見届ける者、背負う者
【ご注意】
今回はかなり重い回です。
人身売買事件の処罰に伴い、処刑・火刑・自害などの描写があります。
苦手な方は無理をせず、ここで一度引き返すことをおすすめします。
今回の描写は、残酷さを強調するためではなく、「人の命を銭に換えたことが、どれほど多くの人間を傷つけたのか」を描くためのものです
且元は秀吉の命を受け、直ぐに織田屋敷へと向かった。
しかし——遅かった。
「自害……?」
且元は呆然とその場に立ち尽くす。
「この血は……残せぬ、と。」
織田家の小姓が、そっと一通の手紙を且元に差し出した。
北の方の遺言であった。
この命を持って、関白殿下に詫びる。
子供たちは残して逝けない、連れて逝くことをどうかお許しください。
且元は暫く動けなかった。
***
信雄の正室、嫡男と姫は、秀吉により大徳寺総見院にて丁重に葬られた。
「なにも……死ぬ事なかったやないか。ましてや、子供まで……。」
秀吉の声色から、強い後悔と深い悲しみが滲み出ていた。
***
そして、粛清が始まった。
人買いに関わった織田家臣たちは、縄を掛けられ、素足で洛中を歩かされた。
泣きながら歩く者、歯を食いしばる者、気が狂ったように笑う者。
この異様な光景に、人々は言い様のない恐怖を感じた。
六条河原の処刑台には、既に多くの人々が集まっており、ざわついていた。
見物に来た商人、手を合わせて念仏を唱える僧侶たち、不安気に処刑台を見つめる住人。
且元が澄んだ声で淡々と罪状を読み上げる。
「——女子を南蛮へ売り渡した罪。」
一人目。
刃が振るわれ、身体が崩れ落ちる。
砂が、静かに色を変えていく。
二人目……三人目。
悲鳴は次第に減り、代わりに嗚咽が広がる。
処刑人は、何も言わず手を動かし続けた。
三成は少し離れた場所で、筆を走らせる。
十七……二十三……三十一……。
一瞬だけ手が止まり、目を閉じる。だが、すぐに次の数を書き記した。
——晒し首。
縄に吊るされた"ソレ"が風に揺れ、町人たちはその前を通らされる。
「しかと、見よ!」
兵の声が響く。
「これが、人買いの末路である!」
夕刻の河原は静かだったが……砂は赤黒い。
同じ月に、堺では火刑が執行された。
見物にやって来た南蛮商人は祈り、キリシタンたちは十字を切る。
僧侶は合掌をして、小さく念仏を唱えていた。
火刑台に火が点けられ、人々から悲鳴が上がるが、それは途中で聞こえなくなった。
亡骸が燃やされた後、火が消され暫く晒された……。
辺りからは、とてつもない死臭が立ち込め、立ち会いの兵ですら、その場で嘔吐するほどだった。
そして、遺体は灰になるまで焼き尽くされ、その灰は川へと打ち捨てられた……。
その余りにの惨たらしさに、堺の人々は震え上がり、『豊臣秀吉』という男に恐怖した。
人買いに関わった者が余りにも多く、畿内は悲鳴と血の匂いに包まれた……。
***
聚楽第に安置されている仏壇。
三成は静かに数珠を取り合掌、静かに読経をする。
「摩訶般若波羅蜜多心経。観自在菩薩、行深般若波羅蜜多時、照見五蘊皆空、度一切苦厄——」
声は揺れない。怒りもない。
寺小姓をしていた頃、骨の髄まで叩き込まれた経を、ただ仏に向けて唱えた。
読経が終わり、仏間に静寂が流れる。
「………佐吉。」
振り返ると、やつれた顔をした仲が、正則と吉継に支えられながら入って来た。
その後ろを歩く清正と、加藤嘉明もひどく疲れた顔をしている。
「ババ様……。」
仲はゆっくりと腰を下ろすと、仏壇に手を合わせる。
