甘味は正義〜本多作左衛門は絆され、旭は覚悟を見せる〜
知らせを受けてから、十日後。
大政所が、駿河府中の城へ到着した。
久しぶりに会うその姿は、どこか白髪が増えたように見える。
(……白髪、増えてる。)
茶々は目を細めた。
(サルのせいで、ババ様の白髪増えてるじゃねぇか。……ちっ。禿げろ!!)
心の中で、大坂に向かって呪いを飛ばしておいた。
「旭、息災やったか〜?」
「母様……母様。」
輿から降りた大政所に、旭が駆け寄る。
抱き合う二人の姿は、年齢など関係ない、ただの母と娘だった。
(……やっぱり、母親は特別よね。)
「大政所様。大坂よりようお越しくだされました。
お疲れでしょう、どうぞごゆるりとお過ごしください。」
丁寧に挨拶した、その直後。
「アンタ誰ぇ?」
空気が凍結した。
直政たちはギョッとし、冷や汗を流す。
一方で、茶々たち大坂組はというと。
(あー……いつもの。)
とでも言いたげに、どこか懐かしそうに見守っていた。
「ははははは!徳川家康に御座る!貴女様の婿ですぞ!」
「おみゃあが婿殿か。」
じろり、と家康を見る。
「ええか?オラァのことは“おっかぁ”って呼びゃあ。」
「はい、おっか様。」
(強い。)
この城で一番強いの、たぶんこの人だわ。
翌日。
家康は、豊臣へ使いを出した。
「殿はいよいよ上洛ですね……。」
「そうですね……大事にならねば良いのですが……。」
旭は大政所を裏庭の畑へ案内した。
母娘水入らずにしてやろうと、茶々は阿茶局の手伝いに回る。
「一の姫様もご一緒されるかと思いましたよ。」
「そのつもりだったのですが……。」
少し考えてから、茶々は言う。
「……何となく、二人だけにした方が良い気がして。」
一拍。
「それと――阿茶局様に、相談したいことが。」
「私にですか?」
「はい。」
茶々は、まっすぐに言った。
「そろそろ、女房名が欲しいのです。」
「……え?」
阿茶局が目を瞬かせる。
「皆様、私を“浅井の姫”や“一の姫”とお呼びになるでしょう?」
「ええ……。」
「ですが私は、旭様の女房です。
いつまでも、その呼び方ではいけないと思いまして。」
阿茶局は少し考えから、静かに頷いた。
「殿が上洛から戻られた頃に、御前様と共に決めましょう。」
「ありがとうございます。」
それから程なくして、家康は重臣たちを伴い、大坂へ向けて出立した。
残された城で、旭は毎日仏壇に手を合わせていた。
「殿はきっと大事御座いませんよ。」
茶々が声を掛ける。
「酒井様や板倉様、それに平八郎様らもおられます。」
「そうは言うても……。」
旭の表情は晴れない。そこへ、仲が口を挟む。
「お茶々の言う通りだで、旭。
おみゃあはそんな心配せんでもええ。」
そう言って、いつもの笑みを向ける。
「婿殿が帰ってくるまで、のんびりしとれ〜。」
「……はい。」
だが、日に日に旭の元気はなくなっていった。
「何か、御前様の気が晴れるようなことを……。」
茶々と阿茶局は顔を見合わせる。
「ババ様は“放っとけ、そのうち元気になる”って仰ってますけど……。」
「……不安、なんでしょうね。」
同時に、ため息がこぼれる。
「……ん?」
茶々が顔を上げた。
「阿茶局様、何か聞こえませんか?」
「え?」
阿茶局はそっと耳を澄ましてみる。
「……あら、本当。」
微かに、外から音がする。
「何事でしょうか……。」
二人は顔を見合わせ、そのまま屋敷の外へ出た。
屋敷の外に出てみると、見慣れない光景が広がっている。
本多重次が、配下に命じて屋敷の周りに柴を積み上げている。
「……作左衛門様。何をなさっているのですか?」
「一の姫様。」
茶々が声を掛けると、重次は手を止め、軽く頭を下げた。
「いやぁ……御前様に、突然“屋敷の周りに柴を積み上げよ”と命じられまして。」
「旭様が?」
「はい。」
困ったように苦笑する。
「理由をお聞きしたのですが、“終わったら話す”と仰られて……某もさっぱりで。」
「そうですか……。」
茶々は一度、周囲の柴を見回した。
(……ああ。)
何となく、察しはつく。
(いや、ちゃんと旭様に確かめよう。)
「終わったら、声を掛けてください。」
茶々はにこりと笑う。
「茶と菓子を馳走しますので。」
「……かたじけない。」
部屋へ戻ると、阿茶局が眉をひそめた。
「御前様は、一体何をお考えなのでしょうか……。」
「誠に……柴を積ませるなど……。」
(正史では確か――)
茶々はふと思い出す。
(作左衛門様が館を囲んで、“何かあれば焼き討ちするぞ”って脅したやつよね……。)
一瞬、沈黙。
(……なるほどね。)
茶々は小さく頷いた。
「美也。」
侍女を呼び寄せる。
「作左衛門様たちが終わったら、こちらへ来ていただくわ。」
「はい。」
「茶と菓子を用意して。」
美也が目を瞬かせる。
「……何故、そのような?」
「作左衛門様も理由は知らないみたいでね。」
肩をすくめる。
「なら、せめて労いぐらいはしないと。」
