嵐は二郎系ラーメンより濃かった
お品とお元が茶と菓子を運び、それぞれの前に静かに置く。
旭は軽く頷き、控えの間へ下がるよう命じた。
二人が退室し、戸の外にお桐と八重が控え間へ移ったのを確認してから、旭が口を開く。
「鶴松はどうしてるの?」
「本日は、孝蔵主殿から書の手解きを受けております。」
「そっかぁ〜。……そんで、竜子さん。城奥でまた何かあったん?」
旭の問いに、竜子は一度お茶を口に含み、そのまま堰を切ったように語り始めた。
話は、思っていた以上にややこしかった。
まず、寧々が使っていた御殿には、秀次正室の一の台と、その娘・於宮姫が入った。
於宮姫は一の台が前夫との間にもうけた子で、秀次の養女となっている。
秀次は彼女を妹のように可愛がり、姫もまた兄のように慕っているため、傍から見れば親子というより兄妹に近い関係だという。
一方で、竜子の御殿には、秀次の上位側室である、四条隆昌の娘・於妻の方。
そして元織田家臣・山口重勝の娘、於辰の方。
さらに、華姫たちが元々住んでいた屋敷には、別の側室たちが入る予定となっていた。
「……側室、多すぎるんですわ。」
竜子が疲れたように息を吐く。
秀次の側室はすでに十人を超え、既存の屋敷では収まりきらない。そのため、秀吉は新たに屋敷を増築させている最中だという。
だが、問題はそこではない。
「阿波の姫の女房の一人がね……。」
竜子が眉を寄せる。
「“このままでは面倒なことになるから、早めに淀城へ移した方がいい”って、寧々様と私に相談してきたの。」
その女房は、数少ない“まともな判断ができる人物”らしい。
寧々も同意し、秀吉へそれとなく進言した。
工事で人の出入りも増える、姫は繊細だから、環境を早く整えた方がいい。初めての出産なのだから、なおさらだ。
秀吉も一度は納得し、阿波の姫へ直接話を持っていった。
「ところが、よ。」
竜子がため息をつく。
「“殿下のお側を離れるのは心細い”って、泣き出して。」
「……ああ。」
茶々と旭が同時に微妙な顔になる。
「で、殿下がコロッとしちゃったんよ。」
(……阿呆めっ!!)
「分かってはいたけど……せめて、そこは説得すると思うでしょ?」
秀吉はしなかったのだ。結果、話は振り出しに戻る。
その後、阿波の乳母殿が珍しく寧々と竜子のもとへ頭を下げに来た。
「“姫様を説得して下さい”って。」
そして、寧々と竜子が説得に向かうのだが……。
「泣いてばかりで、話にならへんのよ。」
それでも粘り強く言い聞かせた結果、『殿下が一緒に来て下さるなら』と条件を出してきた。
「……いや、それは無理でしょ。」
茶々が思わず呟く。
「乳母殿も同じことを言ってたわ。
“そればかりは出来ませんよ"って、優しくなだめてたんだけど……。」
「聞かない、と。」
「ええ。まったく。」
――結果として、寧々、竜子、乳母、そして女房たち全員がお手上げだ。
「阿波の姫の我儘には、ほとほと疲れました……。」
竜子はぐったりと肩を落とした。
「出産、春頃やったよね?」
旭が腕を組む。
「そろそろ移っといた方がええ気はするけど……。」
「どうして、そこまで殿下に拘るのでしょう。」
茶々は静かに問う。
「さぁ……。」
竜子は首を振ると、旭がぽつりと呟いた。
「自分の父親と、重ねて見てるとか?」
沈黙が落ちる。
(……それにしても。)
もう間もなく出産だというのに。……母になる自覚は、ないのか。
茶々は眉間に皺を寄せたまま、湯呑みを傾けた。
竜子も、旭も、同じような表情で、無言のまま菓子を口に運んでいた。
「……まぁ、阿波の姫の話はこれくらいにして。」
(まだあるんかい。)
茶々は心の中で即ツッコミを入れた。
「近頃の殿下のことなんだけど……。」
「竜子さん、この際やし全部吐いてまいな。」
旭があっさり背中を押す。
(これ……今日中に終わる?)
茶々は無言で、空になった湯呑みに茶を注ぎ足した。
「殿下に、また気になる女が出来まして……。
どうしても側室にしたいらしくて。」
(またかい!)
「……どちらの姫でしょう?」
「北条家家臣、成田氏長殿の娘――甲斐姫よ。」
(甲斐姫?……って、あの甲斐姫!?)
