朝日は来ません......
朝日は全身アザだらけの体を引きずりながら、第3グラウンドへと向かっていた。
気づけば、昼休みはとっくに終わっており、棒倒しが始まるまで、もう時間がなかった。
というのも──障害物走の表彰式が終わったあと、朝日はアナウンス席を吹き飛ばした件の責任を取らされ、昼休みを丸々使って復旧作業の手伝いをさせられていたのだ。
そのせいで昼食は抜き、休憩もゼロ。
いまだに体中が痛む。
手に持っていた賞状に視線を落とす。
「賞状 障害物走 第一位 大空朝日殿」
──そう書かれていた。
本来なら喜ばしいはずなのに、今はまったく嬉しくなかった。
朝日は賞状をクシャリと丸めそうになる手を押しとどめ、痛む体をさすりながら足を速めた。
このまま普通のルートで行っては間に合わない。
朝日は8号館の裏手にある、少し近道になる脇道を使うことにした。
──その途中のことだった。
ふと、どこからか音が聞こえたような気がして、朝日はそちらへ視線を向ける。
すると、普段なら閉まっているはずの扉が開いていた。
それは第3グラウンドの旧地下ロッカールームのドアだった。
この地下ロッカールームは、かつては更衣室として使われていたものの、第3グラウンドから遠すぎる上、地下にあって薄暗く不気味だという理由で、数年前に閉鎖されたはずだ。
今は南京錠で施錠され、使えなくなっているはずなのだが……。
(誰かが臨時で使ってる……?)
そう思いつつ、朝日はゆっくりと近づいた。
ドアの前まで来たとき──足元で「ガリッ」と、何かを踏んだ音がした。
驚いて足をどけ、音の正体を拾い上げてみると……それは、見るも無惨に破壊された南京錠だった。
グニャグニャにねじれ、原形を留めていない。
鍵で開けたわけでもない、無理やりこじ開けたというレベルでもない。
明らかに、何か異常な力が働いた痕跡だ。
臨時で使うだけなら、鍵を使えば済む話。
それをわざわざこんな風に壊す必要なんてない。
(……不自然すぎる)
警戒心を強めながら、朝日はドアの隙間から中を覗き込んだ。
中は地下へと続く階段が、薄暗くぽっかりと口を開けている。
朝日は糸の能力を使い、階段の脇にあったスイッチを操作して明かりをつけた。
パッと灯る蛍光灯──だが、反応はない。
気配は感じない。
朝日は慎重に中へと足を踏み入れ、音を立てぬよう階段を降りていった。
地下のロッカールームのドア前に立つと、再び糸で明かりを点灯。
やはり、中に誰かがいる様子はない。
そっとドアを開け、ロッカールームの中に入る。
そして、目を凝らして辺りを見回した。
──無人。
そのまま一周しても、人の姿はどこにもなかった。
「……やっぱりな」
肩の力を抜いた朝日は、小さくため息をついた。
おそらく、どこかの不良がこのロッカールームを溜まり場にでもしていたのだろう。
南京錠を壊したのも、そういう類の能力者だ。
学院には、あんな錠前をグニャグニャにできる程度の能力者なんて、腐るほどいる。
そう思って、踵を返したとき──
「あっ! 棒倒し!!」
すっかり頭から抜けていたことを思い出し、時間を確認する。
集合時間まで、残り3分──!
