姫君の結納、豊臣家の火種
夏の暑さが本格的になり始めた八月。
茶々は政姫を連れ、再び江戸を訪れていた。
竹千代――元服し、長康と名を改めた若君との結納のためである。
四月に訪れた時よりも整備が進んだ城下を眺めながら、茶々はふと考える。
(ここが、後に大都会になるのかぁ……。)
隣では、政姫が目を輝かせて辺りを見回していた。
本来であれば、杏や虎松たちも連れて来る予定だったが、杏が第二子を身籠ったため、今回は留守を任せている。
江戸城、本丸御殿にて、長康との対面した。
かつて岡崎で会った幼い少年は、すっかり面影を変えていた。
祖父・織田信長と祖母・安土殿の血を色濃く受け継いだ、端正な顔立ち。更に、十二とは思えぬ背丈と落ち着き。
まさに“美しい”と形容するに相応しい若君へと成長していた。
思わず見入る茶々の横で、政姫は頬を真っ赤にして茶々の後ろへ隠れてしまう。
「あらあら、恥ずかしいのかしら。」
安土殿がくすりと笑う。
「政姫は、お茶々の小さい頃によう似ておる。」
「そうですか?」
「ええ。でも……お茶々の方が、もっと活発だった気がするわ。」
(それ、ただの落ち着きない子では……?)
茶々は内心で苦笑する。
幼い頃、敗将の娘として舐められてはならぬと意気込み、従兄弟たちを物理的に泣かせまくった。その度に、母に怒られていたが……。
……こうやって思い返してみると、どう考えても「活発」で済む話ではない。
そんなある日、ちょうどその場面に信長が居合わせた。
茶々にぶん殴られて泣いている従兄弟、棒を手にして立ちすくむ茶々を見比べて、信長は豪快に笑った。
『お茶々が男ならば、天下取りに名を連ねておったやもしれぬな!』
茶々が、最初で最後に見た、伯父の笑顔だった。
その後、滞りなく結納は進み、長康と政姫の婚約は正式に成立した。
その場に居合わせた家康は、『長康は三郎に似ておると思っていたが……こうして見ると総見院様の若き日によう似ておる』と感慨深げに語った。
一方で、旭と阿茶局はというと………。
完全に長康に見入っていた。
(おばちゃんがイケメン好きなのは、いつの時代も共通か。)
茶々は心の中でそっと突っ込む。
やがて儀式が終わると、長康が立ち上がり政姫の前へ歩み寄った。
「姫。よろしければ、城内を散策なさいませんか。」
政姫は茶々を見上げる。まだ頬は赤いままだ。
「行ってきなさい。」
茶々は優しく背を押した。
「折角のお誘いよ。」
政姫はこくりと頷き、長康に手を引かれるようにして部屋を出て行った。
その背を見送りながら、旭がぽつりと呟く。
「まだまだ、兄妹みたいやね。」
「……はい。」
その場に、柔らかな空気が流れる。
「さて。」
家康が口を開くと、一瞬で空気が変わった。
「お茶々と安土の御方様に、頼みがある。」
「頼み事、ですか?」
旭が姿勢を正す。
「此度、長丸が……いえ、秀忠殿が京極の賢姫と正式に婚約いたしました。」
長康と同じく元服し、秀吉より偏諱を賜った長丸は、『秀忠』と名を改めていた。
「結納のため上洛し、そのまま暫く京に滞在いたします。」
旭は静かに続ける。
「その折に、お茶々と御方様にも同行していただきたいのです。」
安土殿はすぐに頷いた。
「異存はありませぬ。」
だが、茶々は少しだけ言葉を濁す。
「私は……構いませんが。夫と領地、それに子供たちが……それに、杏が身籠っておりまして。」
「ああ、そのことなんやけど。」
旭が阿茶局に目配せをすると、茶々の前に漆盆をスッと差し出す。その上には、一通の文。
「北政所様よりの書状にございます。」
茶々はそれを手に取り、目を通した。
――そして、表情がわずかに強張る。
「お茶々、何と?」
安土殿の問いに、茶々は静かに答えた。
「……阿波の姫君が、懐妊されたそうです。」
その場の空気が、一瞬で変わる。
寧々の文には、さらに続きがあった。
阿波の姫は、かつての天下人・三好の血を引き、さらに足利将軍家とも縁を持つ。
もし男児が生まれれば、その血を掲げ豊臣の後継に据えようとする動きが出るだろう。
奥向きはすでに騒然としており、竜子も平静を装いながら、内心は穏やかではないという。
そして、茶々を竜子の側に暫く置いてほしい、との願いが記されていた。
(……厄介ね。)
茶々は静かに思う。
(もし男児なら……確実に波乱になる。)
まだ生まれてもいない命が、すでに政を揺るがしかけている。
(せめて……産まれる子が、姫であることを願うばかりだわ。)
茶々は、胸の内でそう呟いた。




