歪ー37 思惑
男が説明を終えると、議場のあちこちから賛同する声が上がった。
確かに、提案そのものは理にかなっている。
ヘルメースが長年にわたって築き上げてきた交易網を、そのまま失わせるのは王国にとっても大きな損失だ。
各地の支部が持つ設備や人員を活用できるのであれば、混乱の収拾も早まるだろう。
――問題は、その管理を誰が担うのかということだ。
「一つ、よろしいかな」
声を上げたのは、ロンド伯爵バルドウィンだった。
議長が発言を許可すると、伯爵はゆっくりと席を立った。
「既存の交易網を活用するという方針には、私も異論はありません。ただ、新たな管理機関については、いくつか確認しておきたいことがありましてな」
「と申されますと?」
先ほどの貴族が問い返す。
「その管理機関は、具体的に誰が運営することになるのでしょう。王都に設置する以上、王国の役人が主体となるのか。それとも、我々諸侯の中から責任者を選出するお考えなのか」
もっともな質問だ。
交易の許認可を一手に握るとなれば、その権限は決して小さくない。誰が管理するかによって、各領地の利害にも大きく影響することになる。
「無論、王国の監督下に置くことを前提としております。ただし、交易の実務に精通した者でなければ、混乱した現状を立て直すのは困難です。そこで、経験豊富な有力諸侯を中心に運営を担っていただくのが適切かと」
「ふむ。では、その人選はどのように?」
「まずは、これまで西方交易に深く関わってきた諸侯を中心に協議し、適任者を選ぶことになるでしょうな」
「それでは、特定の諸侯に権限が集中することにはなりませんかな?」
バルドウィンがそう指摘すると、男はわずかに眉を動かした。
「そのような懸念を持たれるのも理解しております。しかし、今は一刻も早く交易を正常化させねばなりません。各領地の意見を一つ一つ取りまとめていては、対応が後手に回ってしまいます」
バルドウィンは一度考えるように顎に手を添えた後、再び口を開いた。
「迅速な対応が必要なのは分かる。だが、各領地の事情を十分に考慮せずに交易を管理されては困りますな。西方交易の影響を受けているのは、王都の商人だけではない」
その指摘には、地方の貴族たちからも同意する声が上がった。
交易路の再編は、各領地にとっても死活問題だ。
新たな管理機関が物資の流通先や交易の許認可を決定するのであれば、地方の商人たちはその判断に従わざるを得なくなる。
仮に王都に近い商会ばかりが優遇されるようなことになれば、地方の経済にも大きな影響が出るだろう。
「もちろん、各領地の事情を無視するつもりはございません」
男は落ち着いた様子で答えた。
「むしろ、王国全体の物資流通を把握することで、必要な地域へ優先的に物資を届けられるようになります。現在のように各地が独自に対応している状況では、物資の偏りや価格の高騰を招きかねません」
確かに、各領地が独自に物資を確保しようとすれば、混乱がさらに広がる可能性もある。
「それに、今回の提案は恒久的な制度を直ちに定めようというものではございません。まずは交易体制を立て直すための暫定的な措置として、新たな管理機関を設置する。その後、状況が落ち着いた段階で、改めて運営体制を協議すればよいのです」
なるほど。
暫定的な措置という言い方なら、慎重な貴族たちも受け入れやすいだろう。
だが、一度手にした権限を、連中がそう簡単に手放すとは思えなかった。
「……暫定的な措置であるならば、なおさら期限を明確にしておくべきではありませんかな」
当然、バルドウィン伯も簡単には引き下がらない。
「私も管理機関の設置そのものに反対しているわけではありません。ただ、その権限と責任の範囲を曖昧にしたまま認めるのは、いささか性急ではないかと申し上げているのです」
すると、円卓の向こう側から別の貴族が口を開いた。
「ロンド伯のお考えも分かります。しかし、制度の細部にこだわるあまり、肝心の交易再開が遅れてしまっては本末転倒というものでは?」