「ヤベッ!!」
叫ぶと同時に、出口に向かって全力ダッシュ。
今からなら、ギリギリ間に合うはずだ。
ドアノブに手をかけた、その瞬間──
背後に、強烈な気配を感じた。
「……!」
朝日は反射的に振り返る。
そこには──
◇
「朝日さん、遅いな〜〜」
無元は第3グラウンドを見回しながらつぶやいた。
すでに集合時間は過ぎていて、今は作戦の打ち合わせの真っ最中。もう間もなく棒倒しが始まろうとしている。
「無元、どうしたの?」
立花が不思議そうに声をかけてきた。
「朝日さんが来ないなって思ってさ」
「朝日?」
立花も辺りを見回す。
「そういえば、いないわね」
どうやら、今になって朝日がいないことに気づいたらしい。
「どうしたのかしらね……」
そんなふたりの会話に気づいたのか、機龍翼が小走りで近づいてきた。
背後にはおなじみのメンバー、妹のななみ、中学時代の幼なじみ・春川木葉、風紀委員の笹野時雨、そして朝日の妹である大空鈴葉が連れ立っている。
ちなみに、彼らはみんな機龍の応援に来ただけで、棒倒しには参加しない。Bクラス所属は立花のみで、他は別クラスか別学年だ。
「どうした? 何かあったか?」
「それが……まだ来てない人がいるんだ」
無元は少し戸惑った様子で説明する。
「来てない人? 誰よ?」
「朝日、大空朝日。そこにいる鈴葉ちゃんの兄」
立花が説明すると、機龍はグラウンドを見渡した。
「本当だ、いないな。何かあったのか?」
「知らないわ」
立花は首を振る。
「無元、お前は何か知ってるか?」
「いや、今日は朝日さんと一度も会ってないから……」
無元も首を横に振った。
機龍は再び辺りを見回すが、やはり朝日の姿はなかった。
「翼……どうかした?」
様子を気にした春川木葉が声をかける。
この春川という少女は、立花に次ぐ機龍のもう一人の幼なじみ。小柄で無表情、静かな雰囲気の中に可憐さを感じさせる少女だ。
能力は非常に珍しく、世界に三人しかいないとされる“無効系能力者”のひとりでもある。
「それがね……まだ来てない人がいて」
「遅刻する人にロクなやつはいない……待つ必要なんて、ない」
春川が淡々とした口調で言い放つ。
「それも一理あるけど……今回の棒倒しは一人でも多く人手が欲しいからな」
機龍は、一回戦とは違い、今回の戦いがかなり厳しいものになると見ていた。そのため、ひとり欠けるだけでも戦力ダウンになる。
その時――
「翼、遅刻してるやつって、強いのか?」
風紀委員の笹野時雨が尋ねた。
「いや……強いか弱いかは知らないが、多分、弱い分類だと思う」
機龍がそう答えると、笹野は腕を組んで鼻を鳴らした。
「はっ、翼、お前そんなやつあてにしてるのかよ。遅刻してるだけでも最低なのに、しかも弱いとか、あてにするだけ無駄だぜ」
この笹野という少女は、男勝りで気の強い性格。風紀委員のエースとして活躍しており、整った容姿とスタイルで女子人気も高い。
公式ファンクラブが存在するほどで、"可愛い"というより"美少女"という表現がふさわしいだろう。
機龍とは以前、風紀委員の仕事中に助けられたことがきっかけで惚れ込み、今では仕事以外でも機龍にべったりである。
「それもそうだな……とりあえず、朝日が担当する予定だったポールは、別のやつに守らせよう」
機龍はそう言って配置変更の指示を出す。
「でも、本当にどうしたのかしら。あいつ、こういう行事にはちゃんと出てくるタイプだと思ってたけど」
立花が不安げに呟くと、無元も小さくうなずいた。
「同感ですね。朝日さんは確かに面倒くさがりですけど、成績に響くようなことは絶対にしませんから」
すると――
「お兄ちゃん、来てないんですか……?」
小さな声が聞こえた。
みんなが声の方を向くと、そこには鈴葉が肩を震わせて立っていた。顔を伏せ、涙をこらえているようだった。
「鈴葉ちゃん、まだ“来ない”って決まったわけじゃ……」
立花が優しく言いかけたが、鈴葉はいきなり頭を下げた。
「本当にすいません! うちのバカお兄ちゃんが、こんな大事なときに……迷惑かけて……本当にすいません!」
鈴葉は何度も何度も頭を下げ、涙をこぼした。
「すいません……本当に……すいません……」
兄に対して責任を感じているのだろう。
その時――
「それは違う!」
機龍の力強い声が鈴葉の涙を止めた。
「鈴葉ちゃん、それは違う! 君が謝る必要なんて、どこにもない!」
「でも……あの人は私のお兄ちゃんで……」
「確かに兄妹だ。でも、それでも別人だ! たとえ血を分けた兄妹でも、人生は別物だ! 君は君自身の道を進まなきゃいけない!」
鈴葉にはずっと、兄・朝日に対するコンプレックスがあった。
兄は下位ランカー、自分は上位ランカー。
才能の差は明らかで、その差に対して罪悪感すら抱いていた。
“自分だけ、幸せでいいのか?”
そう思い詰めていた心を、目の前の機龍は強く否定してくれた。
“君は君の道を進めばいい”――そう、はっきりと。
「……本当?」
鈴葉は恐る恐る問いかける。
「もちろん!」
その瞬間、鈴葉の中で何かが音を立ててほどけた。
もう、兄に縛られなくてもいい――そう感じた。
「……はい」
鈴葉は小さく頷いた。
機龍は優しく、彼女の頭をクシャクシャと撫でた。
……なんとも感動的なシーンなのだが。
その様子を見ていた無元は、ふぅっと大きなため息をついた。
「朝日さんも、大変ですね……」
そう呟きながら、もう一度辺りを見渡す。
だが、やはり朝日の姿はなかった。
無元は言いようのない胸騒ぎを感じながら、棒倒し第二回戦へと挑んでいく――。




