天正の女子会と、奇妙な姫君
しばしの沈黙の後、口を開いたのは華姫だった。
「茶々姉様。つかぬことをお聞きしますが……駿河御前様のお化粧は、どなたが?」
「旭様の?私と萩乃でやったのよ。」
「ご自身で……?雷蔵殿のところから、化粧係の手配は?」
「ああ、最初は頼むつもりだったんだけどね。」
茶々は肩をすくめる。
「楽しくなっちゃって。駿河でも出来るようにって、萌殿たちに教わったの。」
「なるほど……。」
華姫は納得したように頷く。
華姫の様子を見て、茶々の中でひとつの仮説が繋がった。
「もしかして……。」
静かに問いかける。
「お寿様の打掛を奪うついでに、化粧係も連れて行こうとしたの?」
一瞬の沈黙。
「……はい。」
お寿が、観念したように頷き、ぽつりぽつりと語り始める。
雷蔵は化粧品だけでなく、化粧係の育成と斡旋も行っていること。
その腕は確かで、太夫や大名の妻、公卿の妻、さらには宮中にも人を出していること。
行幸当日も、萌を筆頭に多くの化粧係が派遣されていた。
「当日……阿波の姫様の控えの間にも、化粧係が向かったのですが……。」
しかし、そこに姫の姿はなかった。
待てど暮らせど、現れない。しびれを切らした女房が侍女を遣る。
そして戻ってきた答えが……。
「……姫様は、まだお眠りになりたいと。」
茶々は思わず目を閉じた。
(は?)
お寿は続ける。
「乳母殿が、そのまま寝かせておくようにと……。」
その場にいた者たちは、言葉を失ったという。
――今日は何がある日か、分かっているのか。
女房は判断し、化粧係を別の者の元へ向かわせた。
「私のところには別の方が付けられましたが……その方も困っておられました。」
話を聞き終え、茶々はこめかみを押さえる。じわりと、頭が痛む。
(阿波の姫も……あの乳母殿も……。
何が行われるか、本当に分かってなかったの?
それとも………世界が自分中心に回ってるとでも思ってる?)
静かな部屋の中で、その違和感だけが濃く残った。
「阿波の姫君は……どのような方なのでしょう?」
茶々の問いに、三人は揃って首を傾げた。
「行幸の最後の日に、後ろ姿ではありましたが、お見かけしました。
……よく分からない方、というのは理解しましたが。」
「うーん……。」
しばし思案する空気が流れる。
「例えば……容姿とか?」
口火を切ったのは、お寿だった。
「お美しい方ですよ。
北政所様や若政所様、駿河御前様にも匹敵するほどに。」
(ほう……。)
茶々は内心で頷く。
「小谷の叔母上様……お市の方様に、似ておられます。」
(母上に……。)
思わず納得する。
「御歳は……茶々姉様と同じくらいだったかしら?」
「でも……なんだか幼く見えるのよね。」
華姫とお虎の言葉に、茶々は思考を巡らせる。
(美人で、でも幼くて……どこかズレてる……?)
やがて、ひとつの言葉に辿り着く。
「……このような言い方は憚られますが。」
一呼吸おいて、告げた。
「奇々怪々な方、ということかしら?」
沈黙。
三人は揃って目を丸くする。
(やば、言い過ぎた?)
茶々は『やっちまった……』と内心焦ったが……。
「……言われてみれば、そうかもしれません。」
「ええ……。」
意外にも、すんなりと受け入れられた。
その瞬間、道休の言葉が脳裏をよぎる。
『アレは人を惑わす……いや、滅ぼす類じゃ。』
(なるほど……。傾国、というやつか。)
「茶々姉様、気になります?」
華姫の一言に、思わず我に返る。
「え?ああ……まぁ……。」
「見に行きます?」
「……え?」
「遠目から、です。」
茶々は腕を組んで考えた。危険かもしれない。
(……でも、気になるんよな。後ろ姿からして、美形なのは何となく分かったけど。)
そして、静かに目を開ける。
「……ちょっとだけなら。」
お虎が満足げに笑う。
「大丈夫。絶対バレないから。」
こうして、三人に連れられ屋敷を抜け出した。
侍女には適当な理由をつけ、身軽な格好で庭へ出る。
「茶々姉様、こちらです。」
人気のない道を進む。
「ここは……?」
「城奥の端です。もう少し行けば、阿波の姫様の御屋敷です。」
茶々は辺りを見渡す。
「……華姫たちの御殿から、随分と離れているのね。」
「殿下が気遣われて、とのことですが。」
(……気遣い、ね。)
茶々は心の中で呟いた。
(ほとんど、幽閉みたいなものじゃない。)
「彼方が、阿波の姫様の御屋敷です。」
「……あれが?」
屋敷というには小さい。だが、茶室と呼ぶには広い――そんな造りだった。
(思ったより、小さい。まぁ、実質一人暮らしなら、こんなものか。)
華姫の案内で築山を抜け、足音を殺して静かに竹林の中を進む。
「あ……。」
思わず声を漏らしかけた瞬間、お虎が素早く茶々の口を押さえ、お寿が人差し指を唇に当てる。
(お静かに……。)
しゃがみ込み、視線だけを庭へ向ける。
縁側に人影が。
そこには、秀吉が座っていた。そして隣に、ひとりの女。
「あら、殿下がいらっしゃるわ。」
「姉様、あの方が阿波の姫様です。」
「……あの方が。」
艶やかな長い黒髪。切れ長の瞳に、通った鼻筋。雪のように白い肌に、淡い桃色の小袖が映える。
(……天正美人、ど真ん中ね。)
確かに、亡き母・お市を彷彿とさせる面影がある。
だが、その表情はただ穏やかなのに、何の感情も読み取れない。
そして、二人の後ろには、あの乳母が誇らしげに控えていた。
(……どういう神経してんのやろ、あのおばさん。アンタんとこの女房一人追放なったんやで。)
しばし、無言のまま見つめていたが、お寿が小さく囁いた。
「……そろそろ。」
来た時と同じように、静かにその場を離れる。
***
屋敷へ戻ると、与祢が目を覚ましていた。
侍女たちと遊んでいたが、茶々を見るや駆け寄ってくる。
「お茶々様!どこに行っていたのですか?」
「少し庭を散策していたの。ごめんね、急にいなくなって。」
「寂しかったけど……でも大丈夫です!」
与弥の満面の笑みに、茶々は微笑み返して、その頭を優しく撫でた。
(……可愛いな、この子。……駿河に連れて帰ってやろうか?)
穏やかな顔とは裏腹に、内心はなかなか物騒である。
やがて迎えが来て、寧々の御殿へ戻る。
「少輔の方様、此度は誠にありがとうございました。」
千代が深く頭を下げる。
「とても良い姫でした。これもお千代様の教育の賜物でしょう。」
「勿体ないお言葉でございます。」
そして、与弥へと視線を向ける。
「与祢、失礼はなかった?」
「大丈夫です!」
母娘のやり取りを、茶々はどこか懐かしそうに見つめた。
――その様子を、見逃す人ではない。
「お茶々。」
「はい、旭様。」
旭に呼ばれて振り返る。
「今宵は、私の部屋で休みなさい。」
「……はい?」
「決まりよ。主人の命に逆らう気?」
「そ、そんな!滅相もございませぬ!」
旭は満足気に笑った。
茶々は、阿波の姫君のことを『地雷様』とこっそり命名する。(茶々だけが心の中で呼んでる。)




