朝から何してんの?行幸当日やぞ?
廊下に出ると、言い争う声が響き渡っていた。
(うわぁ……やだぁ……行きたくないよぉ……。)
思わず涙目になる茶々をよそに、旭は声の方へずんずんと歩いて行く。
慌てて茶々と阿茶局がその後を追った。
「お通しを!駿河御前様に御座りまする!」
八重が野次馬している侍女や女中達に声を張り上げる。
すると一斉に道が開けたので、旭は構わず進み、茶々と阿茶局が静かに続く。
姫路の方の部屋の前。
旭と同じくらいの年頃の、気の強そうな女が、姫路の方の女房の襟口を掴んでいた。
女房もまた掴み返し、互いに睨み合っている。
「何事じゃ!朝からかように騒ぎよって!喧しいっ!!」
旭の怒声に、場が一斉に静まり返る。
「支度中に何をやっておる?行幸に間に合わなんだら、如何するつもりか。」
「お騒がせし申し訳御座いませぬ、駿河御前様。」
止めに入っていた侍女の一人が進み出て、深く頭を下げた。
「其方、確か……。」
旭は腕を組んだまま、その侍女を見下ろす。
「織田の安土の方様にお仕えしておりました、留に御座りまする。」
「ああ……。」
どこか懐かしむように声を漏らし、旭は問いかける。
「して、於留。何の騒ぎぞ?」
留は一瞬だけ旭を見てから、なお睨み合う二人へ視線を向けた。
旭はそれを見て、小さく溜め息を吐く。
「早う支度せよ。誠に間に合わんようになるぞ?」
(おっとぉ?まさかの無かった事にする?……いや、それが一番か。こういうのは、変に関わらない方がいい。)
旭が促すように手を叩くと、固まっていた侍女達が恐る恐る動き出す。
その様子を確認してから、旭は二人へ歩み寄った。
「これ、聞こえなんだか?早う支度せよ。」
「す、駿河御前様……。」
「其方、姫路の方様の女房であろう?早う戻っておやり。」
「は、はい。」
「待たれよ!我が姫様を侮辱した――」
「黙りゃ!」
被せるように旭が一喝すると、場の空気が一瞬で凍りついた。
「な……。」
「其方、此度何が行われるか分かっておらぬようじゃの。」
旭は一歩、距離を詰める。
「天子様をお迎えせねばならぬのじゃぞ?
もし間に合わなんだら……其方、如何するつもりか。」
乳母殿の手から力が抜ける。
その隙に阿茶局が女房を引き離し、部屋へと戻した。
(これ……怖いだろうな〜。正面に駿河御前、左に私、右に阿茶局……。)
内心ちょっと楽しい茶々である。(さっきまで行きたくなかったくせに……。)
旭はさらに距離を詰めると、乳母殿は後退り、背が柱に当たって動けなくなる。
旭は細い指で、心臓の辺りを突いた。
「豊臣家の面子を潰されたとあらば……。
いくら兄上でも、黙ってはおらぬであろうな。」
乳母殿の身体が震え出す。
「万が一……此度の行幸が其方のせいで潰れた折は、其方一人の命で補えるとは、到底思えぬ。」
冷たい声でさらに一歩、詰める。
「己の乳母一人もまともに見れぬとなれば……阿波の姫君も、ただでは済まされぬであろうのぉ。」
その言葉で――乳母殿は、がくりと膝をついた。
「下がりゃ。
今ここで下がれば、此度の事――妾は何も見ていないし聞いていない、という事にしてやらんでも良いぞ?」
乳母殿はガクガクと震えながら、その場を逃げるように去って行った。
「はぁ〜……。」
旭は盛大に溜め息を吐き、その場に座り込む。
「旭様……。」
茶々はそっと肩に手を添えた。
「私らも早う戻って準備しようか……。
はぁ〜……行幸前に気ぃ使ったわ〜。」
「少輔の方様、後の支度は私と萩乃にお任せを。
御前様に何か甘味をご用意いただけませんか?」
「かしこまりました。八重、お茶の支度を。」
「はい。」
旭と阿茶局が控えの間へ戻るのを見送り、茶々は自室へ向かい、菓子箱を取り出して中を覗き込む。
「ビスケットとボーロか。良かった、作ってて。」
日持ちするようにと作り置きしていた菓子が、こんなところで役に立つとは思わなかった。
箱を大事に抱え、部屋へ戻ると、ちょうど八重がお茶を運んで来たところだった。
その頃には旭の化粧も終わり、ひと段落している。
「紅は最後に差しますね。」
「ありがとう、萩乃。綺麗よ。」
「有り難き御言葉、恐悦至極。」
「ちょっと此処らで一休みしようか。八重がお茶を淹れて来てくれたんやし。」
侍女達に茶が配られる間、茶々は菓子を一つずつ和紙に載せ、旭へ差し出す。
「それにしても……阿波の姫君の乳母殿。想像以上やったね。」
「誠に……。」
「お江が念押ししてくるわけですよ。」
三人の溜め息が、ぴたりと重なる。
「アレは関わらん方がええね。」
「はい。」
「寧々様や竜子姉様にも無礼な態度を取るそうなので……。」
再び、重い溜め息。
「……旭様、どうぞ。甘い物でも召し上がれば、少しは落ち着かれるかと。」
「ええ、そうね。お茶々、侍女達にも分けてやって。」
「はい。」
阿茶局へも渡し、茶々は菓子箱を侍女達へ差し出す。
「御前様、先ほどの件――北政所様のお耳にも入れておいた方がよろしいのでは?」
「うん……でも、そこまでせんでもって思うんやけど。」
「天子様や国母様らの御前で、騒ぎを起こされては……。」
「それは無いとは思うんやけど〜……。
……いや、有り得そうね。」
阿茶局と顔を見合わせて、頷く。
旭はお茶を一口啜り、茶々を見た。
「お茶々。義姉上様のところへ行って、先ほどの騒ぎを報告して来て。」
「はい。」




