阿茶局は憤慨する
「秀吉の妹が、儂の元に嫁ぐことになった。」
家康の言葉に、側室の阿茶局は静かに顔を上げた。
「……はい。」
「どうやら、あの猿には全く似ておらんらしい。」
「……。」
「大層な美人だと、皆が口を揃えて言うのじゃ。」
「……殿。」
阿茶局が呆れたように声を掛ける。
「おっと、すまん。」
家康は咳払いを一つ。
「……須和よ。」
「はい。」
「旭姫の身の回りの世話をしてやってくれ。」
「かしこまりました。」
一礼したところで、阿茶局は顔を上げた。
「……つまり、見張れと?」
家康は少しだけ目を細める。
「うむ。」
「……承知いたしました。」
それ以上は何も言わず、阿茶局は頭を下げた。
――関白秀吉の妹。
それだけで、警戒する理由としては十分だった。
徳川と豊臣。
先の戦で刃を交えた両家は、今は和睦している。
だが……和睦とはいえ、互いに腹の内まで見せるわけではない。
ましてや、旭姫は関白の妹。
「……さて。」
阿茶局は、小さく息を吐いた。
どのような御方なのか。警戒せねばならない。
そう思っていた。
しかし、旭姫が徳川へ嫁ぐまでの事情を知った時。
阿茶局は、思わず眉を寄せた。
「……夫と、無理やり離縁させてまで……。」
静かな部屋に、低い声が落ちる。
「一人娘まで残して嫁がせるとは……。」
握った拳に、力が入る。
「関白殿下には、人の心というものがないのか!!」
思わず声が大きくなる。
ふと、阿茶局の脳裏に、一人の女性の姿が浮かんだ。
岡崎城主・松平信康の妻。
「……五徳様。」
信康の正室であり、織田家の姫。
彼女ならば、旭姫の事情を理解してくれるのではないか。
少なくとも、同じ女性として。
阿茶局は静かに考える。
徳川へ嫁いでくる以上、旭姫はこれから決して楽な暮らしを送ることはできない。
豊臣と徳川。
両家の間に立つ、いわば人質同然の婚姻なのだ。
ならば、せめて――
「……奥御殿ぐらいは、穏やかに過ごしていただきたいものですね。」
阿茶局は筆を取り、ゆっくりと墨を含ませる。
宛先は、岡崎。
御新造様、五徳姫君。




