朝日さんは焦る
──時間は少しさかのぼる。
朝日は、自転車で坂を登っていた。
この坂さえ越えれば学院まであと少し。言うなれば最後の踏ん張りどころだ。
「……って、なんでこんなに暑いの?」
朝日は顔をしかめながらペダルを踏みしめる。
まだ五月だってのに、この陽気はちょっとやりすぎだろう。
この先、夏になったらどうなるんだ。外に出るのが拷問になりそうでゾッとする。
額から、背中から、腕から……汗がだらだら流れてくる。
とにかく、学院に着いたら冷たい飲み物をがぶ飲みしよう。じゃないとやってられない。
そんなことを考えながら、朝日はようやく坂を登りきった。
あとは道なりに進めば学院はすぐそこ――の、はずだったのだが。
「……ん?」
朝日は眉をひそめる。
競技祭の日だから騒がしいのは当たり前、そう思っていたが、今聞こえる音は明らかに普通じゃない。
──銃声?
「……まさか、な」
嫌な予感が背筋を這い上がる。
朝日はスピードを上げ、学院へと急ぐ。
距離が近づくにつれて、音もはっきりと聞こえるようになっていった。
そして、学院の正門にたどり着いた朝日は、自分の不安が的中してしまったことを知る。
「……テロ、かよ」
アスファルトの道路、コンクリート塀、そして景観用に植えられていた木々までもが破壊され、あたりはまるで戦場のような有様だった。
正門周辺には人の姿こそなかったが、遠くからは爆発音、銃声、金属音……およそ学校では聞くはずのない音が鳴り響いている。
朝日は、何かが動いていることには気づいていた。
昨日、アンドロイドを発見したことでその計画も頓挫したと思っていたが──どうやら、考えが甘かったようだ。
「……くそっ」
あたりを見渡すが、今のところ敵の姿は見えない。
ならば、今のうちに逃げるべきだ。
自分が行ったところで何ができるわけでもないし、学院もすでに外部に応援を要請しているはず。
ここは素直に、その到着を待つ方が賢明だ。
そう判断した朝日は、自転車にまたがり、学院から離れようとした。
だが、その瞬間。
──ドォン!
正門から最も近い第一グラウンドの方向から、凄まじい衝撃音が響いた。
「おいおい、なんだ今のは!?」
思わず声を上げ、音のした方角を睨む。
……やっぱり、ここにいてはいけない。
そう確信した朝日は、自転車のペダルを一気に踏み込んだ。
その場を立ち去ることだけを考えて──。
◇
「っ……!」
無元は脇腹を押さえ、顔を歪めた。
さっき受けた一撃が、思いのほか重かったらしい。
「ちょっと、無元! 大丈夫なの!?」
隣で見ていた立花が、心配そうに駆け寄る。
「う、うん……なんとか、ね」
痛みの深さからして、おそらく骨は折れている。
だが、ここで逃げるわけにはいかない。
それに、目の前の敵が逃してくれるとも思えない。
「もう終わりか?」
巨大な斧を肩に担ぎながら、大男・クラブがゆっくりと近づいてくる。
「まあ、なかなか楽しめた。さすがは上位ランカーだな」
「それはどうも。少しは実力、見せられたかしら」
立花は冷や汗を浮かべながら、距離を取りつつ応じた。
「無元、今から私が“六花”をぶち込む。その隙に逃げなさい!」
「立花さんはどうするの?」
「大丈夫。あいつが技を受けて怯んでるうちに、私も逃げるから。春川さんたちはもう逃げ終わってるはずだし……それに、あなた、他人を心配してる余裕ないでしょ?」
「あはは……まあ、ね。正直、気絶寸前だよ……」
無元の体は満身創痍だった。
だが、それは立花も同じ。いや、それ以上にダメージを受けていた。
「でも、本当に大丈夫なの?」
「何とか、ね」
気丈に答える立花だったが、その声には明らかに力がなかった。
「どうした、来ないのか?」
クラブは挑発するように言葉を投げる。
「……っはぁー。仕方ないわね! そんなに望むなら、こっちから行ってあげるわ!」
ため息をひとつ吐いた後、立花は無元にアイコンタクトを送り、勢いよくクラブに向かって突っ込んでいく。
無元はその合図を受けて、拳銃で援護射撃を始めた。
立花はその援護を受けつつ、接近戦に持ち込み──技の構えを取る。
「そんなに受けたいなら、思いきり叩き込んであげる! 鉄心立花流──“六花”!!」
必殺の一撃が放たれようとした、その刹那。
「っ……なっ!?」
立花は目を見開いた。
クラブが、無元の銃弾をものともせず、タックルで突っ込んできたのだ。
技を放つ前のタイミング。避ける余裕などない。
──ズドンッ!
