茶々は遠慮しない
茶々は、夜明け前に目を覚ました。
旭に命じられ、於孝に布団へ放り込まれてから、どれほど時間が経ったのか。
(……めっちゃ寝た気がする。)
二度寝も考えたが、ふわりと漂う米の炊ける匂いで、その気は消えたので、むくりと起き上がる。
「あ゛あ゛〜っっ!!よく寝たっ!!」
布団から抜け出し、障子を開ける。
東の空が、うっすらと明るい。
「今日も良い天気になりそう……。」
部屋に戻り、布団を畳む。
障子を全開にして、空気を入れ替えた。
「……寒っ!!」
秋の朝の冷え込みが、肌に刺さる。
茶々は廊下に出ると、大きく背伸びをする。朝日が、全身を照らして、気持ちが良い。
そして、そのまま、朝日に向かってラジオ体操を始めた。
「浅井の一の姫様……もうお目覚めですか?」
声に振り返ると、於孝や旭と同じくらいの年頃の女中が立っていた。
「おはよう。えっと……」
「あ……とんだご無礼をっ!」
慌てて頭を下げる。
「御前様にお仕えする事となりました、美也と申します。」
「お美也ね。浅井茶々よ、よろしくね。」
一拍。
「ところで、顔を洗いたいんだけど。」
「はい、桶をお持ち――」
「洗い場まで連れて行ってくれる?」
「……はい?」
美也の動きが止まる。
本来、身分の高い者は洗い場へは行かない。
水は、部屋まで運ばれるものだ。
「浅井の一の姫様が……斯様な……」
「いいの、いいの。」
茶々は軽く手を振る。
「私は旭様の女房よ。気にしない、気にしない。」
ニッコリ笑って、美也の前に立つ。
「大丈夫よ〜、案内して。阿茶局様に見つかったら、適当に言い訳するから。」
「………………こちらで御座います。」
完全に押し切られてしまった。
洗い場には、すでに侍女たちがいた。
茶々の姿を見た瞬間、全員が固まった。
(まぁ、そうなるよね。)
だが茶々は気にしない。普通に侍女たちの隣に並び、顔を洗い始めた。
「姫様っ!!」
後ろから悲鳴がして振り返ると、於孝が桶を抱えて立っていた。
「お部屋までお持ちしましたのに!」
「いいの、いいの。」
さらっと返す。
「これもコミュニケーションよ。」
「こ、こみゅ……?」
「南蛮の言葉。」
少し考える。
「……同じ釜の飯を食う、みたいな感じ?」
「そ、そんな……恐れ多い!」
「いいから、いいから〜。」
「一の姫様っ!!?」
さらに大きな声がして振り返ると、阿茶局が青い顔で立っていた。
(あ、見つかった。)
「おはようございます、阿茶局様。」
「おはようございます……ではありません!!」
完全にキレている。
「何をなさっているのですか!?ここは侍女の場所です!」
「ごめんなさい、勝手に使ってしまって。」
そして、あっさりと謝る。
「でも、もう終わりましたので。」
「そういう問題ではありません!!」
阿茶局は今度は赤い顔をして、侍女たちに怒鳴る。
「誰が案内したのですか!!」
「私です。」
茶々が即答する。
「勝手に来ました。」
「……はい?」
「早く目が覚めてしまって、侍女たちの声が聞こえたので、つい〜……。」
一拍。
「ごめんなさい。」
阿茶局が侍女たちを振り返ると、ビクッと肩を跳ねさせる。
「それでも止めるべきでしょう!!」
「止めましたよ?」
茶々は首を傾げる。
「でも私が聞かなかっただけです。」
にっこりと笑顔で侍女たちに振り返る。
茶々は、阿茶局から見えない角度で、侍女たちに向かってウインクした。
「も、申し訳ございません!阿茶局様!」
「姫様が、あまりにも素早く……!」
「もっと強くお止めするべきでした……!」
侍女たちが次々と頭を下げる。
「ほら。」
茶々は軽く肩をすくめた。
「私が勝手にやったことです。
だから、そんなに怒らないであげてください。」
阿茶局は、額に手を当てる。
そして、深く長く息を吐いた。
「……本来であれば。この者たちは、処罰の対象です。」
一瞬だけ、空気が張り詰めた。
「ですが。」
一拍。
「姫様のお顔を立て、此度は見なかったことにいたします。」
侍女たちの顔が上がる。
「ただし――」
ピシリ、とまた空気が締まる。
「今回限り、です。」
「ありがとうございます、阿茶局様。」
茶々は頭を下げる。
「みんなも、ごめんね。朝から巻き込んでしまって。」
「そんな、姫様!」
「勿体なきお言葉です!」
朝餉を終え、一息ついた頃。
阿茶局が、再び姿を見せた。
「御前様。お休みは取れましたか?」
「ええ、よく眠れました。」
旭は微笑む。
「阿茶局のおかげです。」
そして、ふと茶々を見る。
「それより――朝はごめんなさいね。お茶々、悪い子ではないのよ。」
一拍。
「ただ――向こう見ずで、物怖じせず、ちょっと世間知らずなだけで。」
「そこまで言います!?」
「だってそうじゃない。」
旭は涼しい顔だ。
「ねぇ?」
於孝と萩乃を見る。
「「はい。」」
二人とも即答だった。しかも全力で頷く。
「……。」
茶々は頬を膨らませ、二人を睨んだ。
「ふふ……。」
その様子に、阿茶局が思わず小さく笑う。
「一の姫様は、お優しい方でございますね。」
「侍女たちも、驚いておりました。」
「自分たちのような者を、姫君が庇ってくださったと。」
「……そうですか。」
茶々は少しだけ視線を落とす。
「でも。」
顔を上げる。
「度が過ぎるようなら、きつく言っていただいて構いません。
北政所様からも、そう言われておりますので。」
「まぁ……。」
阿茶局は、わずかに目を細めた。
「ではその時は――」
にこり、と微笑む。
「姫様。お覚悟を。」
「……気をつけます。」
「さて。」
空気を切り替えるように、阿茶局が手を打つ。
「昨日はお疲れのご様子でしたので控えておりましたが。
本日は、奥御殿をご案内いたします。」
「お願いします。」
阿茶局の案内で、城奥を巡る。
その中で知ったこと。
側室たちは、それぞれ別の屋敷に住まいを与えられているということ。
(つまり……この御殿の大半は、旭様のもの、か。)
茶々は静かに周囲を見回した。
やがて、人気のない裏庭へと出る。
何もない。ただ、ぽっかりと空いた空間。
「……ここは?」
「殿より、御前様の好きにするように、と。」
阿茶局が静かに告げた。
「殿が……?」
旭の目が、わずかに見開かれる。
「はい。」
「部屋に籠もってばかりでは、気が滅入るであろうと。」
「……。」
旭はゆっくりと庭へ足を踏み入れた。
陽が差し込む、静かな場所。
「旭様。」
茶々が並ぶ。
「耕し甲斐がありそうですね。」
「本当ね。」
旭が微笑む。
「日当たりも良いわ。」
「薬草や野菜を育てますか?」
「ええ。」
一歩、土を踏む。
「まずは耕して――それから種を蒔かないとね。」




