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幸運値に極振りしてしまった俺がくしゃみをしたら魔王を倒していた件  作者: 雪下月華
第十五章

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歪ー32 囚われの少女



 とはいえ、どうやって連れ出すか。


 ここはヴァレンティア侯爵邸の地下だ。屋敷の中には大勢の使用人がいるし、今夜は夜会のために招かれた客も多い。


 俺一人ならともかく、彼女を連れて堂々と正面玄関から出ていくわけにはいかないだろう。



 だが、その前に確かめておきたいことがあった。


 俺は少し考えてから、リーネに声をかけた。


 「なぁ、リーネ。君さえよければ、俺と一緒にここから逃げ出さないか?」


 その言葉に、リーネは驚いたように顔を上げた。


 「……え?」


「こんなところにいつまでもいる必要はないだろ。俺が何とかして外まで連れ出すよ」


 リーネは目を見開いたまま、しばらく俺を見つめていた。


 だが、やがてその表情が曇り、ゆっくりと首を横に振った。


 「……だめ、なんです」


 「どうして?」


 「……私は、ここから出られないんです」


 「出られない?」


 「……はい」


 「どうして出られないんだ?」


 リーネは俯いたまま、震える声で答えた。


 「……ここから出ようとすると……」


 そこで言葉を詰まらせると、怯えたように自分の胸元へ視線を落とした。


 そして、震える手で寝間着の襟元を僅かにずらす。


 鎖骨の下あたりに、黒い紋様が刻まれていた。


 複雑な線が幾重にも重なり、小さな魔法陣を形作っている。


 「……これは?」


 俺が目を凝らしていると、耳元からユシルの声が聞こえてきた。

 

