歪ー26 手掛かり
しばらく進むと、通りの先に一軒の屋敷が見えてきた。
その裏手、人目につきにくい場所に黒いマントを纏った小さな姿がある。
俺が傍まで近づくと、ヴェルは俺に気づき、すぐに屋敷の方へ視線を戻した。
その先では、ちょうど男が周囲を確かめるように一度だけ振り返り、屋敷の裏口へ入っていくところだった。
俺は何も言わず、扉が閉まるまでその様子を見届けると、改めて目の前の屋敷へ視線を向けた。
石造りの塀に囲まれた二階建ての屋敷で、裏手からでは誰の屋敷なのかまでは分からない。
だが、今は場所さえ分かれば十分だ。
おそらく、俺の暗殺を命じた人物は、この屋敷と何らかの関わりがあるのだろう。
もちろん、まだそうと決まったわけじゃない。
だが、少なくとも調べるだけの手掛かりは掴めた。
「戻ろう、ヴェル」
「うん」
俺は最後にもう一度屋敷へ目を向けると、ヴェルと共に来た道を引き返した。
ハンス公の別邸へ戻ると、書斎には明かりが灯っていた。
中へ入ると、机には何冊もの資料が広げられ、その前でハンスが書類に目を通している。
どうやら、ヘルメースのオークションに参加していた貴族について調べていたらしい。
「――戻ったか、ラック公。それで、首尾のほうは?」
俺が小さく頷くと、ハンスは手にしていた書類を机へ置き、こちらへ向き直った。
俺は今夜あったことを順に説明していく。
「……危険を冒してまで囮になった甲斐はあったようだな」
「向こうも俺が一人になる機会を窺っていたんでしょう。思ったより早く食いついてきました」
「それで、君の暗殺を企てた奴の手掛かりはあったのか?」
「はい。襲撃を依頼していた男の足取りを掴みました」
その言葉に、ハンスの表情が変わる。
「場所は?」
「……王都にある貴族の屋敷です。ただ、誰の屋敷なのかまでは分かりません」
ハンスは少し考えるように目を細めた。
「なら、こちらで急ぎ調べさせよう。王都の屋敷なら、持ち主を突き止めるのはそう難しくない」
「お願いします」
俺は頷くと、懐にしまっていた一本の短剣を取り出した。
「それと、もう一つ調べたいことがあります」
「なんだ?」
「襲ってきた連中が使っていた短剣です。刃に毒が塗られていました」
ハンスは短剣へ視線を落とした。
「なるほど。どこから手に入れたものか分かれば、依頼人へ繋がる証拠になるかもしれんな」
「おそらく。俺は明日、毒の入手先を探ってみます」
――その夜、部屋へ戻った俺は、持ち帰った短剣を机の上に置き、刃に残っていた毒を調べることにした。
灯りに翳して刃の表面を確認し、僅かに残っていた毒を採取する。
色や匂い、それにいくつか簡単な反応を確かめていくうちに、一つ心当たりが浮かんだ。
「……ネブラか」
山間部に自生するネブラ草の根から採取される成分で、適切に処理すれば解毒薬の材料として使うことができる。
ただし、精製の仕方によっては強い毒性を持つ厄介な代物だ。
扱いも難しく、量を誤ればかえって命に関わるため、薬として使われることはあっても一般的なものではない。
刃に残っている量では断定まではできないが、色や匂いからして、おそらく間違いないだろう。
……問題は、これをどこで手に入れたのかだ。
扱いの難しさもあって、王都でもネブラ草を置いている店はそう多くないはずだ。
取扱店を見つけることができれば、そこから購入した人間まで辿れるかもしれない。
翌朝。
朝食を終え、出かける準備を整えていると、ハンスが俺たちを呼び止めた。
「ラック公、昨晩の屋敷の件についてだが――」
ハンスはそこで一度言葉を切り、俺へ視線を向ける。
「もしかして、もう分かったんですか?」
「ああ。あの場所はローデン家の屋敷のようだ。現当主はローデン男爵。王都に屋敷を構えている下級貴族の一人だ」
当然ながら、名前を聞いてもまったく心当たりはない。
そもそも俺は、この国の貴族についてほとんど知らないし、王都ともなれば、名前すら聞いたことのない貴族の方が圧倒的に多いだろう。
「どんな人物なんです?」
「そこまではまだ調べがついていない。昨夜、君たちが追った男についても含め、引き続き調べさせている」
ローデン男爵か……。
もし今回の襲撃を命じたのがローデン男爵だとすれば、気になるのは俺を狙う理由だ。
俺には男爵と面識どころか、その名前にすら覚えがない。
当然、個人的な恨みを買った覚えもない。
だとすれば、やはり今回の評議会が関係している可能性が高い。
もしかしたらロイヴァ・カフカと繋がりがあるのかもしれない。
――まあ、どちらにしても数日中にはハンス公の調査で何か分かるだろう。
俺はひとまず考えるのをやめると、ハンスに礼を伝え、ヴェルたちと共に屋敷を後にした。
「――それで、今日はどこへ行くんじゃ?」
隣を歩くドワ娘が尋ねてくる。
「まずはクロマ商会だ。薬を扱ってる店をいくつか教えてもらおうと思ってる」
俺はそう言って、懐から小さな瓶を取り出した。
中には昨夜、短剣の刃から採取した毒が僅かに入っている。
「短剣に塗られていた毒ですか」
ラフィテアが小瓶を覗き込む。
「ああ。まずはこれを扱ってそうな店を回ってみる。運がよければ、誰が買ったのかまで辿れるかもしれない」
「そんな簡単に分かるものかのぅ?」
「分からないだろうな。だから調べるんだよ」
王都には薬を扱う店も多い。
その中から目的のものを一軒ずつ探して回るのは骨が折れる。
