姫様、泣いていいですか?
住吉大社での参拝を終え、一行は住吉で一泊した。
翌日、大坂城への帰路の途中で、四天王寺へ立ち寄った。
(……ここからが、本番。)
茶々は静かに息を整えた。
僧侶に案内され、寺の奥にある屋敷へ通される。
「こちらでお待ちください。」
「はい。」
やがて、先ほどの僧侶が、一人の僧を伴って戻ってきた。
それは、出家したばかりの甚兵衛だった。
「……旭……阿古……。」
低く、震える声で二人を呼ぶ。
「旦那様っ!」「父上っ!!」
二人は同時に立ち上がり、駆け寄った。
そのまま甚兵衛に強く抱き付いた。
「すまん……!」
甚兵衛――いや、穏斎は二人を抱きしめた。
「勝手なことをしてしもうて……!すまなかった……!」
「違うわ!」
旭が首を振る。
「旦那様は悪うない!あんなこと言われたら、誰だって怒るやないの!」
「父上ぇ……!」
阿古が声を上げて泣く。
「……阿古、そんな泣いたら。」
穏斎は、優しく娘の頭を撫でる。
「目が溶けてまうで。」
「だってぇ……!」
阿古は父に抱き付いたまま、泣き崩れた。
「……阿古ぉ!」
三人は、ただ抱き合ったまま泣き続けた。
その光景に、茶々はそっと目を伏せる。
(……よかった。)
隣では萩乃が静かに涙を拭い、僧侶も目頭を押さえている。
於孝と清正は完全に号泣しており、吉継が無言で手拭いを差し出していた。
やがて、少しずつ涙も落ち着いていく。
「……実はな。」
穏斎が、静かに口を開いた。
「この寺に、母方の縁者がおってな。その縁で、ここへ来たんだわ。それで……その日のうちに、出家した。」
「……。」
「穏斎、と名を改めた。」
旭と阿古は、黙って聞いている。
「時期が来れば、尾張に戻って、庵を結ぶつもりだわ。」
「……そうですか。」
旭は、ゆっくりと頷いた。
「阿古は……徳川へ連れて行くのか?」
穏斎の問いに、旭は首を振る。
「この子は、公家の万里小路家へ嫁ぎます。」
「万里小路家へ……!」
驚いたように目を見開く。
「そうか……織田家とも縁のある家やな。」
「はい。」
「御曹司様が、阿古に一目惚れしたそうで……。」
「……そうか。」
穏斎は、阿古を見る。
「ついこの間、生まれたばかりやと思うとったのに……。」
小さく笑う。
「もう、嫁に行く歳か。」
「いまは北政所様のもとで、礼儀作法を学んでおります。」
「そうか。」
穏斎は、ゆっくりと頷いた。
「しっかり励め。」
「はい。」
阿古は、まっすぐに答える。
「阿古。」
穏斎が静かに呼ぶ。
「これからは、関白殿下と徳川様が其方の父となる。それで、ええな?」
阿古は一瞬だけ目を伏せたが、顔を上げた。
「……はい。ですが……。」
声は、はっきりとしていた。
「阿古は――副田甚兵衛吉成の娘であること、決して忘れません。」
穏斎は息を飲んで、震える声で娘に告げた。
「……ああ!お前は、儂と旭の大切な娘や!」
再び、涙が溢れた。
(……ああ、もう。)
於孝と清正が再度号泣に突入する。
吉継は無言で二枚目の手拭いを差し出した。
やがて、茶々がそっと声を掛ける。
「旭様、阿古殿。そろそろ……。」
「……はい。」
旭は、小さく頷く。
「穏斎様。」
そして、夫へ深く頭を下げる。
「最後にお会いできて、良かったです。」
「うむ。」
穏斎は静かに答えた。
「旭。お前はこれから、徳川様の正室となる。儂のことは……死んだ者と思え。」
「……。」
旭は、唇を噛む。
「……はい。」
「達者で暮らせ。」
「……はい。」
次に、阿古へと視線を向ける。
「阿古。」
「はい。」
「幸せになれ。」
短く、それだけ伝えた。
「はい。」
阿古は涙を堪えながら頷いた。
「父上も……ご無理はなさらぬように。」
「……ああ。」
それが、最後の言葉だった。
穏斎に見送られながら、茶々たちは再び歩き出す。
(……これで、ひとつ片付いた。)
茶々は静かに目を細めた。
(だけど、まだ終わりじゃない。これからが本番……。)
視線を前へ向ける。
(次は、徳川。)
静かに、盤面を見据えた。




