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歴史のズレは、海の向こうからやって来た

文禄二年、十一月。


茶々たちが上洛して、まもなく一年になろうとしていた。


京都に滞在する茶々のもとへ、宇都宮の結城秀康から文が届く。

十月下旬に、お江が女の子を出産した、との報せだった。


母子ともに健やかで、生まれた姫は『市姫』と名付けられたという。


母・お市の方のように、気高く美しい姫に。


そんな願いが込められているのだろう。


(……良かった。)


茶々は、妹夫婦の幸せを心から願った。


あれ?茶々たちなんでまだ京都におるん?と思った、そこのあなたたち。


理由は簡単だ。――帰れなかった。


本来であれば、七月から八月には国許へ戻る予定だった。

だが、あの異様な暑さだ。大人たちでさえうんざりしてるのに。

子供たちの体力を考え、帰国は延期。

子供たちは不満げだったが、あの暑さでは致し方ない。


加えて――伏見にいる旭が戻るまで、留守を預かる必要もあった。


それから、十月へとあれよあれよとずれ込んだ。


そして、十月に入ってから、ようやく旭が京都へ戻って来た。

安土殿は、一足先に小田原へ帰国したので、旭や茶々たちも帰国に向けて準備を整えていた、その頃――


「………え?ごめん、萩乃。……なんて?」


萩乃からの報告は、あまりにも唐突だった。


暑くもないのに、額に汗が滲む。

扇子を、無意識に早く動かしていた。


「あ、はい。では……改めて申し上げます。」


萩乃は一呼吸置いた。


「薩摩領にて、イスパニアの船が漂着いたしました。」


「……は?」


「島津家家臣、伊集院様が取り調べを行ったところ――」


続く言葉に、空気が凍る。


「イスパニアは、まず宣教師を送り込み、キリシタンを増やし、やがてその国を征服する……と。」


「…………。」


「実際に外国で行ってきた手口を、この日の本でも行っていたと、はっきり申したそうです。」


冗談ではない。


(それ、バラしていいやつじゃないでしょ……。)


喉が、ひくりと鳴る。


「……それで、その船の名は?」


自分でも分かるほど、声が震えていた。

萩乃は、はっきりと言い切る。


「サン・フェリペ号にございます。」


その瞬間、茶々は盛大に後ろへ倒れた。


「箕輪様!?」


「御方様っ!!」


「しっかりなさってください!」


「薬師を――!」


周囲が一斉に騒ぎ出す。だが、その声はどこか遠い。


(なんでこの時期に起こるのよ!!ま(・)だ(・)早いでしょうがぁぁ!!しかも……なんでよりによって、薩摩なんんん!!)


史実では、サン・フェリペ号が漂着したのは土佐、そして発生したのは文禄五年。

しかし――今世では文禄二年に薩摩に漂着した。


明らかにズレている。


(……もう、私の知ってる歴史じゃない!いや!今更だけども!それにしても……なんで!?)


ぐらりと視界が揺れるが、なんとか体を起こした。


「箕輪様!」


「お気付きに!?」


「薬師をお呼びします!」


「……大事ない。薬師は、不要じゃ。」


ゆっくりと息を整える。


「ですが――」


「騒ぐでない。」


静かに言い切る。


「……水を、持ってきてくれない?」


「はい!」


お品が駆け出す。廊下を走る足音が、やけに大きく聞こえた。


やがて差し出された茶碗を受け取り、ゆっくりと水を飲む。冷たい水が、喉を通って落ちていく。


「……はぁ。」


空になった茶碗を返しながら、茶々は額を押さえた。


(……でも、起きたもんをどうの言ったって仕方がない。さて……これからどうする?)


「御方様……このような時に、なのですが……。」


お元が言いにくそうに口を開いた。


「どうしたの?」


茶々は穏やかに問い返すと、お元は覚悟を決めたように、懐から小さな包みを差し出した。


「江戸の大殿様より、今朝方……御方様宛に文が届いております。」


「……嫌な予感しかしないわね。」


受け取った文を開き、目を通す。


「……はぁ。」


文を読んだ後、盛大に嫌そうな顔をした。


「御方様……?」


萩乃たちが、何事かと顔を見合わせていると、茶々は額を押さえたまま、ぽつりと呟いた。


「萩乃。聚楽第と伏見……例の者たち、張ってる?」


「はい?ええ……それなりには。」


「そう……。」


深く溜め息を吐いた後、嫌そうに告げる。


「大殿が“内密に調べろ”って。」


「……は?」


茶々は文を差し出した。


読んで良いというのとなので、萩乃たちは文に目を走らせる。


短い文ではあるが、内容は重い。


『島津に喧嘩売った阿呆の話、聞いたぞ。

しかもイスパニア人らしいじゃない?

豊臣の内側、探ってくれない?

そっちには今川の兄者がおるから。頼りなさい。

く・れ・ぐ・れ・も、内密に。』


要約すると、そういう事だ。


文を読み終えた萩乃が遠い目をする。


「今川の兄者、とは……。」


「氏真様よ。」


茶々が即答する。


今川氏真。


かつて、駿河の守護大名として、『天下に最も近い』と言われた今川家の当主だ。

家康とは、幼い頃より共に過ごし、兄弟のような間柄である。


今川家没落後は各地を転々とし、最終的に家康の傘下となり、『やんごとなき御家』と関わりの薄い徳川家の外交役を務めている。


「氏真様は顔も広いし、こういう時は頼れるわ。(……頼れって書いてるし。)」


かつては「愚将」とまで言われた男。

だが実際は、家督を継いだ頃には家はすでに崩壊寸前。そこから人を守り、繋ぎ、今に至る。


(あの人、普通に有能なのよね……。しかも、なんであんなに人がいいのよ……。)


茶々にとっては、“気軽に頼れる親戚のおっちゃん”である。


「……まぁいいわ。」


茶々は一つ息を吐き、顔を上げた。


「やるしかないでしょ。………萩乃。」


「はい。」


「聚楽第と伏見に潜らせてる者たちに伝えて。

“イスパニア絡み”を重点的に洗えって。」


「かしこまりました。」


「お品。」


「はい!」


「今川邸に使いを。氏真様に“折り入って相談あり”って伝えて。」


一拍。


「出来れば一週間以内に会いたい。」


「承知いたしました!」


「くれぐれも目立たないように。今回は“絶対にバレたらいけないやつ”だから。」


「はっ。」


「お元。」


「はい。」


「御台様のところへ行くわ。多分、同じ文が届いてる。」


「承知いたしました。」


まだ頭は少し重いが、立ち上がる。


(倒れてる場合じゃない。島津に、イスパニア。しかも、よりによって今の時期。

朝鮮の役が起こっていない影響が出たのか……。

でも、なんでよりによって、島津なの?)


ゆっくりと息を吐く。


(……面倒なことになってきたわね。)

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