浅井の面影
師走の京は、慌ただしかった。
正月を前に、行き交う人々も、どこか落ち着かない。
大坂城に一週間ほど滞在した後、茶々は子供たちを連れて京都へ入った。
聚楽第近くにある徳川京屋敷に到着すると、一息つく間もなく旭のもとへ向かう。
子供たちは着いて早々に眠ってしまい、萩乃や乳母たちに任せてきた。
「お茶々、ご苦労やったわね。母様は相変わらず?」
「はい、つつがなくお過ごしで御座いました。」
「母様ももうええお歳やからね……。
大坂に華姫たちがおったんやってね?元気やった?」
「はい。華姫たちもお変わり御座いませんでした。
大坂に、お寿様とお虎様も居られましたので、ご挨拶に伺いました。
……万寿姫様はお虎様に似て、お可愛らしい姫君で御座いましたよ。」
「じゃあ、万寿は将来は美人になるね〜。ほんま、兄様に似なくて良かったわね。」
その言葉に、茶々は内心で強く頷いた。
「あの、旭様。聚楽第は……いかがでしたでしょうか?」
「ああ……思ったより空気が重いわ。」
(マジか〜……。)
「早速やけど、お茶々。明日、竜子さんのところに顔出してきて。
秀忠殿と賢姫の結納の前に、会いたいって。」
「はい。」
「それから、お政たちも連れて行ってやって。
竜子さん、お政たちに会いたがってたの。」
「承知いたしました。」
***
翌日、茶々は子供たちを連れて、聚楽第の奥、竜子の御殿へと向かった。
弁之助は茶々の腕の中で身じろぎもせず、大人しくしている。
初めての場所に、赤子ながら緊張しているのだろう。
一方で、虎松と万次郎は好奇心のままに廊下を駆け、乳母たちが慌てて追いかけていた。
「虎松!万次郎!」
政姫の声に、二人はぴたりと足を止める。
「急に走ったらダメでしょう。
虎松も万次郎も兄上なのだから。」
「……はい、姉上。」
「あい……。」
「箕輪様、こちらで御座います。
若政所様がお見えになるまで、お待ちくださいませ。」
案内された部屋に入り、下座で待つ。
やがて、竜子が女房を従えて姿を現した。
茶々が頭を下げると、政姫と虎松も倣い、万次郎も見よう見まねで頭を下げる。
「お茶々、よう来てくれたわね。」
「お久しゅうございます、姉様。」
「お茶々、顔をよく見せて。」
ゆっくりと顔を上げる。
久方ぶりに見る竜子は、相変わらず美しい。
だが………その頬は明らかに痩せていた。
「姉様。こちらが長女の政、長男の虎松、次男の万次郎、そして三男の弁之助にございます。」
穏やかな声で紹介しながら、茶々の胸の内では別の感情が渦巻いていた。
(……ちっ!サルめ!ウチの姉様にどんだけ気ぃ遣わせてんのよ!……禿げろ。)
茶々はふと竜子を見る。
竜子はどこか戸惑ったような表情を浮かべていた。
「姉様?いかがなさいましたか?」
「……あ、いえ。その……万次郎が、万福丸によく似ているものだから……。」
「――あ……。」
空気が、わずかに止まる。
「……母上。万福丸様とは、どなたですか?」
政姫が茶々を見上げると、表情を曇らせた母の顔。
幼いながら何かを察したのか、政姫は慌てて両手で口を塞いだ。
竜子は静かに立ち上がり、政姫のもとへ歩み寄る。そして、その小さな手をそっと取った。
「万福丸様は……母の兄上です。」
柔らかな声で、しかし確かに告げる。
「浅井が滅びた折に……亡くなられたの。まだ、十にもなっていなかったわ……。」
浅井万福丸――。
父・浅井長政が、前妻との間にもうけた嫡男。
茶々たち三姉妹にとっては、異母兄にあたる。
母・お市の方は万福丸を我が子同然に慈しみ、
万福丸もまた、継母であるお市を「母」と慕っていた。
妹たちを可愛がり、文武に秀で、容姿も端麗。
浅井の跡取りに相応しい、自慢の兄だった。
そして、小谷城落城の前夜に、お市は嫡男である万福丸を密かに逃がした。
『どうか遠くへ……生き延びておくれ。それだけで、母は良いのです』
だが、その願いは叶わなかった。
万福丸は捕らえられ、『仇の男子を生かしておくわけにはいかぬ』と、織田信長の命を受けた豊臣秀吉によって、処刑された。
その事実は、お市や茶々たちには伏せられていた。
しかし、事の次第を知ったお市は周囲の制止を振り切り、首実検の場へ駆け込んだ。
変わり果てた我が子を抱きかかえ、小袖が汚れるのも構わず、泣き叫んだ。
『鬼じゃ……兄上は鬼じゃ……!この子は、ただ浅井の子として生まれただけなのに……!
子を持つ親でありながら……どうして……!
私の子に……こんなことが出来るのですか……!!』
母の悲痛なあの声は、二十年近く経った今も耳に残っている。
「母上……。」
「ははうえ……。」
気付けば、茶々は言葉を失っていた。
政姫と虎松が、不安げに顔を覗き込む。
万次郎は小さな身体で寄り添い、ぎゅっと抱きついてくる。
膝の上の弁之助は、茶々の手を小さな手で握っていた。
「……ごめんね。大事ないわ。」
茶々はそっと微笑む。
「母にとって、万福丸様は誠に自慢の兄上だったのよ。
もし今も生きておられたなら……。きっと、其方たちにとっても自慢の伯父上だったでしょうね。」
「お茶々……ごめんなさい。」
竜子が静かに言う。
「私が、似ているなんて言ったから……。」
「いいえ。」
茶々はゆるく首を振る。
「確かに、万次郎を見ていると兄上を思い出します。けれど――」
一拍、置く。
「万次郎を通して、兄上が今も側にいてくれているような気がするのです。」
茶々は万次郎の頭に手を置いた。
「どうですか、姉様。万次郎は兄上によく似て、優しい子でしょう?」
その言葉に、竜子は万次郎を見つめていたが、ようやく微笑んだ。
「ええ……本当に。」
静かな声で、確かに言う。
「万福丸や、新九郎叔父上によく似ているわ。」
竜子は万次郎をそっと抱き上げ、自らの膝へ乗せ、そのまま愛おしむように頭を撫でる。
「万次郎は母想いね。浅井の当主に相応しい子だわ。」
「ふふ……そうでしょう、姉様。」
茶々も柔らかく笑う。
「虎松も、万次郎も、弁之助も。皆、私にとって自慢の息子なのですよ。」
「母上!政は!?」
「もちろん、お政も。」
茶々はすぐに答える。
「母にとって、自慢の娘よ。」
その言葉に、政姫はぱっと顔を輝かせる。
竜子はその様子を見て、くすりと笑った。
「お政は、本当に……お茶々の幼い頃によく似ておるわ。」




