歪36 王国評議会の幕開け
王城の奥深くに設けられた評議会場には、朝早くから多くの貴族たちが集まっていた。
高い天井から吊り下げられた幾つもの豪奢な燭台が広間を照らし、磨き上げられた大理石の床には、揺らめく炎の光が映り込んでいる。
議場の中央には大きな円卓が据えられ、その周囲には、各地から招集された貴族たちの席が派閥ごとに区分されていた。
すでに大半の席は埋まっており、開会を待つ貴族たちが同じ派閥の者同士で言葉を交わしている。
俺はハンスとともに指定された席へ向かいながら、さりげなく周囲の様子を窺った。
今回、ハンスはエルドルンで起きた事件について王命による報告を行うことになっており、俺も当事者として、特別に出席を認められている。
議場を見渡すと、見覚えのある顔も少なくない。
少し離れた席にはロンド伯爵バルドウィンの姿があり、こちらに気づくと、軽く目礼を寄越してきた。
一方、円卓の向こう側には、ヴァレンティア公爵をはじめとする大派閥の貴族たちが席を占め、彼らは周囲の喧騒など意に介さない様子で談笑しており、その表情からは余裕すら感じられた。
……随分と落ち着いているな。
もっとも、それも当然か。
今回の評議会に向けて、大派閥は相当な根回しを進めてきたはずであり、自分たちに有利な結論へ持ち込めるという自信があるのだろう。
だが、こちらとしてもエルドルンの惨劇を利用して、王国の利権を独占しようとする連中の思惑を、そのまま通すわけにはいかない。
議場の正面に目を向けると、王城の役人たちが慌ただしく持ち場につき始めていた。
それに合わせるように、貴族たちの話し声も徐々に収まっていく。
やがて、議事の進行を務める老齢の貴族が席を立ち、広間を見渡した。
「――皆様、お静かに願います」
よく通る声が議場に響き渡る。
「これより、王国評議会を開会いたします」
その宣言とともに、広間は静寂に包まれた。
――ハンス公の屋敷へ戻った俺は、公爵邸から連れ出したリーネを休ませるため、奥にある一室を借りることにした。
ハンスの指示で用意されたその部屋は、人目につきにくい静かな場所にあり、リーネを寝台に横たわらせると、彼女は張り詰めていた緊張が解けたのか、ほどなく静かな寝息を立て始めた。
その様子を確かめ、俺たちは彼女を起こさないよう静かに部屋を後にする。
「――それで、ラック公。なぜ君は彼女を公爵邸から連れ出したのだ? あれはヴァレンティア公爵の奴隷なのだろう?」
廊下を歩き始めたところで、ハンスが尋ねてきた。
「ラック公が奴隷制度についてどう思っているのかは分からないが、他人の所有する奴隷を無断で連れ出す行為は、決して軽い問題ではない。場合によっては、こちらが責任を問われることにもなりかねない」
「はい、それは分かっています。ですが……」
俺は一度言葉を切り、改めてハンスに向き直った。
「人身売買によって取引された奴隷となれば、話は別でしょう。彼女はヘルメースの闇オークションで売られた可能性があるんです」
その言葉に、ハンスは足を止めた。
「……闇オークションの? それは確かなのか?」
「リーネ本人がそう話していました。とはいえ、まだ確証はありません。ただ、彼女の話が本当なら、ロイヴァ・カフカとの繋がりを示す重要な手掛かりになるはずです」
ハンスはしばらく黙り込み、やがて小さく頷いた。
「なるほど……。確かに、それが事実なら大きな手掛かりになる。だが、どうやって確かめるつもりだ?」
「直接エルドルンで調べるのが一番でしょうね」
「直接? だが、評議会はあと数日後だぞ。今からエルドルンへ向かっていては、到底間に合わん」
「ええ、分かっています。ですから、別の手を使うつもりです」
「……何か考えがあるのか?」
「まあ、少し。うまくいくかは分かりませんが」
ハンスはそれ以上追及しなかった。
「それで、ハンス公に一つお願いがあるんですが、彼女をしばらくここで匿ってもらえませんか?」
ハンスは腕を組んで思案していたが、やがて静かに頷いた。
「分かった。彼女のことはこちらで引き受けよう」
「ありがとうございます」
ハンスが引き受けてくれたことで、ひとまずリーネの身の安全は確保できた。
あとは、期日までに証拠を掴めるかどうかだ。
翌日から、俺は評議会に向けて必要な準備を進めていった。
ハンスも連日、関係する貴族たちとの協議に追われており、俺はその合間を縫って情報を集めながら、手配していた件の進展を待つことになった。
果たして、評議会までに望む結果が得られるかどうか。残された時間は、そう多くなかった。
「――それでは、最初の議題に移ります」
議長の声に、俺は意識を目の前の円卓へと戻した。
「まずは、エルドルンの壊滅に伴う交易路の再編、および各領地における物資流通の安定化について協議いたします」
これまで王国の西方交易は、エルドルンに本拠を置く商業ギルド、ヘルメースが一手に担っていた。
王国にとっても、交易の管理から税の徴収までを一元化できる利点があり、その体制は長年にわたって維持されてきた。
だが、エルドルンの壊滅によって状況は一変した。
ヘルメースは事実上の機能不全に陥り、西方交易は混乱を極めている。当然、これまでヘルメースを通じて利益を得ていた貴族たちにも、その影響は及んでいた。
議長が手元の書類に目を落とし、説明を続けた。
「本件につきましては、すでに複数の提案が提出されております。それでは、順に説明をお願いしたいと思います」
そう告げられると、円卓の向こう側で一人の貴族が静かに立ち上がった。
その動きに合わせるように、周囲の視線が一斉に集まる。
立ち上がった男は居並ぶ貴族たちをゆっくりと見渡し、落ち着いた口調で話し始めた。
「――皆様もご承知のとおり、エルドルンの壊滅によって、我が国の交易体制は深刻な打撃を受けております」
男は一度言葉を切り、議場の反応を確かめる。
「これまで西方交易を担ってきたヘルメースが機能を失った今、各領地が個別に対応するだけでは、この混乱を収拾することは困難でしょう」
その言葉に、幾人かの貴族が静かに頷く。
「そこで我々は、王都に新たな交易管理機関を設置し、西方地域における交易の許認可や物資流通を一元的に管理することを提案いたします」
男はさらに言葉を続けた。
「各地に設けられた商業ギルドの支部については、既存の設備や人員を可能な限り活用し、引き続き交易業務を担ってもらいます。その上で、新たに設置する管理機関が各支部を統括することで、混乱した流通体制の早期立て直しを図るものです」
その提案に、大派閥の席から次々と賛同の声が上がった。
さらに、別の派閥に属する貴族たちの中にも、同意するように頷く者が見受けられる。
俺は隣のハンスへ視線を向ける。ハンスは表情を変えることなく、男の発言にじっと耳を傾けていた。
……やはり、そう来たか。
王都に新たな管理機関を設け、そこに自分たちが収まる。
そうすれば、交易の許認可から物資の流通に至るまで、大派閥の意向が反映される仕組みが出来上がる。
ヘルメースが握っていた西方交易の利権を、今度は自分たちの手で直接支配しようというわけだ。
俺は再び円卓へ目を向け、男の言葉に耳を傾けた。
評議会は、まだ始まったばかりだった。




