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幸運値に極振りしてしまった俺がくしゃみをしたら魔王を倒していた件  作者: 雪下月華
第十五章

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歪ー33 脱出劇



 ユシルが小さな両手をリーネへ向けた。


 次の瞬間、淡い光が彼女の身体を包み込み、やがて空気に溶け込むように薄れていった。


 そして、先ほどまで目の前にいたリーネの姿が、跡形もなく消えた。


 寝間着も、長い髪も、すべて見えなくなっている。


 「どう? 完璧でしょ?」


 ユシルが得意げに笑った。


 「……あ、あの……」


 何もない空間から、リーネの戸惑った声が聞こえてきた。


 「……本当に、見えなくなったんですか……?」


 「気になるなら、そこの鏡を見てみなさいよ」


 ユシルが部屋の隅に置かれた大きな姿見を指さすと、少しして、鏡の前から小さな足音が聞こえてきた。


 「……あ……」


 鏡には、誰の姿も映っていない。


 「……本当に、見えない……」


 リーネの声には、驚きが滲んでいた。


 「それじゃ、リーネ――」


 俺は声のした方へ手を伸ばし、彼女の位置を確かめると、その場に膝をついた。


 そして、リーネの身体を慎重に引き寄せ背中へと回すと、小柄な彼女の身体を背負い、両脚を支えながらゆっくりと立ち上がった。


 「苦しくないか?」


 「……はい。大丈夫です……」


 背中から小さな返事が聞こえる。


 リーネは思っていた以上に軽く、これなら移動する分には問題なさそうだ。



 「……ねえ、ラック」


 「ん?」


 「それなら、両手も使えるんじゃない?」


 「ああ、そうだな。必要な時にはリーネにしがみついていてもらえばいい」


 試しに、彼女を支えていた両手を離してみる。


 「リーネ、少しの間だけ、俺の肩に掴まっていてくれ」


 「……はい」


 背中に回された小さな腕に、きゅっと力がこもった。


 俺はそのまま数歩歩いてみたが、特に問題はなさそうだ。


 これなら、使用人や招待客とすれ違う際にも、不自然な姿勢を取らずに済むだろう。


 「ふぅん。なかなかいいじゃない」


 俺は再びリーネの脚を支えると、肩に回されていた彼女の腕から、ほっとしたように力が抜けるのが分かった。


 もっとも、透明になったからといって、気配まで消せるわけではない。


 人にぶつからないよう注意する必要はあるし、背中に何かを背負っていると気づかれる可能性もある。


 それでも、両腕で抱えて移動するよりは遥かに都合がいい。


 「それじゃ行くか」


 「……はい」


 

 俺はリーネを背負ったまま部屋を出ると、廊下を抜けて階段を上がり、先ほど書類を見つけた部屋へ戻った。


 ここから先は警備兵や使用人だけでなく、招待客と鉢合わせる可能性もある。


 周囲への警戒を怠らず、できるだけ速やかに屋敷を抜け出したいところだ。


 俺は廊下へ続く扉を開き、外の様子を確かめてから部屋を出ると、そのまま夜会の会場へ向かって歩き始める。


 しばらく進むと、廊下の先から微かに人の話し声が聞こえてきた。


 この先を進めば、一階へと通じる階段があるはずだ。


 そこまで行けば夜会の会場も近い。


 俺はリーネの脚を支え直し、周囲に気を配りながら廊下を進んでいく。


 やがて、別の通路と交わる場所へ差しかかったところで、曲がり角の向こうから一人の男が姿を現した。


 黒い燕尾服を身に纏った、初老の男だ。


 おそらく、この屋敷の使用人だろう。


 その姿を認めた途端、背中のリーネがびくりと身を強張らせた。


 俺の肩に回された腕に力がこもり、背中越しに彼女の鼓動が伝わってくる。


 俺はリーネの脚を軽く叩き合図を送ると、支えていた両手を離した。


 彼女は俺の背中にしがみついたまま、息を潜めている。


 そのまま何食わぬ顔で歩き続けようとしたのだが、男は俺の姿を見るなり足を止めた。


 「……お客様?」


 「ん?」


 「失礼ですが、こちらで何をなさっているのでしょうか?」


  男は丁寧な口調で尋ねてきた。


  その瞬間、肩に回されたリーネの腕が、さらに強く締まった。


  背中から伝わる鼓動が、先ほどよりも速くなっている。


  小さく、浅い呼吸を繰り返しているのも分かった。


 ……落ち着け、リーネ。


 そう声をかけてやりたいところだったが、俺は彼女の存在を意識させないよう、平然と男へ向き直った。


 「ああ、すまない。少し迷ってしまってね。化粧室を探していたんだが、どうやら違う方へ来てしまったらしい」


 俺は困ったように笑ってみせた。


 男は一度、俺が歩いてきた廊下へ視線を向けた。


 「……左様でございましたか。ですが、こちらはお客様がお立ち入りになる場所ではございません」


 「そうだったのか。それは失礼した」


 「いえ。化粧室でしたら、こちらの廊下を真っ直ぐお進みいただき、突き当たりを右へ曲がった先にございます」


 「助かった。ありがとう」


 俺は軽く頭を下げ、何食わぬ顔で男の脇を通り抜けようとした。


 だが、その時だった。


 「――恐れ入りますが、お客様」


 再び声をかけられた途端、背中のリーネが小さく震えた。


 肩に食い込む指先に、必死さが滲んでいる。


 俺は何事もなかったように足を止め、ゆっくりと振り返った。


 「まだ何か?」


 「差し支えなければ、お名前を伺ってもよろしいでしょうか?」


 なるほど。


 やはり、多少は怪しまれているらしい。


 「アルフレッドと申します。今夜は叔父のベルナー子爵に同行して、夜会に参加させていただいております」


 「……ベルナー子爵様の甥御様でございましたか」


 「はい。慣れないお屋敷で、すっかり迷ってしまいまして。お手数をおかけして申し訳ありません」


 「いえ、とんでもございません。こちらこそ、失礼いたしました」


 男は丁寧に頭を下げた。


 俺は軽く会釈すると、角を曲がり、男の姿が見えなくなったところで、リーネの脚を支え直した。


 すると、背中にしがみついていた腕から、少しずつ力が抜けていった。


 「……リーネ、大丈夫か?」


 「……は、はい……」


 耳元で、震える声が聞こえた。


 続いて、堪えていた息を吐き出すような、小さな吐息が漏れる。


 背中越しに伝わる鼓動はまだ速いままだったが、先ほどまで強張っていた身体からは、少しずつ力が抜け始めていた。


 再び廊下を歩き始めると、ほどなくして一階へと続く階段が見えてきた。


 幸い、周囲に人の姿はなく、俺はリーネを背負ったまま階段を下りていく。


 一階へ降りると、先ほどまで遠くに聞こえていた人々の話し声が一段と大きくなり、廊下を行き交う使用人や招待客の姿も増えてきた。


 ここから先は、さっきのように一人ずつ相手をしているわけにはいかない。


 それに、ユシルの魔法がいつまで持つか分からないうえ、リーネの細い腕で俺の背中にしがみつき続けるのも限界があるだろう。


 あまり時間をかけてはいられない。


 まずは屋敷を抜け出し、リーネを馬車の元まで連れていこう。


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