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人生五度目。浅井茶々は遂に開き直った〜今度こそ、生き残らせてもらいます!〜  作者: 奈羅
第四章 井伊家、毎日が戦場。そして、世の中も戦の予感
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母になる準備と、旭の本音

茶々の懐妊を知った家康は、すぐさま使者を出し、甲斐の冨士御室浅間神社へ安産祈願の祈祷をした。


かの武田信玄が娘のために祈願したと伝わる社である。


(……まだ早くない?)


そう思いつつも、養女である自分の懐妊を、ここまで喜んでくれるのは素直に嬉しかった。


茶々の懐妊は豊臣家にも知らされたそうで、秀吉が嗚咽していた、と華姫からの文で知った。


(……もう何も言うまい。)


茶々は文をそっと折り畳んだ。


***


八月から十月にかけては、悪阻に悩まされたが、秋も深まる頃にはようやく落ち着き始める。


「無理は絶対あかん!」「これはするな」「あれもするな」と、旭を筆頭に周囲の監視が一気に強化された。


(……暇。)


そこで茶々は、産着を作ることにした。


「ほな、私もやるわ。」


裁縫の達人でもある旭が参戦し、井伊の屋敷での裁縫が日課となった。


旭は茶々の産着を作りながら、於愛のために厚手の足袋も仕立てていた。


「於愛は身体が弱いんよ。風邪こじらせたら長引くらしいわ。」


(父上、母上。茶々を丈夫に産んでくれてありがとうございます。)


