歪ー16 ロンド伯爵
俺はラフィテアたちをクロマ商会に預けると、ハンス公と共に王城へと向かった。
王都の表通りへと目をやれば、行き交う人々や露店の活気は普段と何ら変わらないように思える。
まるで王国の根幹が揺らいでいることなど微塵も感じさせない日常の光景だったが、そびえ立つ王城の正門をくぐった瞬間、その空気が変わった。
門を固める兵士に到着した旨を告げ、彼らの案内を受けて城内に足を踏み入れる。
すれ違う文官や宮廷仕えの従者たちの足取りは総じて慌ただしく、すれ違う人々の横顔には一様に険しい緊張の色が張り付いていた。
どこかぴりついた、肌を刺すような不穏な空気感が石造りの回廊に満ち満ちている。
そんな中をハンスと共に進む俺たちの姿に気づいたのは、廊下の隅で何やら深刻そうに寄り添っていた数人の貴族たちだった。
彼らは鋭い視線を俺たちに向け、周囲を気にするように声を潜め、なにやら耳打ちし合っている。
大派閥に連なる者たちか、あるいは今後の形勢に怯える日和見主義者たちか。いずれにせよ、彼らの目には焦りと猜疑心が隠しきれにじみ出ていた。
「……やれやれ、すっかり針のむしろだな」
ハンスが小さく息を吐き捨て、さらに奥へと進む。
案内されたのは、謁見の前に待機するための重厚な控室だった。
重い木製の扉が閉まり、静寂な室内に足を踏み入れる。
広々としたソファに腰掛け、国王への謁見を待っていると外の廊下から、慌ただしい足音が近づいてきた。
「――失礼するよ、ハンス。まだ間に合ったかな」
扉が開いて顔を覗かせたのは、上品な仕立ての外套をまとった初老の貴族だった。
整えられた銀交じりの髪と、知性を感じさせる穏やかな瞳が印象的な男性で過剰な装飾とは無縁の洗練された佇まいをまとっていた。
ハンスが驚きと安堵が入り混じった声を漏らし慌てて立ち上がると、齢を重ねたその人物に対して自然と恭しいまでの敬意を込めた眼差しを向けた。
老紳士もまた、ハンスの姿を認めるやいなや、穏やかにその顔をほころばせていた。
「おお、ハンス! 無事で何よりだ。君が王都に戻っていると聞いてね、ぜひとも顔を合わせておきたかった」
心からの再会を喜ぶ老紳士だったが、ハンスに促されるようにして向かいのソファへと静かに腰を下ろし、表情を引き締めた。
「ラック公、……こちらの諸侯はロンド伯爵バルドウィン様だ。私の父と共にこの王国の枢機を支え続けたお方で、私も幼い頃から深く敬うお方だ。大派閥とは距離を置き、この王国の将来を真摯に案じる数少ない良識派として、今なお王宮の良心を繋ぎ止めていらっしゃる」
ハンスの紹介を受け、俺が姿勢を正してロンド伯に向き直り名乗ると、バルドウィンは驚いたようにわずかに目を見張り、それから何か思案するかのように鋭い視線を向けた。
「――君があの辺境オルメヴィーラの……。 おっと、失礼。今はもう辺境とは言えないな。なるほど、噂に聞いた若き領主とは君のことだったか」
ロンド伯は穏やかな笑みを浮かべつつも、どこか値踏みするような鋭い知性を宿した瞳で俺を見据えた。
しかし、隣に控えるハンスへと視線を戻し、ふうと重苦しい息を吐き出すと、その表情をスッと険しいものに変えた。
「――折角、こうして君の顔を直接見られたというのに、この再会を喜んでばかりもいられないようだな。……ハンス、エルドルンでいったい何があった? ここ数日、王宮の隅々にまで不穏な噂が飛び交っているぞ」
バルドウィンは憂いを帯びた瞳でさらに言葉を続けた。
「王宮に届いている話では、海洋都市エルドルンを発点とする流通網が混乱し、物資の流れが滞りがちになっていると聞く。だが、現地の様子については『魔族が関わっている』とか『ギルド内部で深刻な内紛が起きた』といった断片的な憶測が飛び交うばかりで、正確な情報は一切伝わってこない」
バルドウィンの引き締まった声を聞き、ハンスは眉間に深いしわを寄せたまま、重苦しく息を吐き出した。
「詳しい経緯はこれから陛下に直接ご報告しますが……噂以上に事態は深刻です」
ハンスがそう切り出すと、バルドウィンは険しい表情を浮かべ、じっと耳を傾けた。
「……エルドルンを発点とする流通網の混乱は、単なる事故や内紛などではありません。ヘルメースのロイヴァ・カフカが魔族と手を組み、エルドルンを壊滅に追いやったのです」
「ロイヴァ・カフカが魔族と!?」
「はい、ギルドにいた人間もその殆どが魔族によって殺されてしまいました」
「なぜそのようなことを……」
「……わかりません。ですが奴は、行方を眩ます直前――『間もなくこの世界に新しい秩序が誕生する。私はそこで王となるのだ』――そう言い残し姿を消しました」
「王になるだと……? なにを 世迷言を。魔族と手を組むなど、狂っているとしか言いようがない……」
バルドウィンは思わず吐き捨てるようにそう呟いていた。
「――しかし、なるほどな。ヘルメースの沈黙も、派閥連中の焦燥も、すべては一本で繋がっていたというわけか」
バルドウィンが険しい顔を納めないうちに控室の扉が控えめな音を立てた。
「――失礼いたします。陛下への謁見の準備が整いました。ハンス様、ラック様お二方とも、どうぞこちらへ」
従者の報せに、バルドウィンは重い足取りで立ち上がると、俺たちに向き直った。
「どうやら私が思っていた以上に事態は深刻の様だな」
「はい」
「実は二人が陛下との謁見を終えた後、数日以内に評議会が開かれる手はずとなっている」
「評議会が?」
「ああ。そこで今後の対応が協議されることになっている。今頃派閥連中は根回しに必死だよ」
「だから連中、資金集めに翻弄していたのか」
「私はこれから顔見知りの貴族に声を掛けようと思う。二人共、陛下への謁見が終わったら私の屋敷に顔を出してほしい」
ロンド伯爵バルドウィンはそう言い残すと、足早に控室を辞していった。
バタンと重い扉が閉まり、再び室内には俺とハンスの二人だけが取り残される。
「さて――」
ハンスが小さく息を吐き、きっちりと身なりを整え直した。
俺もそれに倣うように背筋を伸ばす。
ふたたび張り詰めた石造りの回廊を進み巨大な両開きの扉の前に立つと、衛兵たちが静かに門を開け放つ。
中に足を踏み入れた瞬間、高い天井から差し込む鈍い光の向こうに、玉座に座すユークリッド王の姿が見えた。
その周囲を取り囲むように、幾人もの重臣たちの視線が一斉にこちらへと突き刺さる。
俺は静かに息を吸い込むと、ハンスと共に玉座へと歩みを進めた。




