御屋形様が守ろうとしたもの
聚楽第・奥向き、寧々の御殿。
「北政所様。」
孝蔵主に呼ばれて、顔を上げる。
「中将秀次様がお越しになりました。」
寧々は静かに立ち上がり部屋を出ると、秀次様がこちらに向かって歩いてくる。そして、その隣には小さな影。
「……秀信様。」
秀信は秀次の手をぎゅっと握ったまま、不安げに寧々を見る。
秀次が寧々の前に立ち止まり、頭を下げる。
「織田の御屋形様の血を守る為、暫しお預け申す。」
寧々は静かに頷いた。
「……内府様は?」
「……これより。」
短い答えだったが、寧々は全てを察した。
寧々は秀信の前にしゃがみ、目線を合わせる。
「秀信様。ここに居れば、誰も手は出さん。」
秀信の手を、そっと握る。
「御屋形様の血は、絶やさせぬ。」
秀次と目が合うが、そこに言葉はいらなかった。
***
信雄の尋問は、聚楽第本丸の詰所にて行われた。
三成ら奉行衆の厳しい追求にも、信雄はしらばっくれた。
(流石は、御屋形様のご子息や。そう簡単に口割らんか。)
信雄が尋問を受けて三日。
中々口を割らない信雄に、秀吉が痺れを切らした。
「悪知恵だけは働くたわけだでぇ……。予想通りやけども。いつまでも……悠長に待っとられんのだわ。」
そして、秀吉が自ら尋問を開始した。
最初こそ、秀吉は淡々と尋問していた。
しかし………。
(このたわけ……。御屋形様の名を汚しただけやない……。)
腹の底から、沸々と怒りが込み上げてきた。
秀吉自身、声を荒げぬよう注意を払っていたのだが、尋問が進むに連れて語尾が強くなる。
信雄が耐えきれず、視線を逸らせた。
これが、秀吉の逆鱗に触れてしまった。
「……こんの、たわけがぁぁっっ!!」
バキッ!と扇子が折れた音だけがやけに響いた。
三成は筆をそっと置き、且元は目を閉じる。
側に控えていた福島正則と浅野長吉は、すぐに止めに入れるように膝を立てる。
「儂はなぁ……御屋形様の名を背負っとるんや。」
静かにそう告げると、秀吉は立ち上がり、信雄の前に立ち塞がる。
「……女子供を売ったんか!?南蛮に流したんか!?」
「……。」
信雄は答えない。
長い沈黙の後、信雄の低い声が響く。
「……サルが。何を偉そうに……。」
秀吉の眉が上がり、正則と長吉が動く。
「……何を偉そうにっ!お前如きが!父上を語るでない!!」
その瞬間、バキッ!と鈍い音が響き、信雄が勢いよく後ろに飛んでいった。
「こんの、大馬鹿もんがぁぁ!!
おみゃあはな!御屋形様の名に泥を塗っただけやない!!
御屋形様の名を!織田信長の名と、織田の名を地に落としたんだわっ!!」
信雄を蹴り飛ばす秀吉を、正則は慌てて羽交い締めにして引き離した。
「殿下!!」
正則を吹っ飛ばさん勢いで暴れるので、長吉、そして三成と且元も慌てて止めた。
「阿呆や阿呆や思うてたけど!!ここまで阿呆やったとはな!!
たわけがっ!!女子供を!犬や馬のように売ったんかっ!?」
「殿下!なりませぬ!」
四人がかりでどうにか秀吉を抑えた。
倒れている信雄は、クツクツと笑い出した。
「……儲かるんだわ。」
「……は?」
三成と正則の動きが止まる。
秀吉は目を見開いて、信雄を睨み付けた。
「なんやと?」
信雄はゆっくりと起き上がり、楽しそうに笑いながら、秀吉を睨み返す。
「人買いは、儲かる。南蛮は、金を出す。領地も潤う……何が悪い。」
信雄の様子に、長吉は血の気が引いた。
「尾張は広い。金が要る。戦も終わった。南蛮は金を持っておる。
女子一人で村が潤うなら……。何が悪いのだ。」
その言葉を聞いた瞬間、秀吉の目から、理性が消えた。
「女一人、やと?」
秀吉は正則たちの腕から出て、信雄の方へフラフラと歩いていく。
「命を、銭で……数で勘定しよんか?」
三成たちは黙って秀吉の背中を見つめる。
その背中には強い怒りと、深い悲しみが滲み出ていた。
信雄の襟をグイッと掴み上げ、静かに告げた。
「おみゃあ……御屋形様の息子やろ?
御屋形様が、何のために戦ってたか……まさか、知らん言うんか?」
誰も何も言えない。
「御屋形様はなぁ……女や子供が……人が泣く世を変えようとしたんや。」
ポタリ、と秀吉の涙が畳に落ちた。
「それを、おみゃあは売ったんや……。
御屋形様が何よりも大事にしてたもんをな。」
信雄は、ようやく恐怖を理解した顔になる。だが、もう遅い。
秀吉はゆっくり立ち上がった。
「佐吉……。関わったもんを捕えろ。全員や。」
「御意。」
「市松……弥兵衛、このたわけは牢に入れろ。」
「「はっ。」」
「助佐……。内府の北の方と、嫡男、姫を連れて来い。」
空気が張り詰める。
「……承知、いたしました。」
秀吉は涙を拭わず、信雄を見つめた。
「改易や。」
ハッキリとそう告げた。
「死罪にする思うたか?……ほんまやったら、死罪や。
やけどな……死んだら意味がないがね。
自分が一体何をしたのか、生きて結末を見届けろ。
そして……二度と名乗るな。」
秀吉は乱暴に袖で目と頬を拭った。
次に顔を上げた時は、"関白"の顔であった。




