岡崎、やっぱりバグってる
天正十三年十月。
秋の夜長が深まり始めた頃。
旭は徳川家へ輿入れのため、大坂城を発った。
お付きの女房として茶々、その侍女には於孝と萩乃。
さらに、副田家の頃から仕えていた侍女たちも、そのまま旭に付き従う。
秀吉は最後まで茶々の駿河行きを渋り、妨害行為までしてきたのだが……。
大政所と北政所という強力な後ろ盾を得た茶々に見事に押し切られてしまった。
更には、姉の智に「ええ加減にせえ!」と説教され、秀長からも「……たわけが。」と吐き捨てられ、更に更に、子飼い衆からはゴミでも見るような目で見つめられ、撃沈していた。
一行は駿河へ向かう道中、三河・岡崎へ立ち寄ることになっていた。
松平信康の正室・五徳と、その母・安土殿が、旭に会いたがっているという。
旭によれば、五徳が輿入れする以前、安土殿に請われて裁縫を教えたことがあり、その縁で五徳は旭に懐いていたらしい。
一時は、輿入れの際に侍女として付き従う話まで出ていたという。
大坂を発って四日。
旭一行は、三河・岡崎城へ入った。
これから、三河守・信康と五徳への謁見である。
通されたのは本丸御殿の大広間。家臣に促され、その場で待つ。
やがて、信康の到着が告げられ、上座の戸が静かに開かれた。
現れたのは、凛とした佇まいの、若き武将。
その隣に、妖艶な気配を纏う美女。
そして――その美女に酷似した、落ち着いた気品を持つ女性。
(……濃いな。)
茶々は内心で呟く。
「旭様、面をお上げください。
そのように頭を下げられる必要はございません。貴女様は、私にとって義母にあたる御方です。」
「ありがとうございます。」
(……あら、いやだ。声までイケメンかよ。)
旭はゆっくりと顔を上げる。
「お目通り叶いまして恐悦至極に存じます。
関白・豊臣藤吉郎秀吉の妹、旭にございます。
至らぬ点も多々ございましょうが、どうぞよろしくお願い申し上げます。」
「ご挨拶かたじけない。
松平三郎信康にございます。
大坂よりはるばるお越しくださり、誠にありがとうございます。」
信康は穏やかに言葉を続けた。
「長旅でお疲れでしょう。駿河への出立まで、どうぞごゆるりとお過ごしください。」
そして、ふと視線を後ろへ向ける。
「――して、旭様。
その後ろの姫は……娘御の阿古姫であられますか?」
「いいえ。お付きの女房役の茶々にございます。」
「茶々、殿……?……面をお上げください。」
「はい。」
茶々は静かに顔を上げた。
「あっ……!」
隣にいた女性が、小さく声を上げる。
「義母上、あの姫をご存知で?」
信康の問いに、女性は目を見開いたまま答えた。
「……お茶々……なのですか?」
「はい。お久しゅうございます、義伯母上様。」
「……誠にお茶々なのかえ!?何故ここに……女房役、とは!?」
信康と五徳が、驚いた様子でその女性を見る。
そして、改めて茶々へと視線を向けた。
「ご挨拶が遅れました。」
茶々は静かに頭を下げる。
「岡崎様、御新造様、ならびに安土様におかれましては、ご機嫌麗しゅう存じます。
浅井新九郎長政が長女、茶々にございます。
此度は、旭様の女房役として付き従いました。」
沈黙。
「はぁぁぁ!?」
信康と五徳の驚愕の声が、大広間に響き渡った。
(この反応……もしかして、私が女房役として付いて行くって事……伝わってない?)
「あの、岡崎様。
お茶々が私の女房役として付いてくるというのは……ご存知ありませんの?」
茶々が口を開く前に、旭が先に信康へ問いかけた。(最近ようやく「お茶々」と呼ぶようになったが、気を抜くと「お茶々様」に戻る。)
「は、はい……。今し方、知り得ました……。」
「ちっ……あのサル。」
「これ、お茶々。」
「ご無礼を。つい口に出てしまいました。」
「義姉上様が言うてたでしょう?あれはハゲネズミよ。昔はもう少し髪があったのよ〜。」
「そんなに私を駿河へ行かせたくないのでしょうか?……そのまま全部抜け落ちろ。髪の女神様に見捨てられたらいいんだわ!」
「そうねぇ。女神様も呆れて、実家に帰る支度しとるかもねぇ〜。」
「「……おほほほほ!」」
旭と茶々は楽しそうに笑い合う中、上座の三人は、ぽかんとしている。
「……ふ、ふふ……あはははは!」
先に笑い出したのは五徳だった。
「変わっておりませんね、旭姉!」
そのまま立ち上がり、二人の元へ歩み寄る。
「ご無沙汰です、旭姉。お会いしたかった……!」
「大姫様……。こんなに立派になられて……。」
五徳はその場に座り、旭の両手をそっと取った。
そして、ふと茶々へと視線を向ける。
「お茶々、ですね。初めまして。
松平三郎信康が妻、五徳です。母から話は聞いていたの。まさか会えるなんて……嬉しい。」
「勿体なきお言葉にございます、御新造様。」
「そんな畏まらないで〜。従姉妹同士でしょう?」
「ですが……。」
「いいから、いいから。岡崎にいる間くらいは楽にして!」
「……ありがとうございます。」
気づけば、信康と安土殿も近くへ来ていた。
「旭様。」
信康が穏やかに口を開く。
「先ほども申しましたが、貴女様は俺の義母にあたるお方。
どうか、三郎とお呼びください。―― 継母上。」
「はい、三郎殿。」
「では私は……旭姉を義母上様とお呼びせねばなりませんね。」
「私が大姫様の姑……。」
旭は小さく笑う。
「ふふ……生きていると、何が起こるか分かりませんね。」
「五徳は嫁でございますわよ、義母上様。」
「はい、五徳殿。」
そして、旭は安土殿へと向き直る。
「……御方様、ご無沙汰にございます。」
「変わっておらぬなぁ、旭殿。いや……御前様、とお呼びすべきかの。」
安土殿は柔らかく微笑む。
「阿古姫は息災か?」
「はい。実は……あの子、公家の万里小路家へ嫁ぐことになりました。」
「まぁ!それはめでたい!」
「御曹司様が一目惚れしたとかで……。」
「成程のぉ。阿古姫は小さい頃から愛らしかったからの。……そうか、もう嫁に行く歳か。」
安土殿は、どこか懐かしむように目を細めた。
「して……お茶々。」
安土殿に話を振られ、茶々の肩がぴくりと揺れる。
「何故、御前様のお付きに?」
「お茶々は、私を案じて付いて来てくださったのです、御方様。」
旭がすぐに答える。
「継母上を、か?」
「……でも、それは建前でしょう?お茶々。」
「え?」
「本当は――」
旭がくすりと笑う。
「ウチの兄様から逃げるため、でしょう?」
(嘘やん!?バレとるーーー!?)
茶々の頬に、つーっと汗が伝う。
「……う、あ、ええ、まぁ……はい。あのサルから逃げるため、ではありますが……その……」
「ごめんなさい、少し意地悪を言ったわ。」
二人のやりとりに、五徳がくすりと笑った。
「いえ。」
茶々は一度、姿勢を正した。
「旭様を理由にしたのは事実です。ですが――」
一拍。
「旭様をお守りするため、というのも本心にございます。
ババ様と智様とも、そう約束いたしましたので。」
この言葉に、嘘偽りはない。




