変わらぬもの、変わっていくもの
——同じ頃。
京都・聚楽第 本丸御殿。
縁側に座り、キセルを燻らせながら庭をぼんやり眺めているのは、関白・豊臣秀次と、兵站奉行・石田三成だった。
「はぁぁ〜……良ぇ天気やなぁ……。」
「そうですね……。」
二人の姿は、とても二十代と三十代前半には見えない。
上と下に挟まれ、心労を溜め込み、胃薬と縁が切れない。
そんな四、五十代の中間管理職そのものであった。
「はぁ〜……。佐吉、吸い過ぎちゃうか?」
「………治兵衛様が言いますか?」
「……せやな。」
秀次は吸い殻をタバコ盆に落とし、湯呑みを手に取る。
「治兵衛様。」
三成が、少しだけ真面目な声になる。
「誠に……関白職を返上なさるおつもりで?」
「ああ。」
即答するその声に迷いがない。
「秀保と鶴松の後見を務め、諸侯の統率を取る。
そうなれば、関白の務めが疎かになるかもしれん。」
一拍。
「ならば……五摂家の誰かに任せた方が、朝廷も安心だろう。
……既に、各家には話を通してある。」
「なるほど……。」
三成は頷く。
「では、殿下は……?」
「叔父上か?」
秀次は肩を竦める。
「……何も言うとらん。」
「えぇ〜……。」
「徳川殿や前田の親父殿には伝えてある。それで十分や。」
「……はぁ。」
三成は紫煙を吐き出した。
「佐吉、こんな所におったのか。」
「治兵衛様もご一緒でしたか。」
縁側に現れたのは、福島正則と大谷吉継だった。どちらも、疲れ切った顔をしている。
「佐吉ぃ〜……お茶〜。」
「市松、俺は茶やないで。」
「お茶淹れてって意味ー!」
「だったらそう言わんかい。」
ぶつぶつ言いながらも、三成は煙管を置き、二人のために茶を淹れる。
なんだかんだで、幼馴染には甘い三成である。
湯呑みを受け取った正則は、三成の煙管に目を留めた。
「お前、煙草吸い過ぎだで。」
「……ええやろ、別に。今更や。」
「ふ〜ん。」
肩を竦める。
「まぁ、程々にしとけよ。お前、すぐ吸い過ぎるからなぁ〜。」
「……んなら、お前は酒を程々にせえ!!」
三成が即座に噛みついた。
「毎度毎度、面倒ごと起こしやがって!
お前の尻拭いをする俺や虎、紀之介の身にもなれ!!
この天災まがいの大馬鹿野郎が!!」
ギロリ、と睨みつけられるが、正則はにへら、と笑った。
全然反省してない。そんな顔である。
三成のこめかみに、ぴくりと青筋が浮かぶ。
「……はぁ。」
その空気を、吉継がやんわりと和らげた。
「佐吉、落ち着け。」
福島正則。
その名を知らぬ者はいないが、酒が入ると手がつけられない。
酒でやらかした数は未知数、"天災級の酒乱”である。
「酒呑童子と張り合えるの、あいつくらいじゃね?」などと冗談半分で言われるほどには。
有名な話もある。
黒田家の家臣、母里太兵衛が使者として訪れた際。
正則は真昼間から酒を飲み、機嫌よく絡み始めた。
「これ飲み干せたら、褒美やるで〜。」
止める家臣を無視し、並々と注いだ酒を差し出すと、太兵衛は静かに答えた。
「では、あの槍を頂きとうございます。」
視線の先には、名槍——日本号。
正則は、軽く頷いた。
「ええで。」
——そして、太兵衛はその酒を一滴残らず飲み干した。
(……やらかした。)
気付いた時には、遅い。
武士に二言はない。
意地を張った正則は、秀吉から賜った名槍・日本号を、そのまま譲ることになった。
この話は後に「黒田節」として語り継がれることになる。
「お前、この間も松寿んとこの母里殿にちょっかい出してたな!!」
三成の声が鋭く響く。
「使者を困らせてどないすんねん!阿呆がっ!!」
「いや〜、酒が強いって聞いたから、つい〜。」
正則は悪びれもなく笑う。
「ほんまに強かったんやでぇ?顔色ひとつ変えとらんかった!」
「……それで?」
三成の目が細くなる。
「殿下より賜った槍を、そのまま譲ったんやろうが。
自業自得のくせに、後から返せなどと……。
んな言われたら、松寿や母里殿でなくとも怒るわ!
