歪ー12 七眼
「……我らネージュ一族、その悲願とは、『七眼』の完全なる開眼、すなわち『神眼』への到達に他ならない。代々、この地で眼を追い求め受け継いできたのだ」
オルガは杖を突いたまま、窓の外を見上げる。
その横顔には何百年もの間、追い求め続けた一族の重圧が深い疲労となって刻まれていた。
「神眼?」
俺の問いに、オルガは冷徹な笑みを口端に浮かべた。
彼女は杖を床に鋭く打ち鳴らし、狭い部屋に反響する音の中で語り始めた。
「神眼とは、その名の通り『神の眼』を指す。遠き古の世、一族が授かった神託を道標として我らはずっと歩んできた。神の言葉に縋り、その復活を悲願と定め。やがて、託宣の通りに七眼の一つを宿した者が誕生したことで我らは一族に繁栄をもたらすという神の天啓を信じ、ただ、その継承のために血を流し続けてきたのだ」
俺はオルガの言葉を反芻しながら、思考の澱をかき混ぜていた。
かつて赤竜帝から聞いた古の神々の戦いの記憶が脳裏をよぎる。
理を創りし者ノルドと、それを破壊せんとする者カオス。
その古の歴史においてオルガが語る『神』が創造神ノルドのことなのだとしたら、なぜノルドはあえてネージュの一族に神眼を成すよう命じたのだろうか。
今現在、世界樹として眠りについている事と何か関係があるのだろうか。
そんな疑問を前にオルガは俺の沈黙を無視し冷ややかな瞳を向けた。
「――七眼とは文字通り七つの眼を意味する。そしてそれぞれが異なる理を司る。慧眼、達眼、心眼、具眼、活眼、炯眼、そして統眼」
慧眼、達眼、心眼、具眼、活眼、炯眼、統眼
確か、ロアが有していたのは慧眼から炯眼までの前半の六つだったはずだ。
残された最後の一つ、それが『統眼』
「……慧眼は万物を射抜き、達眼は千里の果てを掌中に収める。心眼は事理の深淵を紐解き、具眼は虚偽を射抜く。活眼は未来の分岐を導き、炯眼は刹那の神速を捕らえる。 そして最後が――統眼。万象に意志を強制し、理そのものを支配する神の権能だ」
俺はオルガの言葉を頭の中で整理していく。
(達眼は千里先を見通し、具眼は物事の本質や真偽を見抜く。活眼は変転する時の中で未来を知り、そして炯眼は刹那の神速を捕らえる……か)
この四つに関してはある程度その能力は想像がつく。
だが、よく分からないのは残り三つ。
「”心眼”の事理を紐解くというのは、力の道筋を理解するという意味であってるのか?」
オルガは興味深げに口角を歪め、簡潔に答える。
「……そうだ。この世の魔法も物質も、すべては『魔素』で構成されている。心眼とは、肉眼では捉えられぬその『魔素の流れ』を可視化する力。相手の体内に巡る力の回路や、魔法が発動する瞬間の魔素の偏り。そういった『仕組み』をすべて読み解くことができる。つまり、相手が次にどんな魔法を放とうとしているのか、その術式の綻びや力の源がどこにあるのかまで手に取るように分かるということさ」
俺はなるほどと頷き、続けて尋ねる。
「それじゃ”慧眼”の万物を射抜くというのは?」
「……単純なこと。いかなる壁も遮蔽物も、その眼の前では意味をなさぬ。視界を遮る物理的な障壁を無視し、隠れた対象をどこまでも克明に捉え続ける」
「つまり神眼を前にしてどこかに隠れるのはただの間抜けってことか。……それじゃ最後に、統眼。理を支配するとは具体的にどのような現象を指すんだ?」
不意にオルガは眼窩を細めた。
「――統眼は視界内の秩序を支配する。視界に捉えた範囲内の全ての存在に対し、使用者の『意図』を強制的に浸透させるのさ」
さらに彼女は淡々と続けた。
「つまり視界に入った者の行動を物理的に抑制したり、逆に能力を視線一つで底上げしたり出来るようになる。相手は統眼の視界の中にいる限り、使用者の意思に反する動きなど一切できなくなるんだよ」
「それって統眼を前にしたらどうしようもないんじゃ……」
オルガの説明を一通り聞き終え、俺は静かに七眼の能力を脳内で反芻する。
どれも規格外――さすがは『神の眼』と呼ばれるだけはある。
俺が黙り込み、そのあまりに強大な力の正体を噛み締めているとオルガが再び口を開いた。
「七眼はどれも神の眼に相応しい能力を秘めている。だが、誰もがその力を完璧に使いこなせるわけではない。神たる存在が神眼を用いれば、世界を見渡し……その理を掌中で弄ぶことも可能だろう。だがあのロアでさえ扱えたのは力のほんの一端。本来七眼は全ての能力を同時に行使してその真価を発揮するもの」
「……全てを同時に、か」
俺は思わず独りごちた。
一つひとつの能力だけでも戦局を一瞬で覆す力だ。
それを束ねて行使するなど、もはや戦いという次元の話ではない。
もし、この神眼を使いこなす敵が目の前にしたら、きっと誰も太刀打ちなどできないだろう。
――とは言え、今はそんな懸念に耽っている段階ではない。
まず考えるべきは、魔族がその神眼を使って何を目論んでいるかだ。
オルガのおかげで七眼の能力は判明した。
あとは、この情報を手掛かりに推察を重ねる。
まず、七眼のうち『統眼』は恐らくまだネージュ一族が有している。
そして、ロアの腕を移植したセレナが二眼を持っている。
つまり、魔族が手にした神眼は四つ。
ロアの身体を乗っ取ったアザトースは、ロアの片腕に残されていた神眼を奪い返そうとはしなかった。
つまり奴らの目的からすれば、あれは必要がなかったということ。
だとすれば、一旦オルメヴィーラ領に戻り、セレナが持つ二眼の正体を突き止めれば魔族の目的の全貌がより鮮明に見えてくるはずだ。
「……」
俺は思考を切り替え、オルガを見据える。
「七眼について他に聞きたいことは?」
オルガの問いに、俺は短く答えた。
「いえ、もう充分です」
「そうか。なら、一刻も早く六眼を取り戻すことを期待しているよ。精々、その目を呪印に奪われる前にな」
そう言うと、オルガは背を向け、部屋の奥へと消えていってしまった。
彼女が七眼のすべてを語ったかどうかは分からない。
だが、俺もセレナが二眼を有していることについては秘匿したままだ。
お互いに腹を探り合っている以上、これはお相子といったところか。
俺は未だに鈍い痛みを残す片目に触れると、そのまま重い足取りでネージュ一族の屋敷を後にした。




