危険人物、共有完了
徳川邸に戻った茶々を出迎えたのは、夫の直政だった。
どことなく疲れた様子の茶々を見て、直政は落ち着きなくその周りを行き来する。
「旦那様、大事御座いませぬので。」
「何を申すか!そのように顔色が悪くては――」
「茶々は元より色白なのです。それよりも。殿と御前様は?」
ぴしゃりと遮られ、直政は一瞬言葉に詰まる。
「殿と御前様か?奥の御前様の御部屋にいらっしゃる。」
「そうですか……。では参りましょう。旦那様もご一緒に。」
茶々は直政の腕を取ると、そのまま於孝を伴って奥へ向かった。
部屋では、家康と旭が茶菓子をつまみながら談笑していた。
「あら、お茶々。もう戻ったの?」
「妹君たちは息災であったか?」
「はい。それより……殿、旭様。お耳に入れておきたい事がございます。」
家康の表情がわずかに引き締まる。
「……何じゃ?」
「阿茶局様は何処に?」
「須和か?今は呉服の間で、衣装の算段をしておるはずじゃが。」
「於孝、阿茶局様をお呼びして。」
「かしこまりました。」
しばらくして、於孝に伴われ阿茶局が姿を現す。
「して、お茶々。何事である?」
「はい……あの、実は。」
茶々は、京極邸で聞いた話を順を追って語った。
阿波の姫君のこと。その侍女たちの振る舞い。
そして、打掛の一件。
話が進むにつれ、家康の眉間には深い皺が刻まれていく。
一方で、旭は顔を歪め、阿茶局、直政は状況を飲み込みきれず、ただ息を呑んでいた。
話し終えると、茶々は静かに頭を下げる。
「阿茶局様。ご多忙の折、申し訳ございませぬ。旭様が阿波の姫君と出会さぬよう、手配をお願いしたく……。」
「……承知しました。こちらでも注意を払います。」
阿茶局はすぐに頷いた。
「しかし……そのように厄介な姫を、何故殿下は……。」
直政が呟く。
「実際に見たわけではございませぬゆえ、何とも申せませんが……。」
茶々が言葉を濁すと、旭がふっと肩をすくめた。
「ええとこのお嬢さんやから、気に掛けてるんやない?兄様、そういうとこあるし。」
その言葉に、家康は小さく鼻を鳴らす。
「……なるほどな。……ならば尚のことよ。」
阿茶局が一歩前に出る。
「御前様。少輔の方様ともども、関わらぬよう十分に注意いたします。」
「ええ。そうしてちょうだい。」
旭はあっさりと言い放つ。
「そんな面倒な女、私も御免やわ。」
その夜――。
久しぶりに、直政と同じ床に就いた。
家康に付き従い忙しく立ち働く直政とは、新婚でありながらすれ違いの日々が続いていた。
共に過ごせる夜は、互いの近況を語り合い、そして、何となく寄り添って眠る。
茶々は先に部屋で待っていた直政に、労いの意味も込めて肩を揉んでいた。
「お茶々。先ほどの話だが……。」
「はい?」
「阿波の姫のことだ。」
思わず指に力が入る。
「っ……!」
「あっ……申し訳御座いませぬ!」
「い、いや……何のこれしき……。」
ちょうど肩甲骨のあたりを押してしまったらしい。
茶々は慌ててその辺りを優しく撫でる。
(……こうしていると、ようやく夫婦らしくなってきた気がする。)
「それで、阿波の姫が何か?」
「うむ。先ほどお茶々が申した通り、そのような姫とは関わらぬ方がよい。」
直政の声は落ち着いていたが、その奥に警戒が滲んでいた。
「私も殿や他の方々が関わらぬよう配慮する。
明日には酒井様たちにも伝えておくつもりだ。」
「はい。」
だが、どこか歯切れが悪い。
「……旦那様?」
茶々が覗き込むと、直政は一瞬言葉を選ぶように視線を伏せた。
「……考え過ぎかもしれぬ。だが……。」
ゆっくりと顔を上げる。
「話を聞いただけで断言するわけではない。
だが、その阿波の姫……どうにも、嫌な感じがする。」
「嫌な、感じ……?」
「上手く言えぬが……。」
言葉を探すように、わずかに眉を寄せる。
「豊臣家中を、ひっくり返すようなことを……仕出かすやもしれぬ。」
茶々は、黙って直政を見つめた。
冗談を言う男ではない。
ましてや、こんな話を軽々しく口にする人でもない。
「……旦那様。」
静かに声を掛ける。
「今宵は、もう休みましょう。」
「……ああ。そうだな。」
直政は素直に頷き、布団へと身を横たえた。
その寝息が深くなったのを確認してから、茶々は行燈の火を吹き消す。
月明かりだけが、静かに部屋を照らしていた。
「……おやすみなさい。」
夫の寝顔にそっと声を掛ける。
ほどなくして、隣から小さないびきが聞こえてくる。
(……お疲れだったのね。)
茶々は寝返りを打ち、直政の寝顔を見つめた。
(……今回の"淀殿”は、阿波の姫……。)
胸の奥で、何かが静かに形を成す。
本来なら、自分が辿るはずだった運命。
だが、幾度もの“巻き戻り”の中で、必ず現れた“代わり”の存在。
(本来なら、私が居るはずだった場所に……誰かが、立たされている。)
そう思わずにはいられない。
(だけど……。)
茶々は、そっと手を伸ばし、直政の手に触れる。
(今、この瞬間を生きているのは……私。)
指先に、確かな温もり。
(今度こそ、生き抜いてみせる。……この人と。)
茶々は静かに目を閉じた。