タックルをまともに受けた立花の身体は吹き飛び、そのまま地面に叩きつけられた。
ピクリとも動かない。
「立花さん!!」
無元は離脱を中止し、彼女のもとへ駆け寄って抱き起こす。
「……よかった、生きてる……」
心音を確認し、気絶しているだけと知る。だが、安心している暇はない。
「……今のは危なかったぞ。いい連携だった。あの技を受けていたら、私とて無事では済まなかっただろう。だが、打ち破るには……貴様の銃撃に怯まず、技の直前に潰すしかなかった」
クラブの巨体は、銃弾を受けて血まみれだった。
「……正面突破とか、バケモノかよ……」
無元は痛感する。
この男は、常識では測れない“怪物”なのだと。
もはや、打つ手はない。
無元自身も限界ギリギリ、意識を保っているのがやっとだった。
「だが、楽しませてもらった。最後は、二人まとめて──あの世に行け」
クラブは斧を高く掲げ、振り下ろす。
「くそっ!!」
無元は銃を取ろうとするが、腕の力が入らず落としてしまう。
「さらばだ!」
──ドォン!
斧が振り下ろされる、まさにその瞬間。
しかし、斧は落ちなかった。
無元たちの数センチ上で、ピタリと止まっている。
「なっ……!?」
無元が目を凝らすと、斧とクラブの腕には──青白く輝く糸のようなものが、がっちりと巻きついていた。
「これは……」
「無元! 無事か!?」
聞き慣れた声が響いた。
クラブの背後から、ひとりの男が姿を現す。
「……はあ、遅いですよ」
「バカ言うな! そんな都合よく現れられるかっての!」
頭をぼりぼりかきながら、その男は笑った。
──大空朝日。
無元が最も尊敬する男が、そこにいた。
学院からいったんは離れようとした朝日だったが、拭えない胸騒ぎに背を押され、急遽引き返してきたのだ。
そして、その直感は、見事に的中していた。
朝日は無元と立花の無事を確認すると、縛ったクラブを引き倒し、二人の元へ駆け寄る。
彼らを脇に抱え、素早く距離を取る。
「おい、無元。これ、生きてるか?」
立花を指差しながら、朝日はそう尋ねた──。
「大丈夫です。気絶してるだけです」
「そうかい」
それを聞いた朝日は安堵の息を吐き、クラブの方へと視線を向けた。すでに体勢を整えたクラブが、鋭い視線で朝日を見据えている。
「貴様、何者だ?」
クラブは全身に殺気をまとうようにして問いかけてきた。その瞬間——朝日は心の中で「来た!」とガッツポーズ。
(おおっ、これ! アニメでよく見るやつだ!)
どや顔で腕を組み、朝日はカッコよく決め台詞を言おうと沈黙する。
「ふっ、俺が何者かって? 俺は──」
……が、そこまで。肝心なところで言葉が出てこない。
「なあ、無元。こういうときって、何て言えばいいんだ?」
後ろを振り向きながら、朝日は腕を組んだまま平然と相談してくる。クラブはあっけにとられ、目をパチクリさせていた。
「えっ、僕に振るんですか!? えーと、ふ、二つ名とか……」
「ああ、俺もそれ考えたんだけど、俺、二つ名ないんだよな」
「そうでしたね〜……って、いやいや! なんで今それ聞くんですか!?」
「だってさ、『貴様、何者だ!』とか聞かれたら、カッコよく返したいじゃん?」
「今の時点で既にカッコよくないですって! もう名前だけでも言っときましょうよ!」
「だな、それじゃあ改めて──」
……と、ようやく再開しようとしたところで、朝日の目の前からクラブの姿が消えていた。
「なっ──!?」
直後、目前に斧が振り上げられる。
「貴様の名を聞く価値もない」
そのまま、クラブは無慈悲に斧を振り下ろしてきた。
「朝日さん!」
無元が叫ぶが、朝日は軽やかにその斧を回避。すかさず糸を放ってクラブの首に引っかけ、そのままジャンプ、首根っこに着地!