 「……ふぅん。なるほどね」


 「ユシル、何か分かるのか?」


 「詳しく調べてみないと分かんないけど、何かしらの魔法契約が結ばれてるみたいね」


 「魔法契約?」


 「そう。あの魔法陣を通して、特定の条件を守らせるような仕組みになってるんじゃないかしら」


 なるほど。


 つまり、彼女がここから出られないと言ったのは、この魔法陣が原因なのか。


 俺は改めてリーネへ目を向けた。


 「リーネ。その魔法陣は誰に?」


 リーネの顔から、さっと血の気が引く。


 そして、震える唇をゆっくりと開いた。


 「……ご主人様、です」


 「ご主人様?」


 「……はい。私を買った人です……」


 「そいつが誰なのかは分かるか?」


 リーネは小さく首を横に振った。


 「……分かりません」


 どうやら、自分を買った相手の素性までは知らないらしい。


 リーネは俯くと、胸元の魔法陣を押さえながら、ぽつりぽつりと話し始めた。


 「……ご主人様に言われたんです。逆らったり、ここから逃げ出そうとしたら……」


 そこで一度言葉を切り、震える声で続けた。


 「……お前は死ぬって……」


 俺は思わず息を呑んだ。


 「……死ぬ?」


 「……はい。だから、ごめんなさい……」


 リーネは俯いたまま、小さく身体を震わせていた。



 どうやらこの魔法陣を使って彼女の逃亡を禁じているらしい。


 ここがヴァレンティア侯爵邸である以上、それが侯爵自身の可能性は高い。


 だが、リーネの話だけでは、彼女を買った人物が誰なのかまでは分からなかった。



 「ユシル、今の話、本当だと思うか?」


 「んー、どうかしら。けど、この状況を見る限りそういう契約が結ばれてる可能性は高いわね」


 「そうか……」


 俺はリーネの胸元に刻まれた魔法陣へ目を向ける。


 主人に逆らったり、逃げ出そうとしたりすれば死ぬ。


 それが本当なら、迂闊に彼女を連れ出すわけにはいかない。


 「逃げ出したら死ぬ、か……」


 俺は腕を組み、考え込む。


 魔法陣に刻まれた契約を解除できれば話は早いんだが、俺にそんな知識はない。


 恐らく契約主を殺せば、この魔法陣も解除されるのだろうが、リーネの言っていた人物がヴァレンティアの当主ならそう簡単に手は出せない


 ……どうする。


 このまま彼女を置いていくか。


 いや、彼女はヴァレンティア家とカフカとの繋がりを示す重要な手掛かりになるかもしれない



 どうにかして彼女を連れ出す方法はないものか。



 そう考えを巡らせていると、不意にユシルが口を開いた。



 「……ねえ、リーネ。あなた、この部屋から出たことはあるの?」


 突然の質問に、リーネは何を聞かれているのか分からないといった様子で、一瞬戸惑いの表情を浮かべた。


 「……えっと、あります」


 「そうなのか?」


 俺は思わず聞き返した。


 リーネは小さく頷いた。


 「……はい」


 「その時は、どうやって?」


 「……首に鎖を繋がれて……ご主人様と一緒に……」


 そこでリーネは口を閉ざした。


 何を思い出したのか、その顔には再び怯えの色が浮かんでいる。


 俺はそれ以上詳しく尋ねるのをやめた。



 「つまり、そのご主人様ってやつの許可さえあれば、この部屋から出ることができるってわけね」


 「……それってこの契約が部屋から出ること自体を禁止しているわけじゃないのか」


 「たぶんね。この子が自分から逃げようとしたり、そいつの命令に逆らったりすると発動するようになってるんじゃないかしら?」


 確かに、それなら辻褄が合う。


 だとすれば、契約を解除せずに彼女を連れ出す方法もあるかもしれない。


 「じゃあ、本人が逃げようとしなければ問題ないってことか?」


 「ま、そういうことになるわね。あくまで私の推測だけど」



 リーネ自身が逃げ出すための行動を起こさなければ、魔法陣は発動しない可能性がある。


 ならば、俺が彼女を抱えて運べばどうだろう。


 少なくとも、彼女自身が逃げ出すのとは事情が違う。



 「なぁ、ユシル。俺がリーネを抱えて連れ出したらどうなると思う?」


 「んー、それなら大丈夫かもしれないわね。本人は何もしないわけだし」


 「そうか」


 「でも、絶対とは言えないわよ? 契約の中身が分かってるわけじゃないんだから」


 「ああ、分かってる」



 万が一にも彼女の命に関わることだ。


 慎重に判断しなければならない。


 俺は改めてリーネへ目を向けた。



 「――リーネ。ひとつ確認させてくれ。君は本当にここから逃げ出したいと思っているか?」


 リーネは驚いたように目を見開いた。


 「……え?」


 「さっきの魔法陣だけど、おそらく俺が君を連れ出す分には発動しないと思う」


 リーネは胸元を押さえたまま、困惑した様子で俺を見つめていた。


 無理もない。


 逃げ出せば死ぬと脅されてきた彼女にとって、俺の言葉は簡単に信じられるものではないだろう。


 「もちろん、絶対に安全だとは言い切れない。だから、君が怖いと思うなら無理に連れ出すつもりはない」


 俺は彼女の目を見つめ、静かに続けた。


 「でも、もし君がここから逃げ出したいと思っているなら、俺に手伝わせてくれないか?」


 リーネは俯いた。


 胸元の魔法陣を押さえる指に、ぎゅっと力がこもる。


 しばらくの間、沈黙が続いた。


 やがて、消え入りそうな声が聞こえた。


 「……私……」


 そこで一度言葉を詰まらせる。


 「……本当は……ここから、逃げ出したいです……」


 俺は静かに頷いた。


 「分かった」


 すると、頭の上でユシルが呆れたようにため息をついた。


 「ラック、あんたも大概お人好しね。けど、この娘を抱えて連れ出すなんて、そんな簡単にできるわけ?」


 ユシルの言葉に、俺は思わず口を閉ざした。


 確かに、彼女の言う通りだ。


 ここから脱出するには、まず地下へ続く階段を上がり、先ほど書類を見つけた部屋を抜け、それから廊下を通って屋敷の外へ出なければならない。


 しかも、今夜は夜会の真っ最中だ。屋敷には大勢の招待客が集まり、使用人たちも忙しく行き来している。


 庭には煌々と明かりが灯され、大勢の警備兵が目を光らせていた。


 あの様子では、彼女を抱えて窓から飛び降りたところで、すぐに見つかってしまうだろう。


 誰にも見つからずに脱出するなど、不可能に近い。


 「……そうだな」


 「でしょ? いくらあんたでも、誰にも見つからず脱出するなんて、透明にでもならない限り無理じゃない?」


 透明?


 ……透明、か。


 俺はふと、頭の上にいるユシルへ意識を向ける。


 そして、おもむろに片手を伸ばし、その小さな身体をひょいと摘まみ上げた。


 「ちょっ!? な、なによ、いきなり!」


 ユシルが手足をばたつかせながら抗議の声を上げた。


 俺はそんな彼女を目の高さまで持ち上げ、にやりと笑った。


 「なぁ、ユシル。お前って、自分の姿を見えなくできるよな?」


 「……は? できるけど……」


 ユシルは一瞬きょとんとした後、何かを察したように眉をひそめた。


 「それって、他の人間にも使えるのか?」


 「……できなくはないわよ。でも、今のアタシじゃ、透明にできるのはせいぜいあと一人が限界ね」


 「一人か……」


 「しかも、そう長くは持たないわよ。ずっと透明にしておくなんて無理なんだから」


 なるほど。


 けど、それで十分だ。


 俺まで透明になる必要はない。


 リーネの姿さえ隠すことができれば、少なくとも彼女を連れていることは周囲に気づかれずに済む。


 「……ちょっと、あんた。また私をこき使おうとしてるわけじゃないでしょうね?」


 ユシルは俺の指に摘ままれたまま、じとりとした目を向けてきた。


 どうやら、こちらの考えはすっかりお見通しらしい。


 「――無事に俺たちが脱出できたら、王都一の料理店に連れて行く。これでどうだ?」


 その瞬間、ユシルの表情がぴたりと固まる。


 「王都で……一番の料理店? ラック、あんた、それ嘘じゃないわよね?」


 「ああ。好きなものを好きなだけ食べていいぞ」


 「お酒は?」


 「……はぁ、仕方ないな」


 「ふふん! 契約成立ね!」


 ユシルは満足そうに胸を張った。


 まったく、現金な奴だ。


 「で、この子を透明にして、こっそり連れ出せばいいのね?」


 「話が早くて助かるよ」


 「ま、アタシにかかればそれくらい朝飯前よ! ……って言いたいところだけど、さっきも言った通り、長い時間は無理だからね?」


 「ああ、分かってる」


 「それから、姿が見えなくなるだけだから、気配や音まで消えるわけじゃないし、人にぶつかったら普通にバレるんだから」


 「その辺は気をつけるよ」


 「よろしい! それじゃ、さっさとこんな場所からおさらばしましょ!」


 ユシルはすっかり上機嫌になり、勢いよく片手を突き上げた。



 これでリーネを連れ出す算段はついた。


 色々と制約はあるが、何の策もなく彼女を抱えて歩くよりは、ずっと現実的だろう。



 あとは俺が上手く立ち回り、屋敷を抜け出すだけだ。





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