お前の尻拭いをした紀之介に感謝しろ!」
「ははは!あの時はすまんかった〜!紀之介!」
「いや……もう終わった事だ。」
「ほんまに悪い思うてんのか!?その顔で!?」
三成の怒気が増す。
「ヘラヘラしよってぇ……。」
「佐吉〜、そんなに怒るなや〜。」
正則は肩を竦める。
「折角の男前が台無しだでぇ?」
「誰のせいやっ!!だ・れ・の!!」
そのやり取りを吉継は静かに宥めていた。
変わらぬこの光景を眺めながら、秀次はふと遠い昔を思い出していた。
——長浜で過ごした、少年時代。
年上の三成や正則、清正の後ろを、いつも追いかけていた頃。
彼らは幼い秀次を、弟のように可愛がってくれていた。
(将来の主君やのに、な。)
ふっと、笑みが零れる。
(あの頃から……。佐吉と市松と虎之助は、よう喧嘩して、紀之介が止めに入ってたなぁ……。)
ある日のことだった。
正則と清正、そして三成が大喧嘩を始めた。
周囲が止めても、収まらない。
あまりの騒ぎに幼かった秀次は、泣き出した。
それも、ただの泣き声ではない。
まるで封じられた妖怪が目を覚ますかのような、とんでもない大声だった。
流石の三人も喧嘩を中断し、必死にあやしにかかったのだが、騒ぎを聞きつけてやって来た寧々と智、そして仲に容赦なく雷を落とされた。
(あれは……怖かったなぁ。)
ふっと、苦笑する。
そして、もう一つ思い出す。
「なんで、佐吉と市と虎は喧嘩ばかりするのですか?」
そう寧々に尋ねた幼い日の自分。
「三人とも、私にとって兄者だから。仲良くしてほしい。」
その問いに、寧々は笑って答えた。
「喧嘩するほど、仲がええのよ。」
その日の夜、寧々に連れられて、こっそりと子飼いたちの部屋へ連れて行かれた。
覗いた先には、昼間あれだけ喧嘩していた三人が、並んで眠っている姿。
三成がふらりと起き上がったかと思ったら、布団を蹴飛ばしている正則と清正に、そっと布団を掛け直す。
そして自分も、再び眠りにつく。
しばらくして、今度は正則が寝ぼけて起き上がった。そして、何を思ったのか、三成の布団へ潜り込む。
さらに清正も、無意識のまま寝返りを打ち、三人は、くっつくようにして眠っていた。
「……な?」
寧々が小さく笑う。
「治兵衛は何も心配せんでええ。この三人はねぇ、お互いをよう分かっとるからこそ、喧嘩しとるんよ。」
——現在。
目の前では、相変わらず三成と正則がやり合い、それを宥める吉継。
何一つ、変わっていない。
思わず、秀次は声に出して笑った。
「いやいや、気にするな。」
三人が慌てて頭を下げる中で、秀次は笑いながら言う。
「時代は変わっても、俺たちは変わらんな、と思っただけや。」
その笑顔は、どこか昔に戻ったような、そんな穏やかなものだった。
こんな風に笑う秀次を、彼らは久しく見ていなかった。
「父上様、随分と楽しそうですね。」
鈴のような声に、秀次は顔を上げた。
そこには、秀次の継娘である於宮姫が、柔らかな笑みを浮かべて立っていた。
三成、正則、吉継の三人は、すぐさま頭を下げる。
「於宮、来たか。本日は如何過ごしておった?」
「今川の御屋形様より茶の湯と華道の稽古を。
それから道休様より和歌の稽古を付けて頂きました。」
「そうか、精進いたせ。」
「はい、父上様。」
穏やかなやり取り。その姿は紛れもなく、一人の父親であった。
(あのお小さかった治兵衛様が……。)
三成たちは、どこか感慨深げにその様子を見守る。
於宮姫の視線が、ふと横へ流れる。
「それより、父上様。」
視線の先にあるのは、タバコ盆。
「母上や於妻の方様たちと“程々に”とお約束なさったはずでは?」
じとり、と頬を膨らませ、秀次を睨む。
「もう喫まれておりますの?」
「……。」
一瞬、空気が止まる。
「姫様、それは……!」
三成が慌てて前に出る。
「某がお誘いいたしました!」
「まぁ、治部様が?」
「秀次様が控えておられるとは知らず……。誠、申し訳ございません。」