大派閥の席に座る貴族の一人だった。
「現に、西方の各領地では物資の不足が問題となっております。今この場で必要なのは、速やかに行動できる体制を整えることです」
その主張には、大派閥以外の貴族からも賛同の声が上がった。
バルドウィンが指摘しているのは、管理機関に与える権限の問題だ。
だが、連中はそれを、交易の再開を急ぐか、それとも議論を重ねて時間を費やすかという話にすり替えようとしている。
交易の混乱に苦しんでいる領地の貴族からすれば、一刻も早い解決を望むのは当然だろう。
それだけに、反論する側も慎重にならざるを得ない。
俺がそんなことを考えていると、隣に座るハンスが静かに席を立った。
「――発言をよろしいでしょうか」
議長が頷くと、ハンスは大派閥の貴族たちへ目を向けた。
「交易体制の早期再建が必要であることに異論はありません。ロンド伯も、その点を否定しているわけではないはずです」
ハンスは一度言葉を切り、続けた。
「しかし、急を要するからこそ、誰にどのような権限を与えるのかは明確にしておく必要があります。そうでなければ、交易を立て直すために設けた機関が、かえって新たな混乱を招くことにもなりかねません。私は、既存の交易網を活用することには賛成です。ですが、それを管理する権限まで一部の諸侯に委ねる必要があるのか。その点については、まだ十分な説明がなされていないと考えます」
「では、ハンス公には何か具体的なお考えがおありなので?」
先ほどの男が問いかける。
その口調は丁寧だったが、どこか挑むような響きがあった。
「ええ。もちろんです。私が提案したいのは、各領地の代表者と王国の役人による協議の場を設け、そこで交易の再建方針を決定することです」
ハンスは議場を見渡し、続けた。
「既存の交易網を活用する点については、先ほどの提案に賛成です。しかし、その運営を一部の諸侯に委ねるのではなく、各領地の代表者が協議に参加できる体制を整えるべきだと考えています」
「それでは結局、各領地の意見を取りまとめなければならない。先ほどから申し上げているように、それでは迅速な対応など望めませんぞ。協議を重ねている間にも、各地の物資不足は深刻化していくのです」
「すべての案件を協議で決める必要はありません。日々の交易業務については、既存の支部に一定の裁量を認めればよいのです」
ハンスはそこで一度言葉を切った。
「各領地の代表者が協議すべきなのは、交易路の再編や物資の配分方針など、王国全体に影響する重要な事項に限られます」
「しかし、各支部の判断が食い違った場合はどうするのです? 物資の配分をめぐって対立が生じた際、誰が最終的な判断を下すのですか?」
「そのために王国の役人を加えるのです。各支部の状況を把握し、必要な調整を行う。意見が分かれた場合の決定方法については、あらかじめ規則を定めておけばよいでしょう。少なくとも、交易の許認可を一部の諸侯に集中させる必要はないと考えます」
ハンスの案は、王国全体で交易を管理する仕組みを設けながらも、権限が一部の貴族に集中しないようにするものだ。
もっとも、実際に運用するとなれば、そう簡単にはいかないだろう。
「ハンス公のお考えは理解いたしました。しかし、各地の支部を誰が統率するのかという問題は残ります」
男は腕を組み、ハンスを見据えた。
「ヘルメースが機能を失った今、支部同士の連携を維持するだけでも相当な労力が必要となります。ましてや、これまで交易の管理に携わってこなかった者たちに、その役割が務まるのでしょうか?」
「だからこそ、既存の人員を活用するのです。ヘルメースの支部には、長年交易業務に携わってきた者たちがいるはずです。彼らの経験を生かしながら、新たな体制へ移行していくのが現実的でしょう」
「しかし、その者たちは本当に信用できるのでしょうか?」
男の問いかけに、ハンスはわずかに眉を寄せた。
「それはどういう意味でしょう」
