朝日さんは家で一人です
時計を見ると、時刻はすでに午後六時を回っていた。
それを確認した朝日は、思わず「は〜〜」と大きくため息をつく。
あの後——。
仙崎に昼飯をご馳走になった朝日は、アンドロイドに襲われたときの状況を事細かに説明する羽目になった。
話を食い入るように聞いていた仙崎は、なかなか朝日を解放してくれず、つい先ほどようやく解放されたばかりだったのだ。
これでは、通常の授業時間がある日の帰宅とさほど変わらない。
競技祭の良いところは、授業や部活が休みで、いつもより早く帰れることだったのに……これではまったく意味がない。
「は〜〜……」
再びため息をつきながら、朝日はデバイスを取り出し、メールを確認する。
仙崎と話し込んでいたため、昼食のとき以来一度も見られていなかった。
いつも通り、ほとんどメールは来ていない——そう思っていたのだが、一件だけ通知が来ていた。
差出人は、妹の鈴葉だった。
なんだろう?と、画面をタップして開いてみると——
『今日は立花先輩の家でお泊まり会をするので、家には帰りません』
とだけ書かれた、あっさりとした文面だった。
どうやら鈴葉は、今夜は帰ってこないらしい。
しかも父さんと母さんは、今も出張中。
つまり——
「今日は、家に俺一人か……!」
朝日はその事実を悟ると、家へと向かっていた足を急きょスーパーへと向ける。
そこで安い肉と野菜、さらに魚介類を買い込んだ後は、レンタルビデオショップへ。
以前から観たかった映画を何本かレンタルすると、最後にコンビニへ立ち寄って映画鑑賞用のお菓子を買い揃える。
誰もいない家。
好き放題やっても怒る人はいない。
邪魔をしてくる人もいない。
つまり——最高の環境というわけだ。
いつもなら死闘の末にようやく手に入れられる焼肉の肉も、今日はすべて朝日のもの。
リビングの大型テレビを占領している母さんや鈴葉がいなければ、思う存分使い放題である。
「ふふふ……今夜は勝ち組だな……!」
そんなことを考えながら、朝日は軽やかな足取りで帰路につくのであった。
◇
同時刻——。
「今回の勝利と、明日の準決勝出場を祝して! かんぱーいっ!」
笹野時雨がコップを高く掲げ、景気よく叫ぶ。
「時雨……ちょっとやり過ぎだって。まだ優勝したわけじゃないんだし。決闘戦も残ってるんだからさ」
機龍ははしゃぐ笹野を軽くたしなめつつ、コップに入ったコーラを口に運ぶ。
現在、機龍たちは立花家の広い屋敷で、明日の棒倒し準決勝進出を祝う打ち上げ会の真っ最中だった。
メンバーは、機龍、立花、無元、春川、笹野に加え、機龍の妹と朝日の妹・鈴葉、そしてなぜかちゃっかり紛れ込んでいた寧々先生の総勢8人。
「やっぱり、立花さんの家って広いですね〜〜」
ビール缶を片手に持ち、寧々先生がしみじみと屋敷を見渡す。
「まあ、一応、立花家の人間ですから」
立花は淡々と答える。
「いいですね〜〜。私の家もこれくらい広かったら良いんですけどね〜〜」
そう言いながら、先生は豪快にビールをグビッと飲み干した。
「あの……寧々先生……」
「はい?」
「お酒、飲んでも大丈夫なんですか?」
「なんでですか〜?」
「いや、先生が飲んでると……なんか、見てて心配になってくるというか……」
立花は先生の小柄な体格を見つめる。
どう見ても、成人女性には見えなかった。主に身長と童顔が原因で……。
「失礼ですね! これでも私は、れっきとした成人女性なんですよ! しかも、お酒には強い方なんですからっ!」
ぷんすかしながらそう言うと、先生はまたもやビールをゴクッと飲んだ。
「……そうですか」
立花は何かを悟ったように、黙って食事に手をつけた。
「それにしても今日は、みなさん本当によく頑張りましたね! 先生は感動しました! 特に機龍くんは、本当に大活躍でした!」
寧々先生が嬉しそうに、機龍に向けて笑顔を向ける。
「い、いえ……先生。俺が頑張れたのは、クラスみんなのサポートと、ここにいるみんなの応援のおかげです。俺一人じゃ、何もできませんよ」
機龍はやや恐縮しながらも、そう答える。
