茶々、早速尻に敷く
茶々と直政は、ぴしゃりと閉められた障子を見つめ、しばし呆然とした。
『取り残された……。』
そんな空気が、二人の間に流れる。
「一の姫様。某の屋敷で茶でも如何でしょうか?」
「え?」
「あ……!嫌でしたか!?でしたら城下の何処かへ――」
「いえ。」
茶々は首を振る。
「それなら……裏庭へ行きましょうか。今日は誰も居ないはずです。」
「は、はい!」
二人は並んで歩き出す。
その様子を、障子の隙間から旭と阿茶局が覗いていた事など、知る由もない。
「お似合いですね。」
「そうやねぇ。お茶々は可愛らしい顔立ちやし、井伊殿は美形やし……まるでお雛さんみたいやね。」
「左様で。」
「生まれてくる子も別嬪さんやろうねぇ。楽しみだわ。」
「御前様、それは少々気が早いかと。」
家康は咳払いする。
「……見えんのじゃが。」
しかし、華麗に無視されて、家康は泣きそうになった。
茶々は直政を裏庭の小さな屋敷へ案内した。
奥御殿の自室に連れて行けば、侍女たちに何を言われるか分からない。
だから、ここが一番都合が良かった。
「此方でお待ちください。茶を淹れます。」
「かたじけのう御座る。」
直政を縁側に座らせ、茶々は土間で湯を沸かす。
火を見つめながら、思考が巡る。
(……顔が良い。背も高いし、声も良い。
ちょっと待って、何この当たりくじ。優良物件!ホントに私が貰っていいの?
あんなイケメン、好き勝手してバチ当たんないかな?)
自分でもニヤついてるのが分かる。
だが、すぐに現実が追いついてくる。
(……でも。私が、井伊様と結婚。
徳川の家臣の妻……つまり、私も徳川の人間。しかも、殿と旭様の養女として。)
火の音が、やけに大きく聞こえる。
(……正史から、どんどんズレていくわね。)
その時、土瓶がぐらりと揺れたので、慌ててずらそうとしたが、手に当たってしまった。
「あっっつ!!」
思わず、低い声が漏れる。
「一の姫様!?」
慌てた様子で直政が駆け込んできた。
「如何なされました!?」
「ご、ごめんなさい……つい。」
「お手を火傷されたのですか?見せて下さい!」
「大事ございませぬ!少し触れただけですから――それより水を……」
言い終わる前に、直政は茶々の手を取っていた。
「赤くなっているではありませんか!直ぐに冷やさねば!」
そのまま手を引かれ、井戸へ。
水を汲み、手拭いを濡らし、丁寧に絞る。
そして、そっと茶々の手に当てた。
「これの何処が大事ないですか。」
「い、いや……本当に少し触れただけで……」
「跡が残ったら、どうするのですか。」
真剣な顔。あまりにも真っ直ぐだ。
茶々は、それ以上言い返せず、そっと、空いている手を重ねる。
「……あ。」
直政が慌てて手を離そうとしたが、茶々は軽く力を込めた。
「何故、私なのでしょうか?」
「え……?」
「井伊様には、もっと相応しい女性がおられると思います。」
一度、息を整える。
「私は……浅井の娘です。」
言葉にすると、改めて重く感じる。
「何故、殿に申されたのですか?私を、と。」
暫く沈黙が流れたのち、直政が口を開いた。
「一目惚れ、しました」
「……え?」
「御前様が大坂から参られたあの日。御前様の後ろを歩く、一の姫様のお姿に……」
顔を真っ赤にした直政に、茶々は固まる。
(私って……いや、茶々って、この時代の美人の基準から外れてるよね?それなのに、一目惚れ?)
この時代の美人といえば、切れ長の目に一重か奥二重、白い肌に長い黒髪。
典型的な和風美人だ。
それに対して茶々は、ぱっちりとした大きな瞳にくっきりとした二重。鼻筋は通り、母譲りの白い肌。美形ではあるが、いわゆる当世風ではない。それに加えて、背も高い。
(私、絶対でかいよな……。)
この時代の女性としては明らかに長身だ。
黙り込んだ茶々に、不安になったのか、直政が上から顔を覗き込んだ。
「一の姫様?」
「……井伊様。いいえ――直政様」
「はい」
「いつまで“ 一の姫 ”とお呼びになるおつもりですか?」
直政が固まる。
「茶々と、お呼びください」
「え……あ、いや、その……」
茶々は、直政の整いすぎた顔をぐいっと掴んだ。
「殿と旭様の養女となる私は、確かに主君の姫でしょう。けれど」
ぐっと顔を近づける。
「婚儀の後も、“一の姫様”と呼ぶおつもり?」
「そ、それは……!」
「己の妻を?」
直政は完全に押されていた。
「婚儀までには、必ず……!」
「では、それまでに慣れてくださいね」
茶々はふっと笑う。
「私は、井伊直政の妻になるのですから」
直政は、ただひたすら頷くしかなかった。
そして、その一部始終を、畑の様子を見に来ていた侍女たちが見ていたとも知らずに。
***
「……見ました?」
「見ました……!」
「見ましたぁ……!!」
足音を忍ばせてその場を離れた美也、楽、多摩の三人は、部屋に戻るなり小声で大騒ぎしていた。
「一の姫様と井伊様が……!」
「しかも、殿様と御前様の養女として!」
「こんなめでたいこと、あります!?」
きゃあきゃあと盛り上がる三人。
「それにしても……井伊様、もう尻に敷かれてましたね。」
「誠に。でも、あの方にはちょうど良いのでは?」
「ご自身にも家臣にもお厳しいお方ですからね〜。」
「……それより。」
美也が目を輝かせる。
「お二人のお子は、絶対に美形よね。」
「見たいです……茶々姫様に似た姫君……。」
「若君もきっと、とんでもなくお美しいのでしょうね……。」
「今様の光源氏のような……。」
「「それだわ!」」
あらかた騒いで、三人は息を整える。
「でも、井伊様に想いを寄せていた姫君たち……何人かいましたよね?」
「ああ……でも、お相手が一の姫様ですもの。」
「殿様と御前様の養女になられてから嫁がれるんですし……。」
「……諦めるしかありませんわね。」




