歪ー9
俺たちは静まり返ったオブシリスの石畳を歩いてシャルティア公の屋敷へと戻った。
冷たい夜気が頬を刺す。
ネージュ一族が固執する「七眼」という存在が一体どのようなものなのか、その全貌は未だ掴めていない。
ただ、オルガと交わしたわずかな会話が、一族の悲願を背負う者の異質さを際立たせていた。
屋敷の門をくぐり、執務室へ向かう。
扉を開けると、そこには円卓を囲むシャルティアとハンス、数名の文官たちの姿があった。
彼らはリヒテンシュタイン領とグロスター領の連携、および今後の状況について、情報を整理し対応を協議していた。
俺たちの入室を機に議論は一旦収束し、シャルティアが文官たちに目配せを送ると彼らは静かに部屋を辞していった。
「――ラック公。オルガとの対面、いかがでしたか」
シャルティアは執務机の端に身を預け、わずかに顔を傾けて俺を真っ直ぐに見据える。
その瞳は領主としての冷静さを湛えつつも、どこか奥底でロアの行く末を案じていた。
「明日もう一度会う約束を取り付けましたが、彼等がどこまで協力してくれるか……」
シャルティアは小さく頷き、静かな声で応じた。
「案じることはありません。彼らにとってロアは是が非でも取り戻したい存在……。あなたの提案を無下に突っぱねるような真似はしないでしょう」
傍らで聞いていたハンスは険しい表情で口を挟んだ。
「だといいのだが。魔族たちがロアの力を利用して何かを画策しているのなら、必ず未然に防がねばならん。エルドルンで起きた悲劇を繰り返すことなど、断じて許されないのだからな」
ハンスの重苦しい言葉に、部屋には一瞬の沈黙が落ちる。
シャルティアは静かに目を閉じ、覚悟を決めたように小さく息を吐き出した。
「ええ、そうですね。ラック公、ロアの件、引き続きお願い致しますね」
その言葉は、領主としての命令ではなく、一人の人間としての切実な気遣いのように響いた。
それから彼女は一拍置くと、周囲を見渡して柔らかな笑みを浮かべた。
「今日の所は一旦ここまでにしましょうっか。皆さんも疲れが溜まっているでしょう?」
シャルティアはそのまま文官の一人に目配せると手短な食事会を催すよう指示を出した。
しばらくしてオブシリスの特産である川魚を煮込んだ料理や、近隣から取り寄せた葡萄酒が円卓に並ぶ。
廊下で待機していたラフィテアたちも呼び込まれ、円卓は一気に賑やかさを取り戻した。
「やっと待ちに待った酒の時間じゃ! 見慣れぬ酒じゃが、まあ美味ければ何でも良いがの!」
ドワ娘が早速葡萄酒のボトルを掴み、ジョッキへ豪快に注ぎ込む。
その騒がしさを横目にラフィテアは一礼して俺の側へ静かに歩み寄るとそっと話を切り出した。
「ラック様、ネージュ一族がこれほど非人道的な行いを繰り返していたなんて。子供を器に神の眼を埋め込む……あまりに残酷です。ロア様の強さの裏側に、そんな秘密が隠されているなんて想像もつきませんでした」
彼女は一度、深く息を吐き出す。
感情をあらわにすることはなくとも、その言葉には深い衝撃と何も知らなかった自分への悔恨が滲んでいた。
「……彼女はどんな気持ちで剣聖として剣を振るってきたのでしょうか」
その問いかけに、俺は喉の奥が引き締まるのを感じた。
――どんな気持ちで。
俺の脳裏には、かつて領地対抗戦でクロの影を通して流れ込んできた残酷な残留思念が思い浮かんだす。
それは幼い弟妹たちの叫び声。
理不尽に奪い去られた瞳。
拒絶反応にのたうち回る激痛と、絶望の果てに見た永遠の闇。
一族の狂気と、平穏を願った少女の切実な祈り。
それがロアという剣聖の根底にあるという現実を、改めて突きつけられる。
あの一族が「力」という名の下に積み上げてきた地獄を彼女は独りで背負い戦い続けてきた。
……きっと彼女は悪魔に魂を売ってでもこの一族の呪いを断ち切りたかったのだ。
だからその身を魔族に売った。
神の眼に囚われ続けるネージュ一族の呪いを自分自身の手で終わらせるために。
ユシルはあからさまに肩をすくめ、わざとらしく大きく溜息をついてみせた
「……人間ってホントに馬鹿ね。一族の悲願だかなんだか知らないけど、そんなものに囚われて人生を台無しにするなんて」
「そうかもな」
俺は小さく息を吐き、手元の酒を口に含んだ。
「……それであんたはあの婆さんとの取引どうするつもりなわけ?」
ユシルの問いに、俺は一度目を閉じて思考を巡らせる。
オルガの要求は分かり切っている。
だが、ロアの望みは一族を神の眼の呪いから解放すること。
オルガに六眼を渡してしまえばロアの覚悟は全て無駄になってしまう。
「――ラック様。私は彼女を救いたい。それがロア様の決意を否定することだったとしても」
ラフィテアの真っ直ぐな言葉が、俺の胸の奥で揺らいでいた迷いを打ち消した。
「ロア様はきっと孤独の中で自らの犠牲こそが唯一の正解だと信じ込んでいた。……でも、誰かを犠牲にして断ち切る因縁なんて歪んでいるとしか思えません。もし彼女がそんな呪いに囚われているのなら、私はそれを外してあげたい。彼女には、犠牲になること以外に選択肢があることを知ってほしいんです。誰かの代わりや、一族の駒としてではなく、一人の人間として生きてほしい。そう思うのは、私の傲慢でしょうか?」
「……いや、傲慢なんかじゃないさ」
ラフィテアの言う通り、ロアが一族のために犠牲になる必要なんてない。
呪いに縛り付けられた彼女の選択が、たとえ彼女自身にとっての『唯一の正解』だとしても、俺たちはそれを否定し、彼女が自分で選べる未来があることを示さなければならない。
きっと他にも選択肢はあるはずだ。
それを見つけるためにも、ロアには生きていてもらわなければならない。
俺は肩の力を抜くと思考の泥沼から意識を浮上させた。
その時だった。
凍りついた空気を強引に打ち砕くように豪快な笑い声が響いた。
ドワ娘がジョッキを空にし、こちらを向いてニヤリと笑う。
「いつまでそうして難しい顔をしておるのじゃ。 早くしない料理も酒もなくなってしまうぞ!」
「あ!フレデリカ! あんた、私の分のお酒は!?」
ユシルが慌てた様子でドワ娘の持つ空のジョッキと、自分が飲もうとしていたはずのボトルを交互に見比べる。
ドワ娘の無邪気な声が、張り詰めた空気を一気に宴の騒がしさへと引き戻す。
ラフィテアはわずかに苦笑すると、改めて俺に向き直った。
その瞳には、先ほどまでの迷いを振り切るような強い決意と意志が宿っていた。