「ヘルメースは、今回の事件によってその信用を大きく失いました。その組織に属していた者たちを、引き続き交易の管理に関わらせることには慎重であるべきだと申し上げているのです」
確かにロイヴァ・カフカが魔族と結託していた以上、組織全体が疑われるのも無理はない。
だが、それを理由に支部の人間を排除するなら、ヘルメースと関係があった貴族たちはどうなるのだろうか。
「……その点については、私も調査が必要だと考えております。しかし、ヘルメースに所属していたという理由だけで、すべての者を排除するのは現実的ではありません。必要なのは、事件への関与を調べた上で、問題のない者たちを適切に活用することでしょう」
「しかし、関係者を一人ひとり調査していては、交易の再開が大幅に遅れることになりませんか?」
「おっしゃる通りです。しかし、先ほどのご提案でも、ヘルメースの既存の支部を活用するとのことでした。であれば、そこで働く者たちの調査は、どちらの案を採用しても必要になるはずです」
「そ、それは……」
男は一瞬言葉を詰まらせたものの、すぐに表情を取り繕った。
「無論、必要な調査は行います。その上で、適任者を選別することになるでしょう」
「だとしたら、その点については我々の提案と大きな違いはないはずです」
ハンスがそう締めくくると、男はなおも反論しようと口を開きかけたが、円卓の向こう側でヴァレンティア公爵がゆっくりと席を立った。
それまで黙って議論を聞いていた公爵が席を立つと、議場の視線が自然と集まる。
しかし、公爵はそんな周囲の注目など意に介することなく、ハンスへと目を向けた。
「ハンス公の言い分も理解できる。要するに、交易の管理権限が一部の諸侯に集中することを問題視しているのだな」
「ええ。そのとおりです」
「しかし、今の王国に必要なのは、議論に時間を費やすことではない。一刻も早く交易を正常化させることだ。諸君も、その点に異論はあるまい」
公爵は議場を見渡しながら続けた。
「各領地の意見を尊重することは大切だ。しかし、今の混乱を収拾するには、責任の所在を明確にし、迅速に判断を下せる体制が必要となる。私は、そのために経験ある諸侯が中心となるべきだと考えている」
「その考え自体を否定しているわけではありません。ですが――」
「無論、ハンス公の懸念についても、十分に配慮するつもりだ」
公爵はハンスの言葉を遮るように続けた。
「管理機関の運営については、王国の監督を受けることを前提とし、各領地からも意見を受け付ける仕組みを設ければよい。これならば、双方の懸念も解消できよう」
各領地の意見を受け付けると言っても、最終的な決定権を誰が握るのかについては何も触れていない。
これでは、表向きは譲歩したように見えても、実際には大派閥の提案をほとんど変えていないことになる。
「いかがかな、ハンス公」
ヴァレンティア公爵は余裕のある笑みを浮かべたまま、返答を待っていた。
ハンスはしばらく公爵を見据えていたが、やがて静かに口を開いた。
「各領地の意見を取り入れるという点には賛成です。しかし、意見を受け付けるだけでは十分とは言えません。それらが実際の決定にどこまで反映されるのか。その点を明確にする必要があります」
「無論、その点も含めて今後の協議で定めればよい。今ここで、すべてを決める必要はあるまい」
公爵は満足げに頷くと、ゆっくりと席に腰を下ろした。
議長が口を開いた。
「それでは、本件につきましては、双方の提案を踏まえ、引き続き協議を行うことといたします。管理機関の設置および運営体制については、後日改めて審議するものといたしましょう」
結局、交易管理機関の設置については結論が出ないまま、次の議題へ進むことになった。
もっとも、大派閥が提案を取り下げたわけではない。今後の協議次第では、再び同じ問題が持ち上がるだろう。
俺が円卓の向こう側に座るヴァレンティア公爵へ目を向けると、公爵は何事もなかったかのように、隣の貴族と小声で言葉を交わしていた。
……さて、ここからが本番だな。




