領域展開、桃色吐息
聚楽第の本丸大広間を訪れた旭一行。
早速催事場へ向かうと、既に豊臣家臣の妻や大名家の妻たちが、彩り豊かなコスメたちを前にはしゃいでいる。
その中に、前田利家・まつ夫妻も居た。
「おみゃあさ、この色どう?」
口紅の試し塗りをしたまつが、夫に見せる。
「……うん、綺麗やで。」
長時間付き合っているのか、利家の目は死んでいる。
「ちゃんと見やぁよ!!さっきから、そればっかりやない!」
まつは利家の胸に拳を入れていた。
「痛い、痛い……。」
「ホンマにぃ!!ちょっと紅変えても気付かんのやから!」
近くに居た武将たちは目線を逸せる。
夫として、耳が痛いのだろう。
「……私たちも見ようか。」
「「はい。」」
旭と阿茶局はファンデーションコーナーへと向かった。
「お茶々、あちらはどうじゃ?」
後ろに控えていた直政が、茶々の肩にそっと手を置く。
「紅ですか……。旦那様、見て下さいます?」
「ああ。」
気のせいじゃない……。
二人の周りは若干桃色になっている。
会場の警護を任されている石田三成、大谷吉継、福島正則、加藤清正は、何とも言えない顔をして、井伊の新婚さんを見守った。
「……あの茶々姫様がな〜。」
「徳川譜代の井伊殿のご正室やって。」
「……よう殿下が許したな。」
「おっか様は"良縁や!"って喜んでたし、ババ様は駿河で井伊殿に丁重にもてなされたから、"あの子なら大丈夫や!"って太鼓判押してた。」
清正の言葉に、三人は改めて直政を見つめる。
「……ああ〜。」
「そりゃあ、あんだけの美形に大切にされりゃあな〜。」
「絆されるわぁ。」
四人は気を取り直して、警備に集中した。
茶々と直政はズラリと並んだ口紅コーナーの前に座る。
「どれが良いかしら?」
「う〜ん……。此方はどうじゃ?」
直政が指差したのは、桜色の口紅だった。
「お茶々の肌に、よう映えると思うぞ。」
「そうですか?では……。」
近くに控えていた化粧係がやって来て、早速試し塗りしてもらう。
「……如何ですか?」
「うむ、よう似合う。」
「此方のお色も如何でしょうか?新作の珊瑚の色にございまする。」
「まぁ!綺麗な色!」
化粧係は丁寧に口紅を拭き取り、珊瑚色の口紅を茶々の形の良い唇にさす。
「……どうでしょう?」
「よう似合うておる。本日の打掛とよう合う。」
茶々はパッと笑顔になる。
「では!これにします!」
「いや、両方を。」
「……え?」
「先程の桜色も、よう似合うておったから……。」
茶々は頬を桃色に染めて、両手で頬を覆う。
「……嬉しい。」
甘い。
砂糖より甘い。
奥方たちや大名夫妻は、新婚さんの桃色空間を微笑ましく見守っており、豊臣子飼いたちは砂を吐きそうになった。
警護をする侍たちは、甘過ぎる空気に当てられたのか、血を吐いていた。
「……甘過ぎる。」
「ああ……眩しいな。」
「……なんで、姫様と井伊殿の周りだけ桃色になってんの?」
「虎之助、気のせいや。」
茶々がくいっと直政の袖を引っ張る。
「旦那様は、どの色がお好きですか?」
問われた直政は腕を組んで考えて、穏やかに微笑む。
この時、女たちからキャッと小さな黄色い悲鳴が上がった。
直政の笑みは、女を虜にしてしまう……。
「お茶々が……笑っている色なら、それで良い。」
その言葉を聞いて、茶々は顔を真っ赤にして目線を逸らせた。
「……もぉ〜……。旦那様ったらぁ……。」
両手の人差し指をもじもじと合わせて、照れ笑いしている茶々がトドメになったようだ。
「ぐふっ!」
一人が胸を押さえて膝から崩れ落ち、もう一人が柱に手を付いて歯を食いしばりながら堪える。
「……なんで、戦より被害出とるん……。」
三成は眉間を揉む。
「そりゃ、アレ見せつけられたらな〜。」
正則は苦笑し、その隣で清正は腕を組んで鼻を鳴らす。
「倒れた奴らは鍛え直しだわ。気合いが足りんでよぉ!」
「虎之助、程々にしてや。」
吉継は清正の腕を軽く叩く。
その時、何やら嫌な気配がした。大方の予想は付いているが……。
「………佐吉、どうするん?」
正則が三成を肘で突く。
「無視したいところやけど……。」
「そうやねぇ〜。無視するわけにはいかんわな〜。」
「よし。せーので、ゆっくり見よう。」
清正の合図で、全員が気配のする方をゆっくりと見る。
血の涙を流しながら、桃色空間を睨み付ける天下人 豊臣秀吉が……。
「ぅぅぅ……お茶々ぁ〜……。おのれ、小童がぁぁ……。」
四人が溜め息を吐いたのは同時だった。
「………ちっ!」
三成が思い切り舌打ちをする。
「ほっとく?」
「面倒くさいことならん?」
「触らぬ神に祟りなしやな。」
三成と清正は正則をじっと見つめる。
「「……そんな難しい言葉、知ってたんか。」」
「酷い!」
その時、三成の眉間がピクリと動き、静かに視線を戻した。
「……お迎えや。」
三人は一瞬キョトンとしたが、すぐに察して三成と同じく目線を戻した。
「お前様ぁ〜?」
秀吉の背後に立つのは、北政所寧々様。
秀吉はピタリと止まって、壊れた人形のようにぎこちなく振り返る。
寧々は扇子を手に穏やかに笑っているのだが……目は笑っていない。
「こんなとこで油売っとる場合かねぇ?」
「ぅっ!あ、その、旭とお茶々、は、ちゃんと、選びよんかのぉと思うて……。」
寧々は一歩前に出る。
秀吉をじっと見つめ、そして、低い声で告げた。
「戻るで。」
「……はい。」
北政所に襟首を掴まれて引き摺られる天下人秀吉。
その様子に、旭は腕を組んで鼻を鳴らして笑い、阿茶局は静かに頷く。
「はん!見苦しいなぁ!」
「……見苦しゅうございますな。」
「兄様は昔から、ああなんよ。」
「重症ですね。」
旭と阿茶局はどこまでも冷たかった。
そして、そんな周囲が見えていない桃色空間は……。
「旦那様、この藤色は?」
直政は茶々に優しく笑いかける。
「どれも似合う。」
いまだに、二人だけの世界であった。
聚楽第の春は、今日も華やかである。
桃色の空間は、誰にも止められない。
大政所様が駿河に行った時、世話役として丁重にかつ丁寧に扱ってくれたのが井伊直政。本人がおばあちゃんっ子っていうのもあるが………。
腹の底では『ここで恩売るなり印象良くしとけば、茶々姫様を妻に迎える時に味方になってくれそう』という思惑もあった。
井伊直政、ちゃっかりしてるというか、腹黒いというか……(笑)




