節制編前編:2章
ミカは、意識を取り戻す。
ミカは目を閉じたまま感覚を呼び起こす。ミカを挟む滑らかな布は、冷涼感を感じさせる。時計の針が、一刻一刻を知らせている。
ミカは、ベッドで寝かせられていた。
「…っ!痛…く、ない…?」
脳が覚醒し、飛び起きる。ミカは、意識を失う前―イノシシに、体を貪られていたのだ。体の大部分は倒木で潰され、残った左半身も齧られて―。
ミカは、左腕を目視する。傷痕はない。そこには、色白の細腕が健やかに在った。右腕も同様に、腕の形のままで在る。
「場面転換が唐突過ぎる…なにこの状況?」
ミカは部屋を見回す。木造の小さな部屋で、半透明のカーテンの隙間から差し込む白い日光は、ミカのいるベッドを照らす。ベッドと点対象な位置に扉が造られており、その横にはぎっしりと本が敷き詰められた棚がある。その手前の一本脚のテーブルの上には数冊の本やノートと万年筆が放置されていて、ベッドの直ぐ横の棚の上には眼鏡をしまう箱が倒れている。
加えて、今ミカは、パジャマからバスローブのような白い布に服が変化していることに気がついた。あのパジャマは、私の血がまき散らされていたはずだ。誰かが、着替えさせてくれたのだろう。なんにせよ、ミカはこれで初期装備を失ったことになる。
まあいいか、と心で唱えて、ミカは口を開いた。
「…天使様ー。なんか言わなきゃいけないでしょー」
「あはは…」
「笑い事じゃないから!」
今回ばかりは軽口では済ませられないと、ミカは立腹する。当然のことだった。ミカが経験したあの恐怖は、痛みは、文字通り死と等しかった。
「もうちょっと早くスポーン地点変更してよ…あれ、ほぼ、というかもろ死んでたでしょ」
「あ、ええっと…その件なんだけどね。実は、わたしはプログラムをいじってないんだ」
「…え?」
天使の言葉に、ミカは意味がわからないと布団を叩く。
「じゃあなんで、私は今傷一つなくいられてるのさ?あれは、夢だった…?」
「夢じゃないよ。でも、ゲームオーバーになってもない。君は、あの状況から助かったんだ」
「はあ…?」
益々、ミカは混乱した。呼吸もできず、ただ体液を垂れ流し続けていたあの状況から、起死回生に成功した記憶は、一切なかった。
「まず、色々説明をしたいから…『ステータスオープン』、って言ってくれる?」
「あ、ステータスあるんだ。というかこんなリアリティある世界でも身体能力数値化されるんだ…」
驚きつつも、『ステータスオープン』と呟く。すると、ミカの目の前に、俎板サイズの黒いウィンドウが現れた。金属のような手触りで、空中に完全に制止している。現実の世界風に言うならば、タブレットが宙に浮かんでいる、といったところだ。そこに表示されている文字列を、ミカは眺める。
「おー、RPGっぽい。MPがあるってことは、魔法使える感じか…」
などと、ゲーマーの血を騒がせていると―異質な表記に目が留まった。
「『異能:不死』…?」
「うん。この世界には、君たちの世界にはなかった力として、『魔法』と『異能』があるんだけど…簡単に言ったら、両方とも超常的な力で、『魔法』は努力で身について、『異能』は生まれながらに持ってる力、っていうイメージかな」
「つまり…私は、この世界に降り立った瞬間、不死の力を得た、ってこと?」
「うん!その力ね、実はすっごく珍しい力で…!」
「ストップ!ゲーム制作秘話みたいなのは後にして。…この、不死の力、っていうのは、具体的にどんな力?」
「ええっと…死なないの。傷ついても、ちょっと時間が経てば回復するんだ。…不老不死、っていうわけじゃないよ」
「なるほど。っていうことは、私の傷が今なくなってるのは、その異能の力なんだね?」
「うん」
その天使の受け答えに、ミカは安堵の息を漏らす。この力がなければ、ミカの冒険は、あっけなく幕引きをしていた。そのことを、改めて反芻した。
同時に、少しだけ、天使に対する不満を抱えていた。今までの話を総合すると、天使は、ミカの救出が間に合わなかった、と推測できる。結果的に助かったからよかったものの、天使様にはもうちょっとちゃんとしてほしいな、とミカは心の中で文句を言った。
まあ、助かったかのは事実だ。口にするほどでもないと呑み込んで、ミカは言葉を続けた。
「じゃあもう一個質問させてもらいますけども…ここはどこ?」
「えーっと…それは、ネタバレになるから言わない」
「説明するのかしないのかどっちなの!?」
天井を睨みながら、声を張り上げる。
「全部説明しちゃったら、つまらないでしょ?このぐらいの情報なら、どうせ君も直ぐにわかるだろうし…」