「またまた〜〜。本当は大活躍だったくせに〜〜。……まあでも、こんな美少女たちに応援されたら、やる気も出ますよねぇ?」
寧々先生は、にこにこしながら春川や笹野の方をチラリ。
「ぶっ!」
機龍は思わずコーラを吹き出し、ゴホゴホとむせ返る。
「せ、先生っ、それは関係ありませんよっ!」
機龍はあたふたと否定するが、寧々先生はジト目でじーっと彼を見つめる。
「本当ですか〜〜?」
周囲の春川や笹野の頬が、心なしか赤くなっているように見えた。
「本当ですってば! あれは……いや、それは……つまり……!」
機龍はしどろもどろになりながら、目を泳がせつつ言い訳を連ねる。
「はいはい、分かりましたよ〜。そういうことにしておきましょうか」
そう言って先生は、再びビールをグビッと煽った。
その後も打ち上げは続き、談笑あり、ツッコミあり、笑いありで大いに盛り上がった。
途中、立花と機龍の妹が「どっちが機龍と一緒に寝るか」で口論になったり、酔っ払った寧々先生が春川を質問攻めにしたりと、トラブル(?)もあったが、総じて楽しいひと時となった。
やがて打ち上げも一段落し、一息ついた頃——
無元は二階のベランダで、夜風に当たっていた。
今ごろ女性陣はお風呂に入っているはずだ。
この屋敷のお風呂は、男女で別れてはいないものの、銭湯レベルの広さがあると立花が言っていた。
気にはなるが……それよりも今、気になっているのは機龍のことだった。
というのも、さっき女性陣が風呂に向かう直前、機龍が酔っ払った寧々先生に捕まり、どこかへ引っ張っていかれる姿を無元はしっかり目撃していたのだ。
——あの後、ちゃんと逃げられただろうか?
辺りを見回しても、機龍の姿はない。
「……まあ、大丈夫だろ」
そう自分に言い聞かせ、手すりにもたれ掛かったその時、不意にある人物の顔が浮かんだ。
「そういえば……朝日さん、なんで今日来なかったんだ?」
無元はそう呟き、すぐにデバイスを取り出して朝日に電話をかける。
数コールの後——
『もしもし、無元か? どうした?』
特に変わった様子もなく、朝日の声が聞こえてきた。
「あっ、朝日さん。いや、今日一度も会ってなかったんで、ちょっと気になって。どうして来なかったんですか?」
『棒倒しのことか』
「そうです」
『悪い、いろいろあって行けなかった。……理由は、今は話せないんだ。口止めされててな』
「口止め、ですか……。なんだか嫌な予感がしますね」
『その予感、正しいと思うぜ』
無元は朝日の声色から、事の重大さをひしひしと感じ取っていた。
『ところで、お前、今立花の家にいるだろ?』
「えっ、なんで分かったんですか⁉︎」
いきなりの指摘に、無元は驚きの声を上げる。
『鈴葉からメールが来たんだ。今日、立花先輩の家でお泊まり会するってな。"会"って言うくらいだから、複数人いるんだろうとは思ってたけど……やっぱりお前もいたか』
「ええ、今日の棒倒しの打ち上げも兼ねてるんですよ。……断るに断れなくて。機龍ハーレムの中って、なかなかキツいです」
『打ち上げね。……そういうのって、クラス全員でやるもんじゃないのか?』
「明日優勝したら、全体でやるんじゃないですかね。……優勝しなくてもやりそうですけど」
『金、かかりそうだな』
「ええ……もう、財布がピンチですよ」
無元は手元の財布を思い出しながら、げっそりした声でため息をついた。
「それで、朝日さんは今ひとりで何やってるんですか?」
『こっちか? そりゃもう、思いっきりやりたい放題だよ。親も出張中でいないし、妹もいない……最高だろ?』
「うわー……楽しそうですね」
電話越しでも、朝日の満喫っぷりが伝わってくる。
『ふふっ、いいだろ。今はな、一人焼肉しながら映画観てんだぜ? もう天国だよ』
「……すごいですね……」
無元は思い出す。
さっき鈴葉が「お兄ちゃん一人にしちゃったけど、大丈夫かな……ちょっと冷たすぎたかな……」と心配していたことを。
……どうやら、その心配はまったくの杞憂だったらしい。
「ところで朝日さん、明日の予定って知ってます?」
