茶々、懐妊
徳川一行は、駿河へ戻る前に大坂城へ立ち寄った。
現在、大坂城を任されているのは、秀吉の弟・豊臣秀長である。
秀長や仲たちへの挨拶を済ませた後、家康の次男である秀康と対面することになった。
家康はどこか気が進まぬ様子だったが、旭に首根っこを掴まれ、半ば引きずられるようにして向かう。
対面自体は、滞りなく終わったのだが……。
「……秀康殿に“徳川内府様”って呼ばれてな。
それで落ち込んでんのよ。」
旭が呆れたように言う。
(ああ……“父上”って呼ばれなかったのか。
家の為とは言え、自分から手放したくせに……男って勝手やなぁ。)
茶々は小さく鼻を鳴らす。
「秀康殿は、殿下の養子にございますから。豊臣の者として礼を尽くされたのでしょう。」
「そうね。でも、立派な子やったわぁ。義姉上様の教育の賜物やろうね。」
(この話、三郎様と五徳様に教えたら絶対笑うわ。)
※後日、茶々は手紙で伝えたところ、案の定二人は大笑いしたらしい。
***
三日ほど滞在した後、一行は駿河へ戻った。
それからしばらくして旭は、家康の嫡男・長丸と、その弟・福松丸の養母となった。
側室の子を正室が育てるのは、武家では珍しくない。だが旭は、元は足軽の娘。
「……私に務まるのやろうか。」
そんな不安を抱えていた。
しかし、長丸も福松丸も、すぐに旭に懐いた。
「この子たちが笑って過ごせるように。それが、今の私の役目や。」
阿茶局とともに、旭は慌ただしくも賑やかな日々を送ることになる。
***
そして、夏。暑さが本格的になってきた頃。
奥御殿で雑務をしていた茶々は、旭に呼び止められた。
「お茶々、ちょっとこっち来て。」
「……はい?」
旭が茶々の額に触れて、自分の額と比べる。
「……少し熱っぽいな。それに顔色が悪いわ。井伊の屋敷に戻りなさい。」
「ですが――」
「女房の務めより、自分の身体が先や。」
有無を言わせぬ口調だった。
旭に連行される形で、茶々は井伊屋敷へと戻った。
予定より早く帰って来た茶々に、於軽や萩乃、屋敷の侍女たちは心配そうに見守っている。
そして、旭により布団に放り込まれた茶々は、小さくなっている。
「……面目ないです。」
「それより。最近、菓子作ってへんやろ?」
「それが……台所に立つと、匂いでどうも……。」
「吐き気?」
「……はい。」
旭の目が、すっと細くなる。
「他には?」
「……眠気が、少し。」
「月のものは?」
言われて、茶々ははっとした。
(……そういえば、最近来てない……。)
「於軽!!」
旭の声が響く。
「はい!」
「僧医を呼んで!すぐや!」
その後、徳川家お抱えの僧医が呼ばれた。
「どうじゃ?お茶々の具合は。」
旭が問うと、僧医は穏やかな笑みを浮かべながら、一礼する。
「おめでとうございます。少輔の方様、ご懐妊にございます。」
(……懐妊?……え、私が……?)
一瞬思考が止まり、部屋に沈黙が流れる。
そして、沈黙を破ったのは旭だった。
「於軽!兵部殿を呼んで!」
「はっ!」
僧医は念を押すように続ける。
「初めてのご懐妊にございます。くれぐれも無理はなさらぬように。
もう、お一人の身体ではございませんぞ。」
「……はい。」
僧医が去った後、旭がポツリとこぼす。
「私も、とうとうババ様かぁ。」
「まさか……私の腹に子が……。」
「男だ女だは気にせんでええ。元気な子を産むことだけ考えなさい。」
「はい。」
***
ほどなくして、直政が駆け込んできた……いや、駆け込んだというより、転がり込んできた。
髷は乱れ、額も鼻もほんのり赤い。
「お茶々!懐妊とは誠か!?」
「はい。僧医殿に診て頂きました。」
茶々がそう告げた瞬間、ぎゅっと抱きしめられる。
「出来した!大義じゃ!男でも女でもよい、どちらでも構わん!無事に産め!」
「旦那様……皆様が。」
「あ。」
ようやく周囲に気づき、直政はそっと離れる。
その後ろには、本多忠勝、榊原康政、酒井忠次、徳川の重臣たちが揃っていた。
「よかったのう、万千代!」
「ついに父上か!」
「いつまでも万千代とは呼べんな。」
三人は口々に祝いながら、直政の頭や肩をわしゃわしゃと撫でる。
いつもなら怒るところだが、今日はされるがままだ。
「皆様、どうして……?」
「於軽殿が知らせに来た時な。コイツが廊下を転ぶわ、柱にぶつかるわで、放っておけんでな。」
「それに、祝いも言いたかったのでな。」
茶々は思わず笑みを漏らす。
「少輔の方様。この度は誠におめでとうございます。」
忠次が静かに頭を下げる。
「ありがとうございます。」
「これよりは、これまで通りとはいきませぬぞ。どうかご自愛を。」
「……肝に銘じます。」
(……っていうか。徳川四天王、揃ってるやん……!)
内心では、盛大にテンションが爆発していた




