歯車のズレ、歪みは表に出始めた
天正二十年 四月下旬。
箕輪の留守を井伊家臣団に、子供たちを杏と於軽に託し、直政と茶々は江戸城へと向かっていた。
ただならぬ空気の中での、江戸行きだった。
発端は、今月初め。
茶々の母方の従兄である織田信雄が、関白・豊臣秀吉の勘気に触れた。
その処分は、あまりにも重い。
官位と領地の没収。 そして――遠流。
(……ただ事やない。)
織田家当主は、信長の嫡孫である織田秀信へと移された。
だが、まだ十歳。後見には大叔父にあたる、織田源五郎長益らが付くこととなる。
かつて七十万石を超えた織田の家は、美濃・岐阜十三万石へ。
それでも、家名が残されたことを思えば、温情とも言える処置だった。
(だけど――)
それ以上に、引っかかる。
(何をしたら、ここまでされるん?)
控えの間で待っていると、直政が重く息を吐く。
「三介様は……一体、何をやらかしたのか……。」
「本当に……。殿下の勘気を被るなど……ただ事ではありません。」
萩乃からの報せは、処罰の内容のみ。肝心の“理由”が分からない。
(何がどうなってるのか、分からんのが一番怖い。)
「失礼致します。相模御前様がお見えでございます。」
障子が開き、空気が変わる。
現れたのは、松平信康の妻で"相模御前"と呼称が変わった、五徳だった。
「兵部殿、箕輪殿。お久しぶりですね。」
静かな声音なのだが、一目で分かる。
「…………」
(……あ、これアカン。)
機嫌が悪い、なんてものではない。完全に“怒っている”。
"噴火してる"と表現した方が良いぐらいに。
「ご、ご無沙汰しております……相模御前様……。」
「御尊顔を拝し、恐悦至極に……。」
二人とも、慎重に言葉を選ぶ。ここで、刺激したら終わりだ。
そして、五徳はゆっくりと座り、大きく……とても大きく息を吐いた。
「はぁぁぁぁ〜〜……。」
肩を落として、舌打ち。
「ちっ!……三介の大馬鹿野郎が……。」
(来た。)
「今から追いかけて、首を取ってこようかしら。」
(やっぱり来た。)
直政と茶々、無言で同時に思う。
(流石、織田の大姫よ……。」
「……あ、ごめんなさいね。こんなこと、二人の前で言うつもりはなかったのだけど。」
全然収まってない。むしろ増幅してる。マグマが煮えたぎっている。
「でもね……それくらいしないと、腹の虫が収まらないのよ。」
その顔は、亡き伯父・織田信長に、あまりにもよく似ていた。
茶々は、思わず小さく息を呑む。
その後、直政は家康のもとへ呼ばれ、席を外した。
そして入れ替わるように、旭と阿茶局が現れる。
「ちょっと込み入った話になるわ。奥へ行こか。」
その一言で、空気が変わった。
案内されたのは、江戸城の奥御殿にある旭の自室だった。
(……ここが、後に“大奥”と呼ばれる場所になるのか。)
まだ工事の途中で、どこか寂しい。
けれどこの場所が、いずれ天下の中心になる。
そう知っているからこそ、不思議な重みを感じる。
部屋に入り、腰を落ち着ける。
茶が運ばれ、侍女が控えの間に下がると、早速本題に入った。
「相模御前様、安土様のお加減は?」
「……かなり気落ちしております。」
五徳は静かに答える。
「兄があのような処分を受けたのは……母のせいではありません。」
「……せやね。」
旭も頷く。
「安土の御方様の責ではないわ。」
嫌な沈黙が部屋を覆う。
「……で。」
茶々は、遠慮なく踏み込む。
「うちのバカ従兄は、一体何をやらかしてくれたのでしょう?」
三人が、同時に苦笑する。
(やっぱりストレート過ぎた?でも、気になるん。何が起こったか、分からんもん。)
だが、誤魔化される気配はない。阿茶局が、静かに口を開いた。
「……それには理由、でございますが。」
一拍。
「織田の三介様は、大名として……いいえ、人として、越えてはならぬ一線を越えました。」
「越えてはならぬ……?」
空気が、重く沈む。
「相模御前様、箕輪様。"バテレン”が何をしているか、ご存知ですか?」
「……信仰を広めているのでは?」
五徳が答える。
「表向きは、そうです。」
阿茶局の声は、低く落ちた。
(出たな、表向き……。)
茶々は少し目を細めた。
「ですが………その裏で。」
ほんのわずかな間を開けて、阿茶局は続けた。
「南蛮商人と結び、女子供を拉致し……海外へ売り飛ばしていたのです。」
「……は?」
思考が止まる。
「奴隷として。」
「……なんと……。」
五徳の顔が強張り、旭は無言のまま怒りを滲ませた。
「弱き者を救うと語る者が……その裏で人を売るなど……。」
誰も、すぐには言葉を継げない。
(……やっぱり、来た。)
茶々は内心で呟く。
(この流れ……。)
本来なら、すでに出ているはずだった。
キリスト教の制限。バテレンの排除。
だが、この世界ではまだ、それがない。
(だから、こうなる。)
静かに、歯車が狂い始めている。
そしてその歪みは、確実に表に出始めていた。
井伊家が箕輪に移ってから、茶々の呼称は"少輔の方"から"箕輪殿"もしくは、"箕輪様"に変わりました。
住まいの変化や立場の変化などによって、呼称が変わるのは戦国あるあるじゃなかろうか?