まずはクロマ商会へ行って、薬草や薬品を扱っている店をいくつか教えてもらうことにした。
「ねえ、それって時間かかる?」
頭上からユシルの声が降ってくる。
「たぶんな」
「じゃあ私、途中でなんか食べたいんですけど」
「店を回りながらな」
「ならいいけど」
そんな話をしているうちに、クロマ商会の王都支部へ到着した。
中へ入ると、近くにいた商会員へ声をかける。
「少し聞きたいんだが、これを扱っている店を知らないか?」
俺は先ほどの小瓶を取り出して見せた。
商会員は瓶の中身を覗き込み、僅かに首を傾げる。
「こちらは?」
「ネブラ草という薬草の一種だ。王都でこれを扱っている店を探してる」
「ネブラ草でございますか……」
商会員はしばらく考えたあと、薬草を専門に扱っている店を何軒か教えてくれた。
実際にネブラ草を置いているかまでは分からないらしいが、これだけ候補を絞れれば十分だ。
礼を言ってクロマ商会を出ると、そのまま教えてもらった店へ向かった。
――しかし、候補が絞れたと言っても店の数はそれなりにあり、すべて回るとなればかなり時間がかかる。
一軒目、二軒目と回ってみたが、案の定ネブラ草を扱っているところは見つからない。
「なかなか見つからんのぅ」
外へ出ると、待っていたドワ娘が腕を組む。
「まあ、扱いの難しい薬草だからな。置いてる店が少ないのも仕方ないさ」
「ですが、逆を言えば、扱っている店さえ見つかれば購入先をかなり絞り込めるということですね」
ラフィテアの言葉に頷く。
「そういうことだ」
どこでも手に入るようなものなら、購入した人間を辿るのは難しい。
だが、扱っている店そのものが少ないなら話は別だ。
時間はかかっても、探す価値は十分にある。
「さて、次に行くか」
そう言って歩き出すと、頭の上にいたユシルが不意に身を乗り出した。
その視線の先には、通りに並ぶ露店がある。
「ねえ、あれ食べていい?」
「あとでな」
「さっき店を回りながらって言ったじゃない」
「まだ三軒目だろ」
「関係なくない?」
頭の上から聞こえてくるユシルの不満を聞き流しながら、俺たちは次の店へ向かった。
その後も教えられた場所を順番に回っていくが、やはりどこへ行っても返ってくる答えは同じ。
そうこうしているうちに時計は昼を回り、俺たちは一度ネブラ草探しを中断して昼食を取ることにした。
「やっとご飯! もうお腹ぺこぺこなんですけど!」
「朝もしっかり食べてただろ」
「どれだけ歩いたと思ってるのよ」
「お前は俺の頭の上で座っているだけだろうが」
「ずっと待ってるのも疲れるの!」
そう言って頬を膨らませるユシルだったが、料理が運ばれてくると途端に機嫌を直し、目の前の皿へ飛びついた。
待たされた分を取り戻すように料理を頬張るユシルに付き合い、俺たちも腹を満たしてから再び店を回り始める。
それからさらに何軒か訪ねたところで、ようやくこれまでとは違う答えが返ってきた。
「ネブラ草をくれないか?」
「……ネブラ草ですか。少々お待ちください」
店主はそう言うと、帳場に置かれていた帳面を開き、頁を捲っていく。
しばらくして目的の箇所を見つけたのか、指で記載を追ったあと、今度は傍らにあった別の帳面へ手を伸ばした。
どうやら販売記録と在庫を確認しているらしい。
「申し訳ございません。あいにく、ただいま品切れ中でして」
「品切れ?」
「はい。先日、最後の在庫が売れてしまいまして」
ようやく見つけたか。
少なくとも、ここではネブラ草を扱っている。
「困ったな。ローデン家の遣いで来たんだが、少しも残ってないのか?」
「ローデン家の……」
店主は俺の顔を見たあと、先ほど確認していた帳面へ視線を落とした。
その反応を見て、もう一歩踏み込んでみる。
「前と同じものが欲しいと言われてるんだ。少しでも残ってないか、確認してもらえない?」
「……かしこまりました。念のため、奥も確認して参ります」
「頼むよ」
店主は先ほど確認していた帳面を閉じると、そのまま店の奥へ入っていった。
その姿が見えなくなるのを待って、俺は帳場へ視線を向ける。
さっき店主が確認していた帳面が置かれている。
俺は奥の様子を窺いながら帳場へ近づくと、帳面を開き、先ほど店主が見ていた辺りを探した。
ほどなくして、ネブラ草の記載が目に入る。
日付と数量。その横には、購入した者の名前が記されていた。
知らない名前だ。
少なくとも、ローデンという名ではない。
俺はその頁を破り取って懐へしまうと、帳面を閉じて元の場所へ戻した。
ほどなくして、奥から足音が聞こえてくる。
俺は何事もなかったように帳場から離れた。
「お待たせしました。やはり残っておりませんでした。次に入ってくるのは、一週間ほど先になると思います」
「そうか。それなら仕方ないな」
礼を言って外へ出ると、ラフィテアたちがこちらを見る。
「どうじゃった?」
「見つけた。この店でネブラ草を扱ってる」
俺は周囲を確認してから、懐にしまった紙を取り出した。
ラフィテアが目を瞬く。
「購入記録……ですか?」
「ああ」
記録には購入した日付と数量、そして一人の男の名前が残されている。
ローデン家の遣いだと告げたとき、店主は否定せず、販売記録を確認していた。
そして、その帳面に残されていたのがこの名前だ。
誰なのかまでは分からないが、ローデン家とネブラ草を繋ぐ手掛かりが見つかったのは大きい。
ハンス公には、この男についても調べてもらう必要がありそうだ。




