歪ー21 ボニファス司祭
通りの先へ目を向けると、建物の間から見えていた白亜の大聖堂は、いつの間にかその全貌が見えるほど近くまで迫っていた。
やがて大通りを抜けると、目の前に広い石畳の広場が現れる。
その奥にそびえているのが、聖リヴォニア教会の大聖堂だった。
幾つもの尖塔が空へ伸び、正面へ続く長い石段の先には巨大な扉が構えている。
「大きい……」
隣でヴェルが大聖堂を見上げ、小さく呟く。
「これが聖リヴォニア教会の大聖堂か」
「はい。昔とほとんど変わっていませんね」
ラフィテアにとっては見覚えのある光景らしい。
そういえば、ラフィテアはセレナの傍仕えとして王都の学院に通っていたんだったな。
「ラフィテアはここにも来たことがあるのか?」
「ええ。学院にいた頃に何度か」
「なるほどな」
「ふむ。人間の建物にしては、なかなか立派ではないか」
ドワ娘も大聖堂を見上げながら感心したように呟く。
ドワーフが他種族の建築物を褒める時は、大抵頭に『ドワーフには及ばぬが』と付いている気がするので、これでも相当評価しているのだろう。
それよりも俺が気になったのは、大聖堂そのものではなく、その周囲に集まっている人の多さだった。
広場には礼拝に訪れた者たちが絶えず行き交い、その中には裕福そうな者もいれば、粗末な服を着た者もいる。
広場の一角では修道女たちが食べ物を配り、少し離れたところでは別の修道女が老人の身体を支えながら歩いていた。
「昔からこんな感じなのか?」
「そうですね。私が王都にいた頃も、礼拝に訪れる方は多かったですよ。それに、教会へ助けを求めて訪れる方も珍しくありませんでした」
ラフィテアが懐かしむように広場を見渡す。
ハンス公やバルドウィン伯爵から聞いた話では、どうしても大派閥と結びついた政治的な組織という印象が強かった。
だが、ここにいる人間たちにとっては、そんなことは関係ないのだろう。
祈りに来た者もいれば、助けを求めて訪れた者もいる。
少なくとも、目の前にある光景だけを見れば、先ほどラフィテアから聞いた教会の活動そのものだった。
「ねえ、あれって食べ物を配ってるわけ?」
ユシルが広場の一角を指差す。
「施しでしょうね。教会では珍しいことではありませんよ」
ラフィテアが答える。
「へえ。ちゃんとそういうこともしてるのね」
「パパ、行かないの?」
ヴェルに服の裾を引かれ、俺は大聖堂へ視線を戻した。
「ああ、行こう」
俺たちは人の流れに混じり、正面の石段を上っていった。
大きく開かれた扉をくぐると、それまで聞こえていた街の喧騒が一気に遠ざかる。
中へ入って最初に目に飛び込んできたのは、広大な礼拝堂だった。
高い天井を何本もの白い石柱が支え、左右には色鮮やかな色硝子が並んでいる。そこから差し込んだ光が床を淡く染め、奥には大きな祭壇が設けられていた。
長椅子には多くの人が座り、静かに祈りを捧げている。
これだけ人がいるにもかかわらず、不思議なくらい静かだ。
自然と俺たちも声を落とす。
「パパ」
ヴェルが俺の服の裾を引いた。
「どうした?」
「あれ、女神様?」
ヴェルが指差した先を見る。
祭壇のさらに奥には、一人の女性を象った巨大な白い像が立っていた。
穏やかな表情を浮かべ、両手を広げるようにして人々を見下ろしている。
「あれが女神リヴォニアですよ」
ラフィテアが小声で教えてくれる。
ヴェルは興味深そうに女神像を見上げていたが、ドワ娘は周囲で祈る人々の方を見ていた。
「随分と信徒が多いのじゃな」
「聖リヴォニア教会は王国各地に教会を持っていますからね」
ラフィテアが答える。
「ふむ……」
ドワ娘はそれ以上何も言わなかったが、礼拝堂を埋める人々を改めて見渡していた。
ドワーフの王女であるこいつからすれば、これだけの人間が一つの教えの下に集まっている光景は、俺とはまた違って見えるのかもしれない。
俺も祭壇へ向かって祈りを捧げる人々を眺める。
これだけ多くの信徒を抱える教会が、今回のエルドルンの一件をどう受け止めているのか。
そんなことを考えていると、一人の修道女がこちらへ歩いてきた。
「――何かお困りでしょうか?」
俺たちの前まで来ると、修道女は丁寧に頭を下げた。
ちょうどいい。
「すみません、少しいいですか」