深々と頭を下げる三成に、於宮姫は少し驚いたように目を瞬かせた。
「……そうでしたか。」
そして、ふっと表情を和らげる。
「治部様がご存じなかったのであれば。
どうか、そこまで頭をお下げにならないでくださいまし。」
「……ありがたきお言葉。」
三成は静かに頭を上げる。
「ですが。」
於宮姫は、少しだけ声を強めた。
「此度だけでお願い致しますね?」
「母上たちが何も言わなければ、父上様はずっと喫み続けてしまわれますもの。」
「はっ。以後、気を付けます。」
「ありがとうございます。」
くすり、と微笑んでから。
於宮姫はさらに言葉を続けた。
「もし、父上様が隠れて喫んでいようものなら、その時は遠慮なさらずに、お止めくださいまし。左衛門様も刑部様も、お願いします。」
「「はっ!」」
「おい、お前たち……。」
秀次が呆れたように眉を寄せる。
「於宮の言うことを聞くつもりか?」
「姫様は、秀次様のお身体を案じておられるのです。」
吉継が静かに言う。
「刑部様の仰る通りですわ。」
於宮姫も頷く。
「今の豊臣には、父上様は無くてはならぬ御方なのですから。」
「……。」
一瞬だけ、秀次の表情が引き締まる。
「姫様の申される通りですぞ。」
正則が口を挟む。
「タバコは程々に!」
「「「だったら、お前は酒を程々にしろっ!!!」」」
三方向からの一斉ツッコミが入った。
「えぇ!?」
正則はいつものように誤魔化すように笑う。まるで反省の色はない。
その様子が可笑しかったのか、於宮姫は堪えきれずに、クツクツと笑い出した。
穏やかな笑いが、縁側に広がる。
(……こんな日々が。)
秀次は、その光景を眺めながら思う。
(いつまでも続けばええのに、な……。)
だが、同時に思う。
(……守らなあかん。)
ふと空を見上げる。
(これからは、今まで以上に。)
静かに目を閉じる。
(小一郎叔父……。どうか、俺たちを見守っててちょう……。)
目を開けて視線を戻すと、まだやっている。
三成と正則の言い合い。それを止める吉継。
そして、その輪に加わる於宮姫。
変わらない光景だが、もう自分は守る側なのだと。
秀次は、改めて心に刻んだ。
【ちょっと登場人物紹介】
・豊臣秀次
通称:治兵衛/関白様
身長:約169cm(茶々と同じぐらい)
豊臣政権の実質No.2。
幼少期は浅井家臣の宮部家に人質に出されており、そこで武家の礼儀作法を叩き込まれた。
秀吉子飼いたちの事は『兄』と慕い、三成たちにとっても、主君であると同時に『弟』でもある。
叔父・秀吉によく似て、無類の女好き。なのだが、女心をよく分かっていらっしゃるようで、女性たちもコロッとしちゃう。
また本人も公家の貴公子のような爽やか好青年なのもある。
正室の一の台も、もはや諦めている。
母・智に似たようで腕っぷしは意外にも強い。秀吉をぶん殴るほどには強い。
叔父の秀長亡き後、豊臣家をどう残すかを思案中。秀吉より先に根回し完了させるぐらいは、ちゃっかりしてる。
・豊臣秀勝
通称:小吉/大納言様
身長:約175cm前後
秀次の弟。
史実では朝鮮の役で若くして病死するのだが、今世では役が発生していないので健在。
叔父の秀長から政務を学ぶ。
豊臣家公式イケメン。しかも高身長。人当たりもよく、気が利く性格で、公家の姫たちの憧れの存在。
密かにファンクラブが出来ているが、当然本人は知らない。
史実では茶々の妹・お江と結婚するのだが、公家の姫君を妻に迎える。
・豊臣秀保
通称:辰千代(幼名)/大和殿
身長:158cm前後(成長期なのでまだ伸びる可能性大)
秀長の嫡男で、母は側室のお藤の方。
秀長家当主。
秀次と秀勝の従弟でもある。
本来なら彼は、秀吉の姉・智の子なのだが、タイムリープのバグのせいか、運命のイタズラか、秀長の息子として爆誕。
父の英才教育のおかげか、真っ直ぐ育つ。
従兄の秀次と秀勝の事を兄と慕う。
父亡き後、腹心である藤堂高虎に支えられながら、大和を統治中。




