歪ー17 謁見の間
重い両開きの扉が閉じると、謁見の間には張り詰めた静寂が満ちていた。
玉座に座すユークリッド王の傍らには、数名の側近たちが控えているのみで、広大な空間のなか、王から注がれる視線には敵視こそないものの無関心な色が帯びていた。
その重苦しい沈黙を破り、ハンスが静かに一歩前へ進み出ると、厳かに頭を下げ上申を始めた。
同じく同席を許されていた俺も、静かにその傍らに控えている。
「――ユークリッド王陛下。リヒテンシュタイン領エルドルンにて起きた惨劇について、ご報告いたします」
ユークリッド王は腕を組んだままわずかに眉根を寄せ、その表情には困惑と疑念が入り混じっていた。
「ハンスよ、届いた書簡には目を通したが……この内容、到底にわかには信じがたい。ロイヴァ・カフカが魔族と手を組みエルドルンを壊滅させただと?」
「――はい、陛下。このハンス・ニーダ・リヒテンシュタイン、虚偽の報告など断じていたしません」
ユークリッド王は険しい視線を向けたままハンスを見据える。
すべてを鵜呑みにはしていない様子だったが、この国を長きにわたり支えてきたハンスがこのような虚報をもたらすはずがないことなど、王自身が一番よく分かっていた。
「……それで被害はどれほどのものなのだ?」
「――都市機能自体には然程被害はありませんでしたが、住民だけでなくオークションに集まっていた人々をも巻き込んで、大勢が命を落としました……。私が確認できた生存者は十数名ほどです」
「じ、十数名!?」
そのあまりにも絶望的な数字に、傍らに控えていた側近の一人が思わず声を裏返らせた。
数万規模の人々が集うはずの大都市で、生き残りがわずか十数名という現実の重さに、謁見の間に居合わせた者たちの顔色が急速に青ざめていく。
「はい。辛うじて生き延びた者たちはノルバラントで保護しております」
ハンスがそう答えると、王は険しい表情のままわずかに目を細め、静かに息を吐き出す。
商業ギルド「ヘルメース」に庇護を与え、その見返りとして多額の資金を得ていた王国にとって、その中枢であるロイヴァの裏切りは小さくない痛手のはずだ。
表立って取り乱さないものの、王や側近たちの胸中には冷ややかな怒りと苛立ちが渦巻いているに違いなかった。
「あのカフカが……よりによって魔族に魂を売り渡すとはな。いったい、何を考えてこの様な暴挙に及んだというのだ」
王の怒気を含んだ声に、ハンスはわずかに視線を伏せ、険しく引き締まった面持ちで静かに首を横に振った。
「カフカの動機や狙いについては、未だ判明しておりません。ですが奴は、何らかの目的のために大規模なオークションを開催し多くの人々を街に集め、その上で魔族と共に牙を剥いたようです」
ハンスから一通り報告を受けると、ユークリッド王はその重い事実を前に険しい面持ちのまま頷き、重々しく告げた。
「――状況はよく分かった。ハンスよ、遠路の報告、ご苦労であった。すぐにでも王都からも兵を派遣し、事態の収拾にあたらせよう」
王はそこで一度言葉を区切ると、傍らに控える俺へと視線を走らせた後、再びハンスへと向き直った。
「……時に、ハンス公。なぜ今回の一件にオルメヴィーラの領主が関わっているのだ」
王の鋭い問いに、ハンスは身じろぎもせず、静かに頭を垂れた。
「――陛下。その点につきましては、私からよりも、当事者である本人から直接ご説明させたほうがよろしいかと存じます」
ハンスがそう言ってわずかに身を引き、俺へと視線を促した。
「――私がエルドルンに居合わせたのは、ジョワロフ公より魔法の研究について協力を打診されたことにあります」
「魔法研究?」
「ジョワロフ公が取り組んでおられる無詠唱魔法の解析に、協力する約束を交わしていたのです。魔法に秀でた配下を連れてバラマール領を訪れ、その協議を終えた後、隣接するリヒテンシュタイン領へと足を延ばして海洋都市エルドルンに立ち寄りました」