「経を、唱えてたんか?」
「うん。……罪を犯したとはいえ……命や。
これから……地獄の業火に焼かれるかもしれん、やけど……罪を償って、せめて次の世では……。」
「うん……そぉやねぇ……。」
仲は三成の隣で、長い間合掌していた。
「……ババ様、そろそろ。」
吉継が仲の肩にそっと手を置く。
「うん。」
仲がゆっくりと立ち上がると、廊下に控えていた二人の侍女がすっと入って来て、仲を連れて行った。
仲が部屋から出たのを確認してから、三成が切り出す。
「……堺は?」
「酷い有り様や……。」
清正がポツリと告げる。
「大坂も、似たようなもんや。」
嘉明が肩を落としながら、ポツリと溢した。
「……戦で、死体や血は見慣れてると思うてたけど。」
三成は両手で顔を覆い、深く息を吐く。
「戦で人が死んだんやない。人を銭に変えた者が死んでる。」
吉継の声も、流石に沈んでいた。
「関わってる人間が多過ぎるわ。……明日もや。」
いつものお調子者は鳴りをひそめ、正則も静かに溢す。
「いつまで続くんやろ……。」
重い空気が、仏間を覆う。
「殿下は、関わった者全てを処罰なさると……。」
「うん……。」
三成は静かに顔を上げる。
「やからこそ……俺らは目を逸らしたらあかん。」
四人が顔を上げた。
「……せやな。」
「最後まで、見届けよう。」
「武士として……一人の人として……。」
この場に居る全員、目を背けたいはずだ。
だが、自分たちが目を背けるわけにはいかない。
武士として、一人の人として、最後まで見届ける。
***
秀吉は執務室で書状をしたためていた。
「……殿下、そろそろお休みになりませぬと。」
御伽衆の一人、足利道休がそっと声を掛ける。
「うむ……。やけど、ここで手を止める訳にはいかんのよ。」
「なれど……。」
秀吉は筆を置いて、道休にふっと笑い掛ける。
「無茶すんのは、若い頃から慣れとる。それよりも、道休様こそお休みを。明日も早いで。」
道休は何か言い掛けたが、ぐっと飲み込む。
「では、御言葉に甘えまして。」
「ああ、明日も頼むで。」
道休の背を見届けて、秀吉は筆を握る。
秀吉とて、何も思わないわけがない。
人の命だ、軽いものではない。
だか、ここで止まればまた同じ事が繰り返される。
だから、止まる訳にはいかない。
次の犠牲者を出さない為に、今生きている人々を守る為に。
「藤吉郎……。」
顔を上げると、母の仲がヨロヨロと秀吉に向かって歩いて来た。
秀吉は慌てて立ち上がり、仲を支えようとするが、その前に仲は秀吉に向かって手を付いた。
「おっかぁ。」
「お願い、もうやめてぇ……。」
仲の声は、涙で震えていた。
「もうええやろぉ?三介様は改易になった。関わった者たちは死んだ……。これ以上は、もうやめて。」
秀吉はただ黙って母の言葉を聞いていた。
暫くの沈黙後、秀吉がゆっくりと口を開く。
「……おっかぁ、すまん。ここで止まる訳にはいかんのや。」
仲が顔を上げる。
「儂かて、好き好んでやっとるわけじゃないで。
……ここで止まったら、また同じことが起こる。
儂は……これから先、人が泣かんで済むように、せなあかんのだわ。」
仲は黙って息子を見つめる。
「決めたんや……。御屋形様が成し遂げられんかった……御屋形様が作ろうとしてた世を儂が作るって。
茨の道なら……とっくに覚悟の上だでよ。」
仲はゆっくりと目を落とす。
「……分かった。」
そして、顔を上げる。
「だったら、最後まで責任持ちゃぁ……。」
「……ああ。」
秀吉の声に、迷いはなかった。