暴れるクラブの動きを避けながら、朝日はぐるぐると糸を巻き付けていき、地面とクラブを糸で何重にもつなぎ、完全拘束する。
「やった! これでクラブは動けない!」
無元は確信に満ちた声を上げたが──次の瞬間、朝日は無元と立花を抱きかかえ、猛ダッシュで逃げ出した。
「ちょっ、朝日さん!? なにやって──」
「逃げるぞ」
「あと少しで倒せたのに!」
「バカ、よく見ろ」
無元が振り返ると、そこには糸を引き千切り始めるクラブの姿が──。
「なっ……!」
「結構強めに巻いたんだけどな……どんな筋力してんだあいつ。ま、3分は持つだろ。3分あれば逃げるには十分だ」
朝日は気にも留めず、校舎裏に停めてあった自転車のカゴに無元を無理やり突っ込み、立花をおんぶして自転車にまたがると猛スピードで走り出す。
「朝日さん、確かに驚きましたけど、3分あれば倒せたと思うんですけど!」
「ああ、倒せたかもな」
「だったらなんで──!」
「前にも言ったろ。俺、戦うのあんまり好きじゃないんだよ。それに、怪我人2人もいて戦うとか無理ゲーだろ」
「……そうですか、分かりました」
「よし、じゃあ寝とけ。傷に響くぞ」
そう言いながらも朝日は無元の扱いには全く容赦がない。
「朝日さん、一言いいですか……」
「ん?」
「僕の扱い、もう少しなんとかならないんですか……?」
カゴにすっぽり収まった無元が、袋詰めされた野菜のような顔でぼやいた。
「男だろ、我慢しろ!」
こうして、朝日たちはなんとか危機を脱したのだった。
本館の近くまで来た朝日は、自転車を漕ぎながら辺りを警戒する。まだ敵の影が残っている可能性もある。
と、そのとき──
「朝日くん⁉︎」
突然名前を呼ばれ、びくっと身体を強張らせる。声の主は、近くの柱の陰からひょっこり現れた寧々先生だった。
「朝日くん、無事だったんですね! よかった〜〜……でも、なんで自転車?」
「いやー、ちょうど今登校してきたところでして」
「ふふっ……相変わらず、ついてないですね」
「そこ、さらっとひどいこと言わないでくださいよ。それより、こっちをお願いできます?」
朝日はそう言うと、背中でぐったりしている立花を寧々に見せた。
「た、立花さん!? これは一体……!」
血の気が引くような声を上げ、寧々は慌てて駆け寄る。朝日は無言で顎をしゃくり、後ろの自転車カゴを指差した。
そこには──スーパーの特売品のように、見事にすっぽり収まった無元の姿があった。
「え、あれ……無元くん……?」
「うん、そうです。便利な持ち運びパック仕様で」
「いやいや、もう少し人間らしい扱いはできなかったんですか?」
「贅沢言わないでください。運ぶだけでも大仕事だったんですから」
朝日は立花をそっと地面に寝かせると、自転車に戻って無元も引っ張り出す。
「僕、もうスーパーの袋の気持ち、完全に理解しましたよ……」
ぶつぶつ文句を言う無元を、朝日はサラッと聞き流して地面に下ろす。
「で、先生。ここは?」
周囲を見回す朝日の目に、敵の姿は映らない。
「本館の裏に避難場所があって、今はみんなそちらに。ここはもうテロリストをなんとか追い払ったんですよ。他のエリアでは、まだ戦闘が続いていますけど……」
そこまで言った寧々の表情が曇る。
「それと……なんだか、向こうの様子がおかしいんです。全力で攻めてくる感じがなくて、時間を稼いでるような……そんな印象です」
「時間稼ぎ、ね……。先生、やつらの目的とか、何か情報は?」
「いえ、まったく……。私たちにも何も伝えられてなくて」
寧々が不安そうに目を伏せたその時──
「テロリストの目的なら、さっきちょっと聞きましたよ」
その言葉を発したのは、隣でぺたんと座っていたはずの無元だった。いつの間にか体を起こし、朝日たちに視線を向けている。