「……かしこまりました。」
「茶は温めで。今日は少し暑いし。」
「はい。菓子は如何いたしましょう?」
茶々は少し考える。
「ビスカウト、まだ残ってたかしら?」
「昨日、一の姫様がお作りになられたものですね。十分ございます。」
「じゃあ、それと――」
少し顔を上げる。
「抹茶と小豆のカステラも出しましょうか。」
「はい。」
「あと……餅と小豆、残ってたわよね?」
「ええ。」
「……あんころ餅、作ろうかしら?何だか、食べたくなったわ。」
「でしたら、私もお手伝いします。」
茶々は、駿河に来てからも、時折お菓子を作っていた。
ある日、旭がぽつりとこぼした。
「お茶々のカステラが食べたい。」
その一言で、すべてが決まった。
阿茶局に頼み込み、台所を借りる。
そこからはもう、頼まれて作る、自分で食べたくなって作る、こっそり注文されて作る。
完全に、菓子職人である。
最近では、侍女たちや家臣の妻たちに作り方を教えるまでになっていた。
(前世の趣味がスイーツ作りでよかったわ……。)
しみじみ思う。
(オーブンないからどうなるかと思ったけど……まあ、何とかなるもんね。)
茶々は袖をまくって、鼻を鳴らす。
「さて……甘味は正義、よ。」
***
「作左衛門様、ご苦労様でした。」
「いやいや、何のこれしき!」
柴を積み終えた本多重次は、手拭いを首に掛けたままやって来た。
配下たちは、隣の部屋へと下がっていく。
「阿茶局様に、旭様をお連れするよう頼みました。」
茶々は湯呑みを差し出す。
「どうぞ。喉が渇いておられるでしょう?」
「いや……御前様がお越しになられてから――」
「旭様は何も言いませんよ〜。ほらほら。」
ぐい、と押し付けられ。
重次は観念したように湯呑みを受け取る。
「……では。」
一口啜る。
「はぁ〜……。」
空いた湯呑みに、すぐさま茶々が新しい茶を注ぐ。
そして、高杯を差し出すと、重次の視線が釘付けになる。
「これは……?」
「カステラです。」
にこり、と笑う。
「抹茶と小豆を混ぜて作りました。」
「一の姫様が……!?」
「はい。旭様のお気に入りです。」
指先で、ひとつひとつ示していく。
「こちらがビスカウト。こちらが、あんころ餅。
あんころ餅は、私の故郷・近江では、夏前に精を付けるために食べる風習があります。」
「ほう……。」
「召し上がる際は、その楊枝をお使いください。」
「美味しいですよ、お茶々の菓子は。」
声が重なった。
「遠慮せず、どうぞ。」
「御前様!」
振り向くと、旭が戻ってきていた。
重次が慌てて姿勢を正そうとするが、旭が手で制する。
「ええのええの、そのままで。」
ゆっくりと上座に腰掛けた。
「申し訳ないなぁ、本多殿。私の我儘で、あんなことさせてしもうて。」
「いえ!」
「さぁさぁ、遠慮せず。」
「はっ、頂戴いたします!」
「お茶々、私の分は?」
「もちろんございます。」
茶々はすぐに用意する。
「旭様、ババ様は?」
「眠い言うて、いま休んどるわ。」
「そうですか。(後で持っていこ。)」
「阿茶局様も、どうぞ。」
「では……遠慮なく。」
重次は、菓子を一つ口にして、目を見開いた。
次の一口は、ゆっくりと。味わうように。大事に。
(……分かりやす。)
茶々は心の中で頷く。
(甘いものの前では、強面のおっさんもこうなるのね。)
「……妻や倅にも、食べさせてやりたいものだ。」
ぽつりと漏れる。
「でしたら。今度、奥方とご子息を連れて来てください。」
「……よろしいのですか?」
「ええ。よろしければ、奥方に作り方をお教えします。」
「かたじけないっ!」
一息ついたところで、旭が静かに口を開いた。
「さて――何故、柴を積ませたか。話そうか。」
空気が変わり、茶々と重次、阿茶局が視線を向ける。
「……あれは、兄様への脅しよ。殿に何かあれば――」
一拍。
「母様道連れにして、屋敷に火を放って自害する。」
「御前様!」
阿茶局が思わず声を上げる。
「何も、そこまで……!」
「そこまでやらんと。相手は、あの豊臣秀吉や。」
「ならば!」
重次が身を乗り出す。
「その話、もし殿下の耳に入ったならば――
某が独断で行ったことといたします!」
「……そう、そこ。」
旭が頷くと、重次は一瞬言葉を失った。
「……はい?」
「どちらとも取れるでしょう?」
淡々と続ける。
「本多殿が、“殿に何かあれば、駿河御前と大政所を殺す”、と脅したとも。」
一拍。
「私が、"夫に何かあれば、母様道連れに自害する”、と脅したとも。」
「御前様……。」
「こんなこと、頼めるのは本多殿しかおらんと思って。……巻き込んで、ごめんなさい。」
「……御前様。」
重次が、低く言った。
「某を見縊ってもらっては困ります。
某は――徳川家の家臣、本多作左衛門重次に御座る。
御前様は、何も気になさることはございませぬ。」
胸を張る。
「すべて、この本多作左衛門にお任せを。」
旭は、静かに微笑んだ。
「……ありがとう。」