「はい。どのような御用でしょうか?」
「私はオルメヴィーラ領の領主、ラック・オルメヴィーラと申します」
「オルメヴィーラ公爵様……?」
俺が名乗ると、修道女の表情が僅かに変わった。
「知らずに大変失礼いたしました」
「いえ、気にしないでください。それより今日は、教会へ寄付をしたいと思って来たんです」
「寄付、でございますか?」
「はい。少しまとまった額を考えているので、できればその話ができる方に取り次いでいただけませんか?」
修道女は僅かに目を見開いたが、すぐに姿勢を正した。
「かしこまりました。確認して参りますので、少々こちらでお待ちいただけますでしょうか」
「ありがとうございます。お願いします」
修道女は深く一礼すると、礼拝堂の奥へと歩いていった。
――しばらくすると、先ほどの修道女が戻ってきた。
「お待たせいたしました、ラック様。主任司祭がすぐお会いになるそうです。こちらへどうぞ」
「分かりました」
俺たちは修道女の後について礼拝堂の奥へと進む。
通されたのは、大聖堂の一角にある応接室だった。
室内には大きな机と幾つかの椅子が置かれ、壁際には書棚が並んでいる。
そこで待っていたのは、恰幅のいい五十歳ほどの男だった。
「これはこれは、オルメヴィーラ公爵様。ようこそお越しくださいました」
男は俺の姿を見るなり、満面の笑みを浮かべて立ち上がった。
「私はこちらの大聖堂で主任司祭を務めております、ボニファス・グレーデンと申します」
「ラック・オルメヴィーラです。突然の来訪にも関わらず、お時間を作って頂きありがとうございます」
「とんでもございません。ご寄付をお考えいただいていると伺いました。いやはや、まことにありがたいことでございます」
寄付という言葉を口にした途端、ボニファス司祭の笑みがさらに深くなった。
随分と分かりやすい人だな。
「どうぞ、皆様もお掛けください」
勧められるまま、俺たちは椅子へ腰を下ろした。
それから寄付について簡単な説明を受け、俺も幾つか確認する。
具体的な金額については後ほどクロマ商会を通して届けてもらうことにすると、ボニファス司祭は満足そうに何度も頷いていた。
「いやはや、ありがたいことでございます。公爵様のご厚意に、心より感謝いたします」
「いえ。少しでも教会の役に立ててもらえれば」
「もちろんでございますとも」
ボニファス司祭は上機嫌に答えると、俺たちの前に並べられた茶へ手を伸ばした。
寄付の話が一段落したことで、先ほどまでよりも幾分くだけた空気になる。
「――ところで公爵様。このたびは、どういったご用件で王都へいらっしゃったのですかな?」
「ええ、実は少し前まで、リヒテンシュタイン領にいたのです」
「リヒテンシュタイン領に? それはまた、随分と遠方まで足を運ばれて」
ボニファス司祭が意外そうに目を丸くする。
オルメヴィーラ領は王国の東の果てにある。それに対して、リヒテンシュタイン領は王国の最西端だ。
普通に考えれば、俺がそこにいたことを不思議に思うのも無理はない。
「ええ。所用でバラマール領へ出向いていたんですが、その帰りにリヒテンシュタイン領へ立ち寄ることになりまして」
「なるほど。それでリヒテンシュタイン領へ」
「はい。その時に海洋都市エルドルンにも立ち寄ったんですが、……実はそこで魔族の襲撃に遭ったのです」
「……なんと」
ボニファス司祭の表情が変わった。
すぐには何も言わず、一度部屋の中を見回す。
それから扉の方へ視線を向け、誰かに話を聞かれていないか確かめるような素振りを見せた。
「……では、王都へ来られたのも、その件を国王陛下へ報告するために?」
「はい。エルドルンで起きたことを陛下にお伝えするため、先ほど王城へ伺ってきたところです」
「そうでしたか……」
ボニファス司祭はしばらく黙り込んだあと、声を潜めるようにして口を開いた。
「実は、海洋都市で何やら大変なことが起きたという話は、私も少しばかり耳にしておりましてな」
「そうですか」
「もっとも、私も詳しい話まで存じませんが。どうやらこの件に魔族が関わっているということと、かなりの被害が出たらしいということくらいでして」
なるほど。
教会の主任司祭でも、その程度しか知らされていないのか。
「――ただ、その件を受けて近く評議会が開かれるという話は聞いております」
