大政所の、最初で最期の我儘
日本史に影響を与えた、サン・フェリペ号事件。
史実を遥かに上回る、ど修羅場へと発展した。
島津と大友、両家の関係悪化を見かねた豊臣家は、九州へ調停役を派遣する。
派遣されたのは、秀次の弟・秀勝、そして"軍師" 黒田官兵衛。
両家の間を取り持ちつつ、サン・フェリペ号の船員たちへの処分が下された。
・船長および責任者:長崎にて処刑
・その他の船員:八丈島へ流罪
流罪となった者たちには厳重な監視が付き、不穏な動きがあれば、やむなし、即時処断。
ひとまず、事態は収束となった。
島津家は不満を滲ませつつも、形式上はこれを受け入れた。
師走は過ぎ、あっという間に年が明ける。
それでも茶々たちは、まだ上方に居た。
本来であれば、秋のうちに領地へ戻るはずだった。
だが度重なる騒動で帰国は延期に次ぐ延期。
子供たちも、さすがに諦めたのか、以前のように騒ぐことはなくなっていた。
師走の慌ただしさが駆け抜ける年末に、徳川家康が江戸から上洛した。
その一行の中には、茶々の夫・井伊直政の姿もあった。
およそ一年ぶりの再会に、子供たちは大はしゃぎだ。
直政は一人の女児を伴っていた。春に杏が産んだ次女の勝姫である。
「御方様と、政姫たちに会わせてやりたい。」
滅多にわがままを言わない杏の願いを、直政は受け入れたのだ。
ようやく会えた妹に、政姫たちは夢中になる。
毎日のように「誰が抱くか」で勝姫を取り合いしており、井伊家は一気に賑やかになった。
家康と旭に従い、大坂城で太閤夫妻へ年始の挨拶を済ませ、一行は城下の徳川邸でしばらく滞在することとなる。
(今年こそは帰れるかな……。)
帳簿に目を落としながら、茶々は小さく息をつく。
(杏や於軽に任せっぱなしだしな……。)
そこへ、萩乃が入ってきた。
「御方様、よろしいでしょうか。」
「何かあったの?」
萩乃は、わずかに言葉を選ぶようにして、告げる。
「小一郎様が……ごほん。大納言様が、お倒れになられたそうです。」
「……え?」
「僧医の見立てでは、心労が原因とのことです。」
(ああ……。)
茶々は思わず目を伏せる。
(秀長様、働き過ぎなんだよ……。引き金はどう考えても九州の件よね。
ほんと、何してくれてんのよ……あの“首置いてけ族”……。)
「太閤殿下の命により、しばらく療養なさるとのことです。
奥方と若君の秀保様を伴い、摂津の有馬温泉へご滞在されるそうです。」
「そっか。」
茶々は小さく息を吐く。
秀長の一人息子の秀保。
本来、この子は秀吉の姉、智の子であるが、運命のイタズラか、ループのバグか……。
今世では、秀長の息子として爆誕した。
「有馬は古くから湯治に良いって言われてるものね。」
「秀勝様も、どうにかして休ませようと悩んでおられたし……。」
仕事人間。それが、豊臣秀長という人だ。
(ここは、ちゃんと休んで戻ってきてほしいな。
……まだまだ長生きしてもらわないと、困るもん。豊臣家の……いや、日の本の平和は秀長様に掛かってると言っても良い。)
茶々は心の中で、静かにそう願った。
秀長一家が有馬温泉で療養生活を送っている最中、新たな報せが大坂に届いた。
秀吉たちの母、仲が倒れたのである。
秀吉はすぐさま各地の名医を呼び寄せ、畿内の寺院にて祈祷を行わせた。
しかし、回復の兆しは見えず、仲の容態は日に日に衰えていった。
やがて仲は、自らの最期を悟ったのか、秀吉と寧々、旭、そして娘婿である家康を呼び寄せる。
「オラァも、いつアッチに逝くか分からんで。
その前に……秀忠と賢姫の婚儀が見てゃー。
冥土の土産に、孫の晴れ姿を見てから逝きてゃー。」
その願いに、誰一人として逆らうことは出来なかった。
秀吉と寧々、そして家康夫妻は、急ぎ婚儀の準備を進める。
療養中であった豊臣秀長も、この婚儀のため一時的に大坂へ戻った。
そして、文禄三年二月。
雪の舞う大坂城にて、徳川秀忠と賢子の婚儀が盛大に執り行われた。
「徳川家嫡男」と「太閤の養女」
早急に準備された婚儀にも関わらず、その宴は豪華絢爛を極め、三日に渡って若い夫婦の門出を祝った。
仲は、二人の初々しい晴れ姿を見て、どこか安堵したように微笑んでいた。
賢子の母である竜子は、思いがけぬ形で娘の晴れ姿を見られたことに、涙を流して喜んだ。
それから、二週間後。
仲は、大坂城にて息を引き取った。
息子たちと孫たちに見守られた、穏やかな最期であった。
だが、その死を前にした秀吉の悲しみは、深かった。
亡骸に縋り付き、声を上げて泣き続ける。
天下人と呼ばれる男の姿は、そこにはなかった。
仲の葬儀は、「太閤の母」に相応しく、盛大に執り行われた。
茶々もまた、直政と共に参列し、その別れを見送る。
(ババ様……どうか、安らかに……。)
仲は、京都の大徳寺境内に創建された天瑞寺に、手厚く葬られた。




