茶々、元大名とお茶会する(ただし、内容は物騒)
それから一週間後。
茶々は手作りの菓子を携え、萩乃を連れて今川邸を訪れた。
氏真へ連絡を入れてすぐ、『上手いと評判の茶を手に入れた。奢るからおいで。お菓子宜しくね、楽しみにしてます』と返事が来た。
その一文に火が付いた。
気合いを入れて作り始めた結果、気付けば一週間が過ぎていた。
(卵と砂糖が手に入りにくいってのもあったけど……。)
案内の侍女の後ろを歩きながら、茶々は小さく息を吐く。
「御屋形様。箕輪殿をお連れいたしました。」
通されたのは、屋敷の奥にある茶室だった。
静かな空気の中、上品な所作で茶を点てる男が一人。
しかしその背筋は武人のそれで、微塵の隙もない。
今川氏真である。
「お茶々、待っておったぞ。」
「御尊顔拝し、恐悦至極にございまする。
今川の御屋形様におかれましては、ご機嫌よろしゅう。」
「かように他人行儀にするでない。ささ、入られよ。」
「はい、失礼いたします。」
茶々は茶室に入り、氏真の向かいに静かに座った。
「遅れてしまい申し訳ございません。砂糖などがなかなか手に入りにくく……。」
そう言って、茶々は控えていた萩乃へ目配せすると、萩乃は重箱を前に差し出した。
「箕輪様手製の菓子にございます。」
「おお!これを待っておったのよ!」
氏真は子供のように目を輝かせ、重箱の蓋を開ける。
「うむ……此度も見事なり。」
「有り難きお言葉にございます。」
「お茶々、これは何じゃ?」
「はい、ご説明いたします。」
茶々は少し身を乗り出し、ひとつずつ指し示した。
「こちらは干した夏みかんと山葡萄を混ぜたカステラにございまする。」
「ほう……」
「こちらはボウロとビスケット。ビスケットにも夏みかんを混ぜております。
そしてこちらは唐饅頭。柚子を混ぜた餡を包みました。」
「うむ……楽しみじゃ。お茶々の菓子はどれも美味であるからな。」
「作り過ぎてしまいましたので、是非とも早川様や若君にも。」
「うむ。儂が独り占めしては罰が当たるの。」
氏真は侍女を呼び、いくつか取り分けさせる。
「これを室と倅たちに。」
「はい。」
「あ、お待ちを。そちらにもございます。」
萩乃はもう一つの重箱を差し出した。
「なんと……恐れ多い。」
「張り切って作り過ぎてしまって。よろしければ、皆で召し上がってください。」
「お茶々がこう申しておる。貰っておけ。」
「……はい。箕輪様、御心遣い感謝申し上げます。」
「さて……茶も良い頃合いじゃな。」
氏真が静かに言う。
「萩乃、其方も上がれ。」
「……いえ、私は……」
「御屋形様の仰せよ。従いなさい。」
「…………はい。失礼いたします。」
三人での茶会は、穏やかな雰囲気の中、進んでいた。
「小吉殿より、蹴鞠の稽古を頼まれてのう。」
「秀勝様にですか?」
「うむ、正月に下鴨神社にて蹴鞠初めがあるじゃろ。此度、公家衆の前で披露する事になったそうだ。」
「そうですか。秀勝様がお出になるとなれば、公家の奥方たちの間ではさぞ賑やかでしょうね。」
蹴鞠は『軟弱なお公家様の遊び』と思われがちだが、実際は違う。
鞠を落とさぬための集中力と持久力、そして繊細な足さばきが求められる。
目の肥えた公家衆から絶賛されるほどの腕前を持つのが、目の前の男——今川氏真だ。
あの織田信長ですら「是非見たい」と熱望したほどである。
「実はな……。」
氏真がふと声を落とした。
「聚楽第にて、関白様の奥方たちに茶湯の稽古を付けに行った折にな……。関白様の家老らが、良からぬ事を申しているのを、偶々耳にしての。」
茶室の空気が、わずかに変わる。
「良からぬ事、でございますか?」
「うむ。此度、薩摩にイスパニア船が漂着し、船員らが“この日の本を支配する”と申した件……そこまでは聞いておるな?」
「はい。萩乃から。」
「太閤殿下はそれに激怒されておる。」
一拍。
氏真は静かに茶を置いた。
「どうも殿下は……唐入りを、すなわち明征服を、本気で考えておられるようじゃ。」
「唐入り……。」
茶々は表情を崩さぬよう、そっと息を呑む。
(おいおい、マジか……。まさか、サン・フェリペ号事件が、唐入りの引き金になる?
……マジでやめろ。)
「なれど、大納言様——秀長様や関白様らは反対されておる。
今は必死に説得に当たっているようじゃ。」
(秀長様、秀次様……頼む、止めてくれ……。)
茶々は静かに息を整える。
「公家衆は、何か申されておりましたか?」
「うむ。摂家の近衛前久殿も加わっておるそうじゃ。」
「そうですか……。」
そこで、氏真はわずかに目を細めた。
「……なれど、気掛かりは淀殿じゃな。」
「淀殿、ですか?」
思わぬ名に、茶々はわずかに目を見開く。
「殿下の寵愛ぶりは、其方も知っておろう。
あれを見るに……どうにも嫌な予感がしての。」
言葉を選ぶように、氏真は続ける。
「……淀殿が、余計な事を言いそうでな。」
茶々は、湯呑みに口をつける。
「例えば……唐入りを進言なさる、とか。」
「……有り得ぬ話ではない。」
「………あの、恐れながら。」
「何じゃ、萩乃。」
「淀殿が何を申されたとしても、殿下の御心がそこまで左右されましょうか?」
一瞬だけ沈黙が流れたが、氏真は苦笑する。
「其方の言いたい事は分かる。だがな……。」
視線が鋭くなる。
「先の、淀での騒動、忘れたわけではあるまい?」
「あ……。失言にございました。」
「気にするでない。」
氏真は茶々へ向き直る。
「お茶々。儂は公家衆に探りを入れてみよう。」
「ありがとうございます。」
「それから……甲賀衆や伊賀衆を、淀城の周辺に潜らせておけ。用心に越した事はない。」
「はい……萩乃。」
「心得ました。」
「江戸の大殿——家康へは逐一報告した方が良いじゃろ。」
「はい。決して探られぬよう、細心の注意を払います。」
茶室の空気は、もう先ほどまでの穏やかなものではなかった。
静かに、だが確実に——何かが動き始めていた。
【ちょっと人物紹介】
・今川氏真
通称:御屋形様
身長:170cm前後
今川家の当主。
『名門今川家を滅亡させた愚将』なんて言われてるけど、家督相続した時点で"詰んでた"んだから、そう言わないでやって。
今川家没落後は各地を転々とし、最終的には家康の配下となり、外交役として京都に住んでる。
人が良く、面倒見の良い性格。
宿敵たる織田信長の姪である茶々の事は、自分と境遇が似てるとの事で、気に掛けてる。
茶々にとっては『頼れる親戚のおっちゃん』枠。