「評議会が?」
ボニファス司祭はそこで一度茶を口にした。
「先日、大聖堂長からも話がありましてな。大司教様をはじめ、教会の上の方々もその件について話し合われ、今後もこれまでと変わらず王国を支え、必要な協力を続けていくようにと伝えられております」
「これまでと変わらず、ですか」
「ええ。教会としての方針に変わりはないとのことです」
ボニファス司祭は何の含みもない様子でそう答えた。
おそらく、この人は大聖堂長から伝えられたことを、そのまま話しているだけなのだろう。
だが、俺にとっては十分な答えだった。
教会はこれまで、大派閥を支持してきた。
その教会が、今回の一件を受けても方針を変えず、これまでと同じように王国を支えていくという。
それはつまり教会がこれまでの立場を維持し、大派閥への支援も続けるということになるだろう。
やはり、今回の一件があったからといって、教会と大派閥の関係まで変わったわけではないらしい。
となれば、評議会でも大派閥は教会の後ろ盾を得たままということになる。
俺は手元の茶へ目を落とした。
「――あの、ボニファス司祭」
「はい。何でしょう?」
「これは、まだここだけの話にしておいていただきたいんですが」
俺がそう前置きすると、ボニファス司祭の表情が僅かに引き締まった。
「もちろんでございます。どのようなお話でしょうか?」
「先ほど、エルドルンで魔族の襲撃に遭ったと話しましたね」
「ええ」
「そのエルドルンに本拠を置いていた商業ギルドヘルメースの代表ロイヴァ・カフカですが、どうやら魔族と関係していたようなんです」
「……ロイヴァ・カフカが、魔族と? それは本当でございますか!?」
ボニファス司祭の顔から、それまで浮かんでいた笑みが消えた。
「はい。実際この目で見たので間違いありません。……このことについては、陛下にも報告してあります」
「なんと……」
ボニファス司祭は神妙な表情を浮かべた。
「それと、もう一つ気になっていることがあるんです」
「と、申しますと?」
「ロイヴァ・カフカは王国の貴族にも、色々と支援をしていたと聞いています」
ボニファス司祭の眉が僅かに寄った。
「支援を受けていた貴族まで魔族と関係があると言うつもりはありませんが、ロイヴァ・カフカがどういう意図で支援していたのか」
ヘルメースから支援を受けていたというだけでは、その貴族まで魔族と繋がっていた証拠にはならない。
今の段階では、あくまで気になるというだけの話だ。
「ただ、近く評議会が開かれると聞いたので、少し気になりまして」
俺はそこで一度言葉を切った。
「何も影響がなければいいんですが」
ボニファス司祭はすぐには答えなかった。
先ほどまでの上機嫌な様子は消え、難しい顔をしたまま考え込んでいる。
「……確かに、それは少々気になりますな」
やがてそう呟くと、ボニファス司祭は再び茶へ手を伸ばした。
俺もそれ以上、この話を続けるつもりはなかった。
大派閥の名前を出す必要もない。
魔族と関係していたロイヴァ・カフカが率いるヘルメースから、王国貴族が支援を受けていた。
教会が魔族をどう見ているのかを考えれば、ボニファス司祭がこの話を自分のところだけで止めるとは思えない。
おそらく、大聖堂長にも伝わるだろう。
それでいい。
今のままなら、教会は評議会でも大派閥を支持するはずだ。
そして何も知らなければ、評議会が始まった段階でその立場を明確にしてしまう可能性が高い。
だが、一度大派閥への支持を公の場で明確にしてしまえば、その後で事情が変わったとしても、簡単に態度を変えることはできない。
だからこそ、この話は評議会が始まる前に教会へ届いている必要がある。
ロイヴァ・カフカと関係していた貴族がいるかもしれない。
それを知っていれば、教会も最初から大派閥への支持を明確にせず、事実がはっきりするまで態度を保留することができる。
魔族を敵視する教会にとって、魔族と繋がっていた人間から支援を受けていた貴族を庇い続けるのは難しいはずだ。
そして、その間にハンス公の調査でロイヴァ・カフカと大派閥の貴族を結びつける証拠が見つかれば――。
俺はそこで思考を切り上げると、ボニファス司祭に礼を告げて応接室を後にした。