「……ほう。ジョワロフの元に赴いていたというわけか」
「はい。エルドルンに嫁いだジョワロフ公のご息女が私の配下の者と以前から面識があり、挨拶がてら顔を出したです。そして、エルドルンに滞在していた折、今回の事件に遭遇したのです」
俺が説明を終えると、王はふむと小さく鼻を鳴らし、関心を失ったかのように視線を外そうとした。
だがその瞬間、ハンスが再び一歩前に出て、静まり返った謁見の間に声を発した。
「――陛下。ラック公にこの場への同席をお願いいたしましたのは、彼があの場に居合わせたからだけではありません。ラック公はなんとエルドルンを襲った魔族の一体を討伐したのです」
その言葉に、ユークリッド王の眉間がわずかにぴくりと動き、一瞬だけ鋭い光が宿る。
そして、玉座の周囲を固めていた側近たちはどよめくように顔を見合わせ、驚愕の色を浮かべていた。
側近の一人が息を呑むように身を乗り出し、信じられないものを見る目でハンスへと確かめるように問う。
「 本当に、ラック公が魔族を討伐したと!?」
「間違いありません」
ハンスが微動だにせずハッキリと言い放つと、謁見の間にはさらなる動揺の波が広がる。
「四剣聖が束になっても勝てるかどうか、そう噂される天災を、辺境の領主が打ち破った――その信じがたい事実を、彼らはすぐには飲み込めずにいた。
そんな喧噪のなかで、玉座に座すユークリッド王だけは、わずかに細めた目を険しく光らせたまま沈黙を守っていた。
「……静まれ」
王が低く、しかし重みのある一言を発すると、謁見の間を支配していたざわめきは一瞬で押し戻されたようにピタリと静まり返る。
ユークリッド王は腕を組み直すと、冷ややかな色を帯びていた視線を改めて俺へと向けた。
「ハンスの言うことは本当か、ラック公。お前が、エルドルンを襲った魔族を討伐したというのは」
王の声から無関心は消え、鋭い視線が向けられる。
その思考の裏で何を企んでいるのか計り知れないが、俺は表情一つ変えず言葉を紡いだ。
「――偶然と幸運が重なった結果です。あの混乱の中、紙一重の幸運によって、どうにか魔族を討ち果たしたに過ぎません」
俺が控えめにそう答えると、玉座の側近たちがわずかに安堵したような、あるいは腑に落ちたような気配を漂わせた。
「偶然と幸運か、……まぁよい。ところでハンスよ。お前には数日後に開催される評議会へ出席し、詳細な報告を行ってもらいたい」
「はっ」
ハンスは深く頭を下げ勅命を受けると、すぐに思い出したように一歩前へ進み出るとユークリッド王へと進言した。
「――陛下。恐れながら、その評議会に、ラック公の同席をお認めいただけないでしょうか」
ユークリッド王はわずかに眉を上げると、ハンスへと視線を戻した。
「ほう……なぜだ、ハンス。ラック公を同席させる必要がどこにある」
「――はい。今回の一件で実際に魔族の脅威を退けたのは他ならぬラック公本人にございます。それに私も彼とずっと行動を共にしていたわけではありません。ラック公しか知り得ないことも少なからずあるでしょう。今後の魔族への対策を協議する上でも、彼から見解を聞くことは王国にとっても益こそあれ害はないかと」
ハンスが淀みなくそう進言すると、ユークリッド王は顎に手を当て、わずかに思案するように視線を巡らせ、やがて小さく息をつくと静かに許可の意を示した。
「……いいだろう。お前がそこまで言うならばラック公の参加を認めよう」
王からの勅命と許可が下りたところで、これ以上の問答は不要とばかりに、側近の一人が退室を促す低い声を響かせた。
俺とハンスは並んで静かに一礼すると、重い両開きの扉へと足を進め、謁見の間を後にした。