茶々の脳裏に、一瞬で“あの武勇伝の塊”が浮かぶ。
「もともと、北条氏直殿の正室・督姫に仕えていた女房だったのだけど……。」
竜子は、静かに語り始めた。
小田原征伐の後、北条氏直は高野山での謹慎を解かれ、伯耆国・倉吉一万石を与えられ、再び大名として復帰した。
妻の督姫、そして子どもたちとともに。
長男・松千代丸。
次男・国王丸。
さらに、長女・摩尼姫に次女・万姫。
摩尼姫は、父方曽祖母にあたる寿桂尼の実家・中御門家へ嫁ぎ、残る万姫は秀吉の意向で池田家へ縁組された。
相手は、池田輝政の嫡男・利隆。まだ、八歳同士の夫婦であるが、仲睦まじいと京の人々は口を揃えて言う。
(ほんま、この時代……早いよな。)
婚儀のため、一度京都へ入った氏直一家。
無事に婚礼を終えた後、督姫は幼い娘を案じ、督姫の乳母・知保と万姫の乳母・巴、そして女房である甲斐姫に、娘を託した。
そのまま甲斐姫たちは、万姫付きとして京に残ることになる。
それが、天正二十年のこと。
そして、文禄二年の年始。
利隆と万姫は、父・輝政に伴われ、秀吉へ挨拶に訪れる。
問題は……その場で起きた。
「……殿下が、甲斐姫を見初めてしもて。」
「うわぁ……。」
茶々は思わず顔をしかめた。
「輝政殿も、利隆も、万姫も居るその場でねぇ……堂々と口説き始めたのよ。」
「最悪やな。」
「全員、固まってたわ。」
当の甲斐姫は、にこにこと笑っていたが……
こめかみには、はっきりと青筋が浮かんでいたという。
それを見た寧々と竜子は我に返り、秀吉の肩を掴み、そのまま奥へ引きずって行った。
(ナイス判断。)
戻ってきた竜子が甲斐姫に詫びると、彼女はにこやかに応じた。
「私は万姫様の女房にございます。
御方様より、姫様をお預かりしておりますゆえ。」
言葉は丁寧。……丁寧なのだが。
「太閤殿下の側室に上がることは、この世の女の誉れにございましょう。なれど、私の主は万姫様にございます。
主人のご意向なくしては、何とも。」
(つまり、万姫が“いい”って言えば来る、ってことか。)
ちらりと見た万姫は、今にも泣きそうな顔をしていた。
そして、甲斐姫は笑っているのに、目がまったく笑っていない。
(そりゃ怒るわ。)
その場で、竜子ははっきりと言い切った。
「万姫、心配いりません。甲斐姫はどこにも行かせませんから。」
「ありがとうございます、若政所様。」
話を終えた竜子は、深く息を吐いた。
「もしかして……。」
旭がぽつりと呟く。
「阿波の姫が淀の城に行くの嫌がってるの、甲斐姫が原因なんやない?」
その一言に、茶々と竜子は顔を見合わせた。
「姉様。」
茶々が静かに口を開く。
「阿波の姫に淀へ移るよう話が出たのは、池田侍従様が御嫡男と万姫を伴って、殿下へ年始の挨拶に来られた後ですか?」
「え……ええ、そうね。
阿波の女房が私たちのところへ来たのも、その少し後だったわ。」
「やっぱりなぁ。」
旭が肩をすくめる。
「兄様を甲斐姫に取られるのが嫌なんやろうね。
なによ、これもみんな全部、兄様が悪いわ。他の女に目移りするから。」
不機嫌そうに、豆菓子を一つ放り込む。
「で、甲斐姫はどうなん?兄様に靡いてへんの?あの女狂いは、気に入った女を手に入れる為なら手段選ばんで。」
「いいえ、まったく。」
竜子はきっぱりと言った。
「のらりくらりと、上手く躱しております。」
(……流石、関東の女傑。)
茶々は内心で舌を巻く。
「江戸の阿茶殿から、殿がぶつくさ文句言うてるって文が来とったんやけど……これのことか。」
旭が苦笑する。
家康からすれば、万姫は実の孫だ。
その孫に仕える女房へ手を出そうとする秀吉に、文句の一つも言いたくなるのは当然だろう。
「義姉上様も竜子さんも、ほんま苦労掛けるね。
ウチの兄様が女狂いなせいで。」
「……いいえ。」
竜子は、かすかに笑った。
「それでも――惚れた御人ですから。」
その笑みは、どこか力なくて。
(……厄介な人に惚れたもんだな。)
旭と茶々は、同時にそう思った。(口には出さないけどね。)
それからも、竜子の愚痴は延々と続き、西日が沈む頃には、すっかり顔色も良くなっていた。
竜子はホクホクした顔で聚楽第に帰って行った。
愚痴を聞く、と言っていた旭はげっそりしていた。
(そりゃ、あんな二郎系ラーメン全マシマシ、ニンニクアブラ別皿、生卵とチーズ、フライドオニオン追加トッピングってぐらい濃い話聞かされたら、そうなるべ……。)
「……なんか、胸焼けするわ。」
「では、夕餉は軽めのものに致しましょうか?」
「うん、そうして。」
茶々は控えの間の侍女を呼び、夕餉の支度を指示する。
「義母上。」
障子が開き、秀忠が顔を出した。
その後ろから井伊家の子どもたちが、ワラワラとついてくる。
万次郎と弁之助は、迷うことなく茶々の元へ駆け寄った。
「ああ、秀忠殿。すまんな、一日中あの子たちの相手させて。」
「いいえ。私が言い出したことですし……。お政たちと遊べて、楽しかったですよ。」
秀忠は穏やかに笑う。
「茶々姉、そろそろ夕餉の刻です。後の支度は私が。」
「はい。それでは、失礼いたします。」
茶々は子どもたちを連れ、旭の私室を後にした。
(……ほんま、嵐の前って感じやな。)
そんな予感を、胸の奥に残したまま。




