歪ー20 女神リヴォニア
バルドウィン卿の屋敷を出た俺は、いったんクロマ商会へ戻ることにした。
大通りを抜け、見慣れた商会の看板が見えてくる。
扉を開けて中へ入ると、女性の店員がすぐに俺の姿へ気づいた。
「お帰りなさいませ」
「ラフィテアたちは?」
「皆様なら奥の応接室にいらっしゃいますよ」
礼を言って奥へ進み、応接室の扉を開けるとラフィテアとドワ娘、ヴェルの三人がテーブルを囲んでいた。
「ラック様、王城での謁見はいかがでしたか?」
「特に問題なく終わったよ」
「しかし、随分と遅かったではないか。エルドルンの件を報告しに行っただけではなかったのか? 今まで一体何をしておったのじゃ?」
ドワ娘が椅子から立ち上がり、こちらへ歩いてくる。
「王城を出た後、ハンス公と一緒にバルドウィン伯爵の屋敷へ寄って、今回の件について少し話をしていた」
「バルドウィン伯爵……?」
ラフィテアが首を傾げる。
「ああ。王都の貴族さ。ハンス公と同じく、大派閥とは距離を置いているらしい。今回の件で大派閥がどう動くかを警戒していて、これからのことを相談するために屋敷へ行ったんだ」
俺はそのまま、王城での謁見からバルドウィン伯爵の屋敷で話した内容を三人に説明した。
「……それでおぬし、また面倒ごとに首を突っ込むわけではあるまいな?」
ドワ娘が訝しむような目を向けてくる。
「別に、自分から面倒ごとに首を突っ込むつもりはないさ。ただ、今回の件について少し調べることにはなった」
「やはりの」
予想していたと言わんばかりに、ドワ娘が呆れたようにため息をつく。
「それで、一体何を調べるのじゃ?」
「海洋都市のオークションに参加していた王都の貴族についてさ」
「オークションの参加者を?」
「ああ。王都から参加していた貴族を洗い出して、その中に大派閥の人間がいないかを確認する。さらに、事件の後にその貴族が王都へ戻ってきているかも調べるつもりだ」
「なるほど……」
ラフィテアが考えるように目を伏せる。
「ラック様は、大派閥の貴族がロイヴァ・カフカやヘルメースと繋がっている可能性を考えておいでなのですね」
「今はまだ推測に過ぎないけどな。だからこそ、何か不自然な点がないかを調べる」
「では、ラック様は、その調査を?」
「いや、俺には王都での人脈がないからな。ハンス公とバルドウィン伯爵が調べてくれることになった。その代わり――」
ふと、窓の外へ目を向ける。
王都の街並みの向こうに、白い大聖堂が見えていた。
いくつもの尖塔が空へ伸び、その中央には聖リヴォニア教会の紋章が掲げられている。
「俺は教会の方へ行ってみる」
「聖リヴォニア教会へ、ですか?」
ラフィテアも窓の外へ視線を向ける。
「ああ。今回の件を受けて、教会がこれからどう動くつもりなのかを確かめておきたい。教会は大派閥を支持しているらしいからな。これから評議会が開かれることを考えても、その動向は無視できない」
「なるほど……。確かに、教会が大派閥を支持しているなら、今回の件をどう受け止めているのかは確かめておいた方がよさそうですね」」
「……もしや、わらわたちもこれからその教会とやらに行くのか?」
ドワ娘がいかにも面倒そうに顔をしかめ、その傍らでは、ユシルも窓の外に広がる王都の街並みを眺めながら、不満そうに頬を膨らませていた。
「せっかく王都まで来たから、私は教会なんかより、街を見て回りたいんですけど。面白そうなお店だっていっぱいあるし、美味しいものもありそうじゃない。それなのに、なんでわざわざ教会なのよ」
相変わらず、自分の興味には正直な奴だ。
「そうじゃ、そうじゃ!」
ユシルの言葉に、ドワ娘が我が意を得たりとばかりに何度も頷く。
「せっかく王都まで来たのじゃぞ。教会などに行くより、街を見て回る方がよほど楽しそ、いや有意義ではないか!」
「別に王都なんていつだって来れるだろ?」
「今来ておるのに、なぜわざわざ次の機会まで待たねばならんのじゃ! それに、おぬしの言う『いつでも』ほど信用ならんものはない!」
