母として
天正十四年十月。
旭が徳川家に嫁いで、早くも一年が経とうとしていた。
その頃、副田甚兵衛との一人娘、阿古が万里小路家へ嫁いだと、寧々から文が届いた。
秀吉は姪である阿古のため、婚儀のすべてを整えたという。
八月に完成したばかりの聚楽第から万里小路邸へ続く花嫁行列は豪華絢爛。
婚儀もまた、この世の春を謳歌するかのような華やかさだったと記されていた。
一人娘の晴れ姿を見れなかったのは残念ではあるが、旭は寧々の文を何度も読み返していた。
「あの子の晴れ姿を見てやれんかったけど。」
旭はもう一度、文へ目線を落とす。
「でも、華やかだったのは、手に取るように分かるわ。」
その横顔は『母の顔』であった。
***
「お茶々様。万里小路家の阿古様より祝いの品が届きました。」
「……ありがとう。」
「一の姫様、丹羽家より婚礼祝いが。」
「うん……。」
「姫様。前田家より婚儀のお祝いと――」
(多い多い多い!!)
思わず心の中で叫ぶ。
(何これ?貢ぎ物?)
家康と旭の養女となったのが八月。
そして先月、直政との婚約が決まり、婚儀に向けて慌ただしく動き始めた矢先。
茶々の部屋には、連日のように祝いの品が届けられていた。
「多すぎるわよ……。旭様の女房である私に、こんなに……。」
「徳川家正室の女房であり、浅井と織田の血を引く姫様ですから」
「それに、殿様と御前様の養女の婚儀でございますよ?」
於孝と萩乃に諭されるも、茶々は溜め息をつくばかりだった。
「織田の血を引く言うても、私は傍系よ……。」
「いいじゃない。頂いておきなさい。お返しする方が失礼よ?」
「………………五徳様っ!?」
「「御新造様!?」」
廊下の方へ視線を向けると、腕を組んで立っていたのは、岡崎にいるはずの五徳だった。
「え?ちょっと待って?何でここに!?」
「三郎様に、ちょっとお願いしたのよ。」
さらりと言う。
「可愛い従妹が心配だから、様子を見に行きたいってね。」
(それ、“お願い”で済んでるやつ?)
どう考えても別の何かを感じるが、深くは突っ込まないことにした。
「それにねぇ〜……。」
五徳は、いつの間にか茶々の前に腰を下ろしていた。
「岡崎松平家からの祝いの品、直接渡したかったの。」
付き従っていた侍女が、丁寧に箱を差し出す。
「これは……?」
「開けてみて。」
檜で作られた箱の蓋を開けると、中には一振りの扇子が収められていた。
「私に……?」
「ええ。都の職人に頼んだのよ。」
茶々はそっと手に取り、扇を開く。金地に、鮮やかな牡丹。
「……綺麗……。」
思わず息を呑む。
「ありがとうございます、五徳様。とても気に入りました。」
「良かったわ。」
五徳は満足げに微笑んだ。
「え?大姫様……あ、いえ失礼。五徳殿。」
旭が、阿茶局とともに目を丸くして立っていた。
「お久しゅう御座います。旭姉……ではなく…。」
一拍置いて、くすりと笑う。
「義母上様。阿茶局。」
「お久しゅう御座います、御新造様。」
「五徳殿。どうしてまた?」
「従妹へ、婚礼の祝いの品を届けに参りました。」
「そうでしたか……。わざわざ岡崎から?」
「はい。お茶々が心配でしたので。」
『ほんまか?』と、旭の顔にそう書いてあったが、とりあえず納得したらしい。
阿茶局とともに、茶々の前へ座る。
「頼んでいた物が届いたの。」
阿茶局が差し出した風呂敷を、茶々は受け取る。
「これは……?」
「開けてみなさい。」
風呂敷を解くと、現れたのは檜で作られた上質な箱だった。
ゆっくりと蓋を開ける。
そこに収められていたのは、一振りの懐剣。
「……これは。」
「母様の実家、関の鍛冶に造らせたものよ。」
茶々は、そっと懐剣を手に取る。
鞘には、徳川の三つ葉葵。反対側には、井伊家の橘。
そして、縁と鎺には、茶々の生家、浅井家の三つ盛り亀甲花角。
三つの家が、ひとつに刻まれていた。
「これを……私に?」
「ええ。」
旭は静かに頷く。
「お茶々が持っていた懐剣は、駿河へ来る前にお江へ譲ったでしょう?」
その言葉に、茶々は懐剣を強く握りしめた。
かつて持っていた懐剣は、両親の形見だった。
小谷を出る時に父が母へ託した。
「娘たちを頼む。母として守ってやってくれ。」
北ノ庄城を脱出する前、母から託された。
「父上の形見じゃ。浅井の誇りを忘れるな。」
その懐剣は今は、お江の元にある。
「父上も、母上も……ずっと、側にいる。」
駿河へ出立する前日に、そう信じて託した。
「母代わりとして。養母として……。してやれるのは、これくらいやからね。」
「……ありがとうございます。」
茶々は、深く頭を下げた。
「これを、使う日が来ぬよう……。」
その言葉は、誰に向けたものだったのか。
(今度こそ……絶対に、生き抜く。)
静かに、だが確かに。茶々は胸に抱いた懐剣を握り締める。
改めて、決意が固まった。