茶々は心の中で、亡き両親へ手を合わせた。


「めでたい事って続くものですね。」


「え?」


「阿古殿も、ご懐妊なさったでしょう?」


「ああ……そうなんよ。」


旭はどこか柔らかい顔をする。


「何か贈り物を――」


「あんまり高価なんはあかんで。あの子、気ぃ使うから。」


その横顔は、完全に“母”だった。


***


十一月下旬、冷え込みが強くなってきた頃。

旭が、どこか浮かない顔で井伊屋敷にやって来た。


「旭様、どうかされました?」


「……何でもないわ。」


だが、明らかに様子がおかしかったが、少しの沈黙の後に切り出した。


「お茶々。今日は、ゆっくり話さん?」


「実はね……義姉上様から手紙をもろたんよ。」


旭は懐から文を取り出し、茶々に渡す。

茶々はそのまま文を読み進める。


「……竜子姉様が、ご懐妊?」


「ええ。」


「めでたい事ですのに……。」


言いながら茶々は気づくが、旭が笑っていない。


「旭様……?」


旭は、少しだけ視線を落とした。


「私ね……。」


一呼吸おいて、静かに言った。


「兄様が、憎いの……。」


茶々は僅かに息を止めた。


「徳川に嫁いでから……ずっと考えてたんよ。」


旭は、ぽつりと呟いた。


「もし、あの時……殿の元に嫁ぐのが、私やなかったら、って。」


茶々は黙って、旭の言葉を聞く。


「今も大坂で、甚兵衛さんと暮らしてたんやないか。

阿古の嫁入りを、2人で見届けて……。

庭で槍や刀の手入れしてるあの人を見ながらな……。そのまま、二人で白髪になるまで一緒におったんやないかって。」


沈黙。


「……そもそもや。」


旭の声が、少しだけ低くなる。


「兄様が天下なんか取らんかったら、こんな事にならんかったんよ。」


ぽつりと吐き捨てる。


「まぁ……今さらやけどな。」


自嘲気味に笑い、菓子を口に運ぶ。


「私も……分かります。」


茶々が静かに言う。


「私も、同じ事を考えた事があります。」


茶々は、言葉を選びながら話す。


「お祖父(じじ)様が、父上が、朝倉ではなく織田に付いていたら、私たちは今も小谷で暮らしていたんじゃないか。」


少し間を開けて、続ける。


「織田の伯父上が本能寺で討たれなかったら、せめて、勘九郎様が生きておられたら…。

母上も、柴田様も自刃せずに済んだやもしれぬ…。」


茶々は顔を上げて、旭を見つめた。


「ですが、私たちは今を生きております。」


一拍。


「徳川に嫁ぐ旭様に付き従い、縁あって井伊直政の妻となり、こうして子にも恵まれて。

あの時、こうだったらと思うことはありますが、私は私が選んだこの道を後悔したことはありません。」


茶々はキッパリと言い切った。

暫し沈黙が続いた後、茶々は再び口を開く。


「旭様の、関白殿下が憎い、というお気持ち、茶々にも分かります。」


少し目線を逸らせたが、すぐに旭へと戻す。


「この乱世、致し方ない事と申せど、殿下は我ら姉妹にとっては、浅井一族と義父と母の仇…。


私たちを保護して下さった事には今でも感謝しておりますが。

えっと……どう言ったら良いのかしら?」


「感謝の気持ちと憎悪の気持ちが入り混じってるのね。

複雑ね……私と違って。」


「え?」


「実は、私はな。」


旭が再び口を開く。


「十七の時にね、一度嫁いどるんよ。」


茶々は目を瞬かせた。


「最初は、尾張の番匠やった。」


少し遠くを見る。


「太吉さんっていうてな。虫も殺せんような気の弱い人やったけど……優しい人やった。

私のこと、大事にしてくれたんよ。」


一拍。


「でもな……兄様が出世してから、全部変わった。」


空気が重くなる。


「武士に取り立てられて。戦に出されて……。」


指先がわずかに震える。


「だんだん、おかしなっていった。

手も汚れてへんのに、ずっと洗うんよ。何かに怯えるみたいに……。」


沈黙。


「……ある日な。」


旭の声が、少し掠れる。


「私が、安土の方様に呼ばれて、どうしても城に登城せなあかん時があってな。

ほんで、私が留守にしてる間に……自害してたんよ。」


胸の重さを吐き出すような溜め息を吐く。


「私を娶ったばっかりに……太吉さんは死んでまった。」


旭は、ぽつりと呟いた。


「毎日、自分を責めたわ……。私を娶ったばかりに、あの人は……って。

安土の方様も、"私が呼び出したばかりに"……って、ご自分を責められてたわ……。」


茶々は何も言わず、ただ耳を傾ける。


「喪が明けてすぐ、兄様に言われるがまま……その頃はまだ織田家臣やった、甚兵衛さんと再婚したんよ。」


一度、言葉を切る。


「私はまだ……太吉さんのこと、引き摺ってた。

でもな、それは甚兵衛さんも同じやった。前の奥方を亡くされたばかりで……。

なんて言うか……お互い、大切な人を失った者同士やった。

寄り添うようにしてな……気付いたら、打ち解けてたわ。」


ほんの少しだけ、柔らかな笑みが浮かぶ。


「四年ほど経って、阿古が生まれて……。あの頃が、一番幸せやった。」


遠くを見るような目に、僅かに涙が浮かんでいるのを、茶々は見ていないフリをした。


「贅沢はできへんけど……親子三人で、このままずっと続くもんやと思ってた。

今の、徳川での今の生活が不満か、言われたら……違う。」


はっきりと言う。


「徳川に嫁いでから、本当にようしてもらってる。身分も地位もあるし、暮らしも安定してる。

殿には、感謝してもしきれんわ。」


茶々は、その言葉を静かに受け止めた。


(……やっぱり、この人は。)


単純な不幸ではない。だからこそ、重い。


「私から……"なんでもない、平穏な日"を奪った兄様が、憎いの。」


旭は、迷いなく言い切った。


「せやからな。」


一拍。


「見返したいんよ。」


その声は怒りというより、諦めを越えた決意だった。


「兄様が作った世やなくて……別の形の世を、見せつけたろ思て。」


茶々は、思わず息を呑む。


「だから――」


旭は、ふっと笑った。


「ウチの人には、天下を取ってほしいのよ。」


「殿が……天下を。」


「あの人には、その力がある。」


どこか確信めいた声音だった。


「兄様より、よっぽどこの日の本をようしてくれる。

まぁ……私の勘でもあるんやけどね。」


くすりと笑って、茶々を見つめた。


「私の勘は、大体当たるの。」


空気が、少しだけ軽くなる。


「殿はな……幼い頃にお父上を亡くされて、お母上とも離れて暮らして……。

織田や今川の人質として、随分と苦労されてる。」


茶々は黙って聞く。


「やからこそ、あの人は戦を憎んでる。

戦さえなければ、家族と離れずに済んだはずやって。」


旭は、ゆっくりと言葉を重ねる。


「この世から、戦を無くしたいと……。」


そして、ふっと笑う。


「気付いたらな。私と殿、見てる先が同じやったみたいなんよ。」


(……意外、やな。)


そう思ったが、口には出さない。きっと、ビール瓶を粉砕する威力のデコピンが飛んでくる。


「私も……見てみとうございます。」


茶々は静かに、しかし力を込めて言った。


「殿が……徳川が治める天下を。」


旭は満足そうに頷く。


「その意気や。」


そして、少しだけ優しい声になる。


「まぁ、そういう訳やから。

お茶々はしっかり用心して、元気な子を産みなさい。

お産は、女にとって戦なんやから。

気ぃ抜いたら……負けるで。」


「……はい。」


茶々は、そっと腹に手を当てた。まだ小さな命を、確かめるように。


(この子が生きる頃には――戦のない世になっていたら、いいな。)


静かに、そう願った。

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