縁談は早い者勝ち
江戸城・奥座敷、旭の部屋。
重く沈んだ空気を払うように、旭がぱっと声を上げた。
「――はい、暗い話はここまで!」
場の空気を無理やり切り替えるような明るさだった。
「今日はな、2人に相談があって呼んだんよ。
長丸の許嫁を探したいんや。」
「若君の、許嫁……?」
茶々と五徳は顔を見合わせる。
「もともと三介様の姫君と婚約してたんやけどな……その姫君が……。」
「……そう、ですね。」
「せやから、歳の近い姫を探したいんよ。」
(正史なら、お江が嫁ぐはずだけど……今は違う。)
茶々は頭の中で候補を巡らせる。
(お初の藤姫はまだ幼い。豊臣の万寿姫は論外……年齢が離れすぎてる。)
「……お茶々。」
五徳が口を開いた。
「京極の姫は?」
「藤姫はまだ六つ、幾らなんでも幼いですよぉ。」
「いや、違う違う。そっちじゃないわ。」
五徳は小さく首を振る。
「若政所様の姫、武田にいた頃の子よ。」
「ああ……。」
旭が思い出したように頷く。
「於竜ちゃん、やったっけ?」
「はい。今は賢子と。」
天正七年生まれ、今年で十三。
「長丸と同い年やね。」
「若狭武田と京極の血を引き、関白殿下にとっては義理の娘。豊臣家とも繋がりがございます。」
阿茶局が淡々と条件を並べる。
「徳川嫡男の正室としては、申し分ないでしょう。」
「……確かに。」
茶々も頷いた。
「竜子姉様からは、まだ縁談の話は聞いておりませんし。」
「よし、一度殿に話してみるわ。」
旭が満足げに頷く。
「あ、そうだ。」
五徳が、ふっと茶々に視線を向けた。
「ついでってわけじゃないんだけど……。お茶々に相談があるの。」
「……何でしょう?」
何となく嫌な予感がする。
「政姫を――」
一拍。
「ウチの竹千代に頂戴。」
「……は?」
茶々は盛大に咽せた。
「お政を、ですか!?」
「そう。」
さらりと頷く五徳。
竹千代は信康の嫡男。長丸より一つ下で、今年十二になる。
「お政は、まだ四つですよ?」
「分かってるわよ。」
五徳は肩をすくめた。
「今すぐ嫁がせるわけじゃないわ。婚約だけ先に押さえておきたいの。」
(来たな……先手取り。)
「このまま放っておいたら、義父上様に取られる気がするのよ。」
「……なるほど。」
茶々は腕を組んで考える。
(政略結婚の駒としての価値は、十分すぎる。)
井伊直政の長女。浅井の血を引き、織田にも連なる。
このまま自由にしておけば、どこに引かれてもおかしくない。
「(だったら、先に押さえるってことか。)……確かに、一理ありますね。」
茶々は静かに頷いたが、それでも悩む。
(早すぎるのは分かってる。……でも、この時代は“早い者勝ち”だもの。)
「お茶々、私は良縁やと思うわよ。」
旭が、穏やかに言った。
「……旭様。」
「井伊の嫡出の姫。浅井と織田の血を引く政姫様なら、岡崎松平の正室として申し分ないかと思いまする。」
「阿茶局様まで……。」
「竹千代と政姫は再従兄妹同士。
身内で固める形にもなるし、母上もお喜びになるはずよ。」
五徳が静かに畳みかける。
「……はあ。」
茶々は思わず息を吐いた。
(理屈は、分かる。むしろ、正しい。……でもなぁ〜……。)
母として不安……。
(まだ、四歳よ?)
