めてきた議案を、そのまま採用するおつもりですか?」
その問いかけに、大派閥の席からわずかにざわめきが漏れた。
「推進する者に問題があったとしても、改革の必要性そのものが失われるわけではない。だが、重大な不正が明らかになったのであれば、議案の内容についても改めて検証し、必要に応じて見直すべきだろう」
その言葉を聞いたハンスは、わずかに表情を緩めた。
「……パーシヴァル公のお考えは、よく分かりました。ありがとうございます」
アルトゥールは短く応じると、席に腰を下ろした。
「議長、私からは以上です」
ハンスがそう告げると、議長は一度頷き、議場を見渡した。
「ほかに、ご意見やご質問のある方は?」
しばらく待っても、新たに発言する者は現れなかった。
「それでは、ここで一度休憩を挟みたいと思います。議論も長時間に及びましたので、一時間後に再開といたしましょう」
議長が休憩を告げると、それまで静かだった議場に再びざわめきが広がった。
貴族たちはそれぞれ席を立ち、先ほどまでの議論について言葉を交わしながら、次々と議場を後にしていく。
こうして、王国の統制強化を巡る議論は、ひとまず区切りを迎えた。