『いや、まったく』
「やっぱり……。明日は棒倒しの準決勝が朝10時からありますから、今度は遅れずに来てくださいよ?」
『了解。じゃあ、そろそろ切るぞ』
「ええ、それじゃ、また」
通話を終え、無元はデバイスをしまう。
ベランダでの長居で身体が少し冷えてきていた。
ちょうど今頃、女性陣がお風呂から上がる頃だろう。
無元もタイミングを見て、自分も風呂へ向かうのだった。
◇
無元が一階の大広間へ着替えを取りに行くと、そこには鈴葉が一人で座っていた。
「――あれ、鈴葉さん?」
声をかけると、鈴葉もこちらに気づいたようで、
「あっ、無元先輩。すみません、お風呂、先に失礼しました」
ぺこりとお辞儀をする。
「いやいや、気にしないで。僕は後からゆっくり入りたかっただけだから。それより、他のみんなは?」
「まだ入ってます。私は皆さんより早く出たので」
「そう。……まさかとは思うけど、早く出た理由って、機龍がいたから……とかじゃないよね?」
無元が冗談めかして尋ねると、鈴葉は一瞬黙り込んで、やがて顔を赤らめる。
「そ、そのまさかです……」
どうやら機龍は、あの魔性の寧々先生から逃げ切れなかったようだ。無元は、今なお風呂場で格闘しているであろう彼に、最大限の同情を送った。
すると、鈴葉がふいに改まった様子でこちらを見てきた。
「あの、無元先輩……」
「ん? どうしたの?」
「無元先輩って……お兄ちゃんと仲がいいって立花さんから聞いて」
「うん、仲はいいよ。……けっこうね」
無元にとって朝日は、単なる友人というより、どこか尊敬の念を抱く存在だったが、確かに仲は悪くない。
「それで……なんで先輩みたいな人がお兄ちゃんと仲良くなったのか、気になって……」
「どうして?」
「だって……あまりにも接点がなさそうで」
「それって、僕が上位ランカーで、朝日さんが下位ランカーだから?」
そう尋ねると、鈴葉は小さくコクリとうなずいた。
「うーん、でもね、たぶんそれは関係ないよ。鈴葉さん、考えすぎだよ。たまたま気が合って、クラスが一緒で、趣味も近かった。ただそれだけ。友達って、そういうもんだよ」
本当は、とても重要な「出会い」があったのだが――仮にそれがなかったとしても、朝日とは友達になれていた。無元には、そんな確信があった。
「そんなもの……ですか?」
鈴葉は少し拍子抜けしたような顔で、ぱちぱちと瞬きをする。
「こんなことを聞くってことは、鈴葉さんは朝日さんのこと、気にしてるの?」
「べ、別に気にしてるわけじゃ……。ただ、ちょっと最近、お兄ちゃんと喧嘩しちゃって」
「喧嘩ねぇ。それで気になってたわけか」
「い、いえ……そういうわけでは……」
「でもさ、どうして喧嘩なんかしたの?」
「それは……お兄ちゃんが……」
後半の声は小さすぎて聞き取れなかった。鈴葉自身も、あまり話したくなさそうな雰囲気だったため、無元はそれ以上聞こうとはしなかった。
そんなこんなで朝日の話をしていると、風呂場の方からわいわいとした声が聞こえてきた。どうやら、女性陣プラス機龍がようやくお風呂から出てきたらしい。
「じゃあ、鈴葉さん。僕もそろそろ入ってくるね」
「はい。……いろいろありがとうございます。お話できて、よかったです」
またぺこりと頭を下げる鈴葉に、無元は笑みを浮かべて答えた。
「うん、僕も楽しかったよ」
そう言い残して、大広間を後にする。
――が、無元はふと、ひとつ言い忘れたことを思い出した。
すぐさま踵を返して大広間に戻ると、突然の再登場に鈴葉がビクッと肩を跳ねさせた。
「ど、どうしたんですか、無元先輩? 忘れ物ですか?」
「ううん、違うんだ。ただ、鈴葉さんに言い忘れてたことがあって」
「……言い忘れてたこと?」
鈴葉は首をかしげ、きょとんとした表情を見せる。
「えーっとね。……まあ、朝日さんは、鈴葉さんが思ってるほど悪い人じゃないよ、ってこと」
その一言を残して、今度こそ無元は去っていった。
――残された鈴葉はというと、ぽかんとした表情のまま、ただただ呆然と立ち尽くすしかなかった。