茶々はしばし黙り込み、やがて顔を上げた。
「……私の一存では決められません。夫と、相談いたします。」
当たり障りない事を告げると、五徳はにっこり笑った。
「良い返事、待ってるわ。」
(あ、これ逃げられんやつやん。)
***
その夜、江戸城下に新築された井伊家の屋敷にて。
「お政を、竹千代様に?」
直政は、少しだけ目を細めた。
「はい。五徳様からの申し出です。」
「……お政は、まだ四つだぞ。」
「承知しております。」
茶々は落ち着いた声で続ける。
「婚約だけ先に。輿入れは成長してから、という形で。」
直政は腕を組み、しばし考え込んだ。
「……ふむ。」
意外にも、怒りは見せない。
「豊臣恩顧の家にやるよりは――」
静かに言う。
「松平嫡流へ。相模御前様や織田の御方様の側に置く方が、安心かもしれぬな。」
(……あれ?)
茶々は内心で目を瞬かせる。
(絶対、“まだ嫁にはやらん!”って、その綺麗な顔真っ赤にして怒ると思ったのに。)
拍子抜けしたような感覚が、胸をよぎる。
「この縁組、殿にもお伺いせねばなるまい。」
「ええ。竹千代様は殿の御孫ですもの。」
翌日。
家康と信康に話を通してみると、二人とも意外と乗り気だった。
「ほう、それは良い。」
「政姫が嫁に来るとあらば、織田の義母上様もお喜びになろう!」
(……五徳様と同じこと言ってる。)
茶々は思わず心の中で苦笑する。
(やっぱり、この2人、夫婦だわ。)
一方で、旭は家康に長丸の新たな婚約相手として、京極竜子の娘・賢子を推した。
若狭武田と京極の血を引き、さらに室町将軍家にも連なる血筋。
徳川嫡男の正室として、これ以上ない家柄だった。
家臣たちからも異論はなく、話はそのまま進められることとなる。
江戸には二週間ほど滞在し、茶々と直政は箕輪へ帰還した。
「殿、御方様。お帰りなさいませ。」
於軽が笑顔で迎える。
「私は御用がある。お茶々は休むように。」
「はい。旦那様も、ほどほどに。」
短く言葉を交わし、直政はそのまま表へ向かった。
茶々は奥へ入ると、政姫が弟たちに昔話を読んでいた。
分からぬ文字があれば杏に尋ね、ゆっくりと、丁寧に読み聞かせている。
弟たちは、姉に寄り添うように座っている。
「姫様、御方様がお戻りです。」
「「ははうえっ!」」
政姫と虎松が一斉に駆け寄る。
万次郎がよろよろと後を追い、弁之助は必死に這ってついてくる。
「……ただいま。」
茶々は、思わず笑った。
そして、四人まとめてぎゅっと抱きしめる。
(……寂しかったのは。私の方やったかもしれへんなぁ。)
腕の中で、子供たちが笑う。
その温もりを、茶々は静かに噛みしめた。
「まぁ……政姫様に縁談ですか?」
子供たちを昼寝させた後。
茶々は杏と向かい合い、静かに茶を啜っていた。
その席で、江戸での話を伝える。
「まだ正式に決まったわけではないのだけどね。」
「それでも、めでたい事には違いありません。」
杏は柔らかく微笑む。
「……そうね。」
茶々は小さく頷いた。
「お政はまだ四つ。
でも、武家では珍しい話でもないし……。」
一拍。
「五徳様や義伯母上様の側にやった方が良いと思うの。
三郎様も五徳様も、是非にと仰ってくださっているし。」
杏は一瞬だけ表情を引き締めたが、すぐに穏やかな顔へ戻る。
「……お政を、他所へ出すよりは。」
茶々は続けた。
「豊臣恩顧の家にやるぐらいなら、その方がいいわよね。」
言葉は穏やかでも、その中身ははっきりしていた。
(流石だわ……。)
杏は内心で思う。
(この方は、もう迷ってない。)
小さく息を吐いて、姿勢を正す。
「江戸の殿様にとっては、実の孫と義理の孫の婚儀。」
杏は静かに言う。
「徳川家は、より一層強く結びつくでしょう。」
「……ええ。」
茶々はわずかに目を細めた。
(ほんと、賢い子ね。杏を迎えたのは、正解だったわ。)
湯気の立つ茶の向こうで、茶々は静かに未来を見据えていた。