まあ、それは確かにそうかもしれないが……。
そんな俺たちのやり取りを黙って聞いていたラフィテアが、小さく息をついてドワ娘へ視線を向ける。
「そんなに一緒に行くのが嫌なら、あなた一人でここに残って留守番をしていてもいいのですよ。私たちはラック様と一緒に行きますから。そうですよね、ヴェル?」
「うん。ヴェルはパパと一緒に行く」
「なっ!? ちょっと待つのじゃ! 誰が一人で残ると言った!」
ヴェルの返事を聞いたドワ娘が、慌てたように声を上げる。
「わらわは教会より街を見て回りたいと言っただけじゃ。置いていけなどとは一言も言っておらんぞ!」
「ですが、ずいぶんと行きたくなさそうでしたので」
「面倒そうだとは思ったが、わらわだけ置いていかれるのは話が別じゃ!」
「では、一緒に行くということでよろしいですね?」
「最初からそう言っておる!」
いや、どう考えても最初は行きたくなさそうにしていたと思うが……。
ラフィテアもそれ以上は追及するつもりはないのか、やれやれといった様子で小さく笑うと、俺の方へ向き直った。
「では、ラック様。私たちもご一緒します」
「ああ。それじゃあ、みんなで行くか」
俺たちは出掛ける準備を済ませると、クロマに挨拶し商会を後にした。
大通りへ出ると、昼を過ぎても王都は多くの人で賑わっている。
道の両側には商店や露店が隙間なく軒を連ね、行き交う馬車の間を縫うように人々が行き交っている。
その先には、先ほど商会の窓から見えていた白い大聖堂の尖塔が、建物の屋根越しに覗いていた。
人混みの中を大聖堂へ向かって歩きながら、俺は隣を歩くラフィテアへ声をかけた。
「そういえばラフィテア。聖リヴォニア教会について、何か知っているか?」
「聖リヴォニア教会について、ですか?」
「ああ。実は俺、聖リヴォニア教会についてあまりよく知らないんだ。それにラフィテアはセレナと長い付き合いだろ。何か聞いたことがあるんじゃないかと思って」
「そうですね……。私も教会の内情まで詳しく知っているわけではありませんが、セレナ様から聞いた話でよろしければ」
ラフィテアは少し考えるように間を置いた。
「聖リヴォニア教会が信仰している女神リヴォニアは、『境界』『秩序』『守護』を司る古代の女神とされています。人々を災厄や魔の脅威から守り、世の秩序を保ってきたと伝えられているそうです」
「境界、秩序、守護の女神様か」
「はい。教会では、女神リヴォニアの教えに従い、人々を脅かすものを退け、神のもとに正しい秩序を築くことを使命としているそうです」
「それが、教会の掲げている神聖な秩序か」
「そうですね。セレナ様からも、そのように聞いています」
バルドウィン伯爵の屋敷で聞いた話では、教会は魔族をすべて排除し、神のもとに神聖な秩序を築くことを掲げている。
単に魔族を危険な存在として警戒しているのではなく、その排除そのものが教会の教えと結びついているということか。
「セレナも、その教えを信じているんだよな?」
「もちろんです。ただ、セレナ様から教会の教義について詳しく聞くことは、あまりありませんでした」
ラフィテアは少しだけ困ったように笑った。
「どちらかといえば、騎士団の任務で訪れた土地のことや、そこで助けた方々のお話を聞くことの方が多かったですね」
「セレナらしいな」
教会の教義について熱心に語るより、教会の騎士として困っている人間がいれば迷わず剣を抜く。
「それに、教会の活動は魔族への対処だけではないそうです。各地の教会では怪我人や病人の治療を行ったり、身寄りのない者を保護したりすることもあると聞いています」
そういえば、メリダもモレアルでは修道女として人々を助けていた。
「ただ、王都の大聖堂については、私もあまり詳しくありません。セレナ様からも、王都の教会内部について聞く機会はほとんどありませんでしたので」
「そうか」
やはり実際に行って自分の眼で確かめるしかない。
通りの先へ目を向けると、建物の間から見えていた白亜の大聖堂は、いつの間にかその全貌が見えるほど近くまで迫っていた。