「……無元。お前、何か知ってるのか?」
腕を組んだまま、朝日がじっと無元を見下ろす。無元はこくりと頷いた。
「ええ……奴らの狙いは春川さんですよ。彼女の能力を……あの《無効化》を手に入れようとしてるんです」
無元の声が沈む。
「僕、春川さんたちを逃がすために、あそこで戦ったんですけど……駄目でした。全然、歯が立たなかった……」
悔しさが滲み出るように、無元は顔を歪める。
「そうだったんですか……。ごめんなさい、私が応援に行けていたら……!」
寧々は無元と立花の傷を見て、苦しそうに眉を寄せる。
「先生のせいじゃないですよ。誰のせいでもない。今は、後悔よりもやるべきことを考えましょう」
朝日が静かに言うと、寧々もこくりと頷いた。
「春川さんの救出、ですね」
「はい。もしまだ捕まってなければ、逃げ続けているはずです。先生、外部への応援は?」
「呼んでます。あと十五分ほどで到着予定です」
「……了解です」
一瞬の静寂。やがて──
「なあ、ひとつ聞いていいか?」
腕を組んだままの朝日が、二人を見た。
「どうしたんですか、朝日さん?」
「どうしたの、朝日くん?」
寧々と無元が揃って顔を向ける。朝日は少し困ったような顔で言った。
「いや、その……春川さんって誰?」
「「へっ?」」
二人の声がユニゾンで裏返った。見事に間の抜けた反応だった。
だが、よく考えれば当然だ。朝日は春川と会ったことがない。彼女の存在も、能力も知らされていなかった。
「そういえば……朝日さんには、まだ紹介してなかったですね」
「春川さんはですね、おっとりした感じの静かな女の子で、世界に三人しかいない《能力無効化》の能力者なんです」
「……なるほど。その能力が狙われたってわけか」
説明を受けて、朝日はようやく話の全体像を掴んだようだった。
「はい。だから、急いで助けに行かないといけないんです!」
無元が立ち上がろうとしたが──痛みで、すぐに膝をついた。
「バカ。そんな状態で立つな。……俺たちの仕事はここまでだ。あとは避難所で、無事を祈るしかない」
朝日はそう言って、踵を返して歩き出す。
「無元くん、あなたの怪我じゃもう戦えません。中に入りましょう」
寧々は風紀員にストレッチャーを持ってこさせ、無元と立花をそれぞれ乗せる。
「くそっ! まだ機竜くんや笹野さん、鈴葉さんが戦ってるのに!」
無元は悔しさを噛み殺すように、ストレッチャーの上で拳を握る。
「無元くん。今は治療が最優先です」
寧々が避難所の中へ向かおうとした──そのとき。
「待て」
先に歩いていたはずの朝日が、突然立ち止まり、無元のストレッチャーに近づいてくる。
「今……なんて言った?」
「えっ?」
「さっき、鈴葉とか聞こえた気がしたんだけど」
「……あっ!」
無元の顔から血の気が引いた。朝日が、鈴葉という名前にどれだけ敏感なのかを、すっかり忘れていた。
「そうです。今、鈴葉さんも春川さんたちと一緒に逃げています」
「なんであいつがそんな場所に……!」
「昨日、泊まり込みだったので……そのまま応援に来てたんですよ」
その瞬間、朝日は顔をしかめ、頭を抱える。
「あのバカ! 小心者でチキンなのに、なんでそんなややこしいことに首突っ込んでんだよ!」
次の瞬間、勢いよく立ち上がる。
「無元! 春川たちが逃げたのはどっちだ!」
「えっ、えーっと……あっちの闘技場方面です!」
「了解!」
朝日は風のように駆け出す。
「ちょ、朝日くん! どこ行くんですか!」
寧々が慌てて声をかけるが、彼は振り返らずに叫んだ。
「先生、ちょっと妹を迎えに行ってきます!」
そのまま、一直線に闘技場へと走り去っていく。
──そして、このわずか数分後。
朝日は、“ナイト”と呼ばれる敵と、運命の対峙を果たすことになる。




