歪ー18
謁見を終え、王城の複雑に入り組んだ回廊を抜けた俺たちは王都の一角にあるロンド伯爵邸へと馬車を走らせていた。
重厚な馬車の車輪が石畳を鳴らし、王都の慌ただしい往来をすり抜けていく。
車内を包む静寂の中で、ハンスは腕を組み、険しい表情のまま窓の外へと視線を投げ出していた。
「――無事に謁見は済んだが、ここからが本当の戦いになるな、ラック公」
ハンスがそう低く呟く。
ユークリッド王が今回の甚大な被害と魔族の襲撃をどう受け止め、どのような判断を下すか。
これから始まる評議会に向けて、警戒すべき問題は山積していた。
やがて、馬車は落ち着いた佇まいのロンド伯爵邸の前へと滑らかに停まった。
門前で待機していた使用人に案内され扉をくぐると、奥の書斎で静かに待っていたバルドウィンが穏やかな笑みを浮かべて出迎えてくれた。
「よく来てくれた、ハンス、そしてラック公。無事に謁見を終えたようだな」
書斎に通され温かな茶が差し出されると、ロンド伯は表情を引き締め机の上に置かれた何枚もの書類に視線を落とした。
「王城での手応えはどうだった? ……どうやら大派閥の連中は、すでに君たちの動きを警戒して水面下で動き回っているようだ」
バルドウィンの唐突な言葉に、ハンスはわずかに眉をひそめた。
「どういうことですか、伯爵」
ロンド伯は苦々しげに眉間にしわを寄せ、重い口を開いた。
「連中は今回のエルドルン一件とカフカの裏切りさえも、自分たちの権益を守るのために使おうとしている。『いち早く今回の混乱を解消するため、中央による強力な統制が必要である』とな。そう主張して、ふたたび西方の利権を独占的に自分たちの懐に収めようと目論んでいるのだ」
その言葉を聞いたハンスは、険しい顔つきのまま鋭く息を吐き出した。
「……やはりですか。彼等は王国がどうなろうと、自分たちのことしか頭にない。このままでは、評議会は連中の都合のいい茶番劇になってしまいます」
「うむ……だからこそだ、ハンス。私たちがここで王国の舵を正さねばならん」
そのロンド伯の言葉に、ハンスはさらに危機感をにじませ、テーブルに手をかけて身を乗り出した。
「その通りです、伯爵。魔族の脅威が刻一刻と迫り、王国全土が危機に晒されているというのに、彼らがやっていることは自らの利権の囲い込みだけでしかない。このまま一部の貴族が私腹を肥やし続ければ、我が王国は内部から崩壊する。――もはや、私欲に囚われた連中に国の舵取りを任せる余裕など、この王国には一刻たりとも残されていないのです」
ハンスの力強い言葉に、ロンド伯は深くうなずき、歴戦の知謀を宿した瞳を一層鋭く光らせた。
「すでに私の方でも大派閥の息がかかっていない中立・地方派の貴族たちとは水面下で連絡を取り合い、連携の基盤は固めつつある。だが、それだけでは足りない。今回の評議会の場で派閥ごと叩き潰さねばならん」
ロンド伯は机の上に手を置き、さらに力強く言い放った。
「私たちが目指すべきは、特権階級による独占を許さぬ公正な流通の再構築であり、地域ごとの自立性と透明性を担保した強固な防衛・経済体制を築き上げる――それこそが、この王国を真の危機から救う唯一の道なのだ」
そこまで語ると、ロンド伯はふっと表情を曇らせ、重い息をつきながら頭を振った。
「だが……理想論だけでは王国は動かせん。問題はどうやってそれを陛下に訴えるかだ。奴等が裏金を受け取っていたなどという明確な証拠はない。こちらがどれだけ主張したところで、『証拠のない言いがかり』と切り捨てられるのは目に見えている。それに、魔族の件に関しても、領主であるハンス、君の責任問題にすり替えられる可能性すらある……。ただ真正面からぶつかるだけでは、向こうの思うツボだ」
ロンド伯の懸念に、ハンスは苦渋に満ちた表情でうなずいた。
「それに、厄介なのは貴族連中だけではない。奴等の後ろ盾には、『聖リヴォニア教会』が控えている。連中は『神聖な秩序』という大義を掲げ、水面下で大派閥と深く結びついているからな。下手に表立って動けば、『異端』や『秩序を乱す者』という濡れ衣を着せられ、民衆の信仰を盾に表舞台から排除される恐れもある」
ロンド伯の言葉を受け、俺はふと疑問に思ったことを口にする。
「……教会はどうして大派閥の後ろ盾に? そもそも連中が掲げているその『神聖な秩序』とは一体何を指すんです?」
俺の問いかけに、隣にいたハンスが険しい表情のまま引き継ぐように答えた。
「聖リヴォニア教会の理念――それは、この世から魔族をすべて排除し、神のもとに神聖な秩序を実現することで、人類が永遠の繁栄を手にすることだ。彼等はその大義を絶対正義として掲げている」
「……なるほど」
ハンスの説明を聞きながら、俺は脳内でピースを噛み合わせていく。
魔族の排除、神聖な秩序、そして絶対的な正義。
――そこまで思考が至った瞬間、俺はわずかに口角を上げた。
「……ロンド伯、それにハンス公、もし聖リヴォニア教会の理念が本物であるなら、彼等の足元は自分自身で掘った墓穴になるかもしれない」
「どういうことだ?」
「簡単なことです。魔族と手を組んだロイヴァ・カフカが大派閥と繋がっていたことが証明できれば、教会側は表立って大派閥を擁護できなくなる。なぜなら彼等にとってそれは絶対的な悪に他ならない」
結局のところ、大派閥の連中を失脚させるにはヘルメースやカフカとの繋がりを証明しなくてはならない。
だが、今の俺たちには確たる証拠はない。
……ヘルメースと大派閥の繋がりを示す証拠、証拠か。
俺は腕を組み、記憶の糸をたぐり寄せる。
(……待てよ)
俺は横にいるハンスへと視線を向け、問いかけた。
「ハンス公、……海洋都市で開かれたあのオークションに王都の貴族たちも数名招待されていましたよね?」
俺の問いに、ハンスはわずかに眉をひそめて腕を組んだ。
「ああ、私も直接顔を合したわけではないが。……それがどうかしたのか、ラック公?」
ハンスは自分の言葉には何かを強烈に思い立ったように、はたと息を呑んで動きを止めた。




