後継者の後ろは誰が支えるのか
その日の昼過ぎ。
萩乃が家康と旭の元を訪ねると、思わぬ顔ぶれが揃っていた。
「御屋形様と……道休様もおいででしたか。」
今川氏真と、足利義昭。
この二人がいる時点で、ただ事ではないと分かる。
「久しいの、萩乃。」
氏真が穏やかに笑う。
「儂と道休様がここに居るということは……。まぁ、大体察しておろう?」
「ああ〜……はい。」
萩乃は苦笑する。
「で、萩乃。どうしたん?」
旭が促すと、萩乃は咳払いをして姿勢を正す。
「大殿と御台様に、お耳に入れて頂きたい事が。御屋形様と道休様にも、お聞き願えれば。」
その場の空気が引き締まる。
萩乃は間者からの報告を、簡潔に伝えた。
——拾丸擁立の動き。
話を聞き終えた家康は、眉間に皺を寄せる。
旭と氏真は呆れ顔。
そして、道休は頭を抱えていた。
「……兄様が、跡目は鶴松って決めとったんやないの?それに……治兵衛かて、家督を鶴松にって。」
旭が呟く。
「若政所様は正室。」
氏真が静かに言葉を継ぐ。
「京極家の嫡出の姫でもある。されど……。」
一拍。
「淀殿は、側室とはいえ。」
さらに一拍。
「三好と足利の血を引く姫。さらに、道休様の養女でもある。
血筋と家格だけを見れば、淀殿側に軍配が上がるのじゃ。」
「……つまり。」
旭が確認する。
「母親の家柄で、ってことですか?」
「そういうことじゃ。」
氏真は頷く。
「もっとも、殿下も、関白様も鶴松を選ばれておる。
じゃがな、ひっくり返ることもある。」
「……はぁ〜。」
旭は肩を落とす。
「正室の子なのにねぇ。お武家様も大変やなぁ……。」
家康が口を開く。
「萩乃。」
「はっ。」
「引き続き、豊臣へは目を張っておけ。
其方が関東へ戻った後は、お時に任せよ。戻る前に、一通り引き継いでおけ。」
「承知いたしました。」
萩乃は一礼し、部屋を後にする。
道休は、まだ頭を抱えていた。
「道休様……。」
氏真が声をかける。
「そこまで悩まれることでも……。」
「いや……。」
道休は深く息を吐く。
「儂が、斎をすぐ寺へ入れておれば……こんなことには。
ああ〜……困ったのぉ……。」
空気が若干重くなる。
「そんなに悲観せんでもええんやないですか?」
旭が、あっけらかんと言った。
「「……え?」」
全員の視線が集まる。
「鶴松の後見は、治兵衛がするって。皆の前で言うたやないですか。」
「それに——」
にっこりと笑う。
「鶴松には、前田加賀様もついてる。それだけやないですよ。」
一拍。
「我が徳川も、後ろ盾になります。」
「「……え?」」
今度は本気で驚く二人に、旭は気にせず続ける。
「あら、御屋形様。昔、教えてくれたやないですか。書の手解きのついでに。」
氏真が目を瞬かせる。
「……何をじゃ?」
「歴史ですよ、歴史。」
旭は指を立てる。
「貞観から応徳の頃まで、藤原家が帝の外戚として、政を動かしていたって。」
その瞬間、氏真の目が見開かれる。
「……ああ!」
ぱちん、と指を鳴らす。
「成程のう!」
家康が静かに微笑む。
「道休様。落ち込むのは、まだ早うございます。」
道休の頭の上には、見事なまでの疑問符が浮かんでいた。
静まり返った室内で、家康がゆっくりと口を開いた。
「先ほど、我が妻が申しておりましたな。
鶴松君の後見は、関白たる秀次様が務める、と。」
一同の視線が集まる。
「前田加賀殿もまた、秀次様と共に後見となることを、公にされておる。……それに。」
わずかに間を置く。
「旭殿は、鶴松君の実の叔母。
そして、鶴松君の異父姉である賢姫は、我が息子、秀忠の正妻にございます。」
静かに、しかし確信を持って言い切る。
「某が鶴松君を推すことに、不自然はござりませんでしょう。」
誰も、すぐには言葉を返せない。
家康はさらに続けた。
「対して、拾丸君は……まだ一歳。そして、その母は……あの淀殿。」
空気が、僅かに軋む。
「豊臣家正妻たる若政所様を母に持つ鶴松君を推す大名、公家は多いでしょうな。」
沈黙。
やがて、道休がゆっくりと口を開いた。
「……ああ。そうじゃな。鶴松君の後ろ盾は、確かじゃ。」
力の抜けた笑みを浮かべる。
「二百五十万石の徳川殿。そして、太閤の腹心である前田加賀殿。
その両名が、関白様と共に後見となるならば……。
いずれ、賛同する大名も増えるであろう。」
一拍。
「室町の御所も、今は昔……。旧幕臣家が国持ちといえど、徳川殿や前田殿のような力は、もはや無い……。」
道休は、かすかに笑った。
それは、どこか諦めを含んだ笑みだった。
旭が言っていた「貞観から応徳」は、平安時代の元号です。
貞観は9世紀、応徳は11世紀の元号なので、かなり長い期間になります。
この頃の藤原氏は、天皇の外戚となることで朝廷内で大きな政治的影響力を持っていました。
また、家康公が言っている「お時」は、西郡殿の本名です。