「…あーもう、わかったよ。自分で調べる。一応、これもゲームなんだし………じゃあ、最後に一つだけ聞かせて」
「何?」
「さっき、さ…私がイノシシに殺されそうだった時。返事してくれない時があったじゃん?あれ、って…?」
ミカは、先ほど天使が少しの時間、一切返答しなかったことが気にかかっていた。プログラムの修正中は会話ができないだとか、集中しすぎて言葉を聞き逃したのか、何にせよ理由が知りたかった。あわよくば、何らかの文句をつけてやろうとも思っていた。
しかし、天使の回答は、想像の下を行った。
「ああ、あれはね。本当はプログラムミスも修正できたんだけど…折角の機会だし、君に異能を体験させようと思ったんだ」
「…は?」
「気絶しちゃって、能力の発動を見れなかったみた―」
「ふざけんな!!」
ミカは怒号を飛ばす。弱々しい悲鳴が、微かに部屋に届く。
「修正はできてたんでしょ!?あの状況から、助けられたんでしょ!?―私が、あれに食べられる前に!!」
ミカは、感情が抑えきれず声を荒げる。天使は、ミカを助けられたが、故意に助けなかった。その事実が、ミカを激昂させた。
「異能なんて、あのタイミングじゃなくてもよかったじゃん!先にその説明してから、試してみればよかったじゃん!どうして……どうして、私が苦しんでるのを、黙って見てたの!!」
ミカにとって、あの痛みと苦しみは、人生に二度ともないような、恐怖と絶望だった。奴が迫り来る時も、奴が木を倒した時も、奴がミカの体を食んでいた時も、のべつ幕なしに救済を祈っていた。ただ一心に、痛みから解放されることを待ち望んでいた。
その望みを、天使は無下にしたのだ。
「最低!もう、あんたなんて頼らないから!!」
ミカは涙を堪えながら、天に吠えた。それっきり、天使は何も返答しなくなった。気持ちの整理がつかなくなったミカは、ベッドへ倒れこむ。
「もう、何なの、あの人…!意味わかんない!」
白い枕に額を押し当て、唇を噛む。何度もベッドを蹴るように足を振り上げ、口を塞いだまま喚く。どうしようもない怒りが、ミカを支配している。どうにか落ち着きたくて、何度も寝返りを打ったり、深呼吸を繰り返した。数分立って、ようやく冷静さを取り戻してきた。
その時、ミカはやっと、部屋のドアが開け放たれ、一人の女性がミカを見つめていることに気がついた。
「…あ」
「…あはは、なんだい、そんな食卓にマンボウが出されたみたいな顔をして」
突如として現れた女性は、身長が180㎝近くあり、ミカを圧倒している。黒いシャツの上にピンクのエプロンを着ていて、頭には同じくピンク色の、平たく円い帽子が彼女の赤い短髪を隠している。自信に満ちた笑みと、鋭い眼差しがミカに向けられ、ミカは目をしばたたいて、ぎこちなく笑い返した。
「アタシはカーマイン。ココ、『満足屋』の料理長兼店長。宜しく!」
「あ、はい…よろしくお願いします…」
差し出された手を、ミカはベッドに座ったまま握る。身長に比例したような大きな手を振りながら、カーマインは尋ねた。
「アンタ、名前は?」
「天ヶ崎、ミカです…」
咄嗟にフルネームを名乗ったが、苗字という概念が存在するかわからない世界で、『天ヶ崎』まで名乗ったのは失敗だったか、とミカは憂慮する。
しかし、杞憂だった。
「ミカちゃん、ね。可愛い名前じゃん」
「あ、ありがとうございます…?」
依然として握手を続けつつ、ミカはぼんやりと考える。目の前の人物について、情報が不足しすぎている。
「あの、すいません…ここ、どこですか?」
「ココは、『満足屋』っていう居酒屋でね。アザレアに来たなら、名前くらいは知ってるかな?」
「アザレア…?」
当然、ミカはこのゲームの固有名詞をなにも知らない。どこ、と聞いて納得がいく答えが返って来ないことは、又当然だった。
逆に、カーマインは、ミカの返答に違和感を覚えた。
「…ミカちゃん、アザレアを知らないのかい?」
「…はい」
おっと話が変わってきたね、とカーマインは呟く。対してミカは、不用意な発言をしたかと悔いる。
ミカは、この料理長から情報を引き出したかった。しかし、同時に彼女の気を逆撫でしないよう発言を慎まなければならない。ミカの命綱を握っているのは、このカーマインだった。
「異郷人にしたって、国名くらいは知ってるもんじゃないのかい…?」
「だ、大分遠くの方から来たんです」
「…まあいいか。とにかく、ココは国内で有名な居酒屋だと認識してくれ」
カーマインは背を向け、扉へ近づく。ミカもそれに倣って後を追う。
「…あ、そういえばミカちゃん、いくつ?」
「17です」
「じゃあ、アタシの大きい方の弟と同じだね。あ、ウチ、4兄弟なんだよね。アタシが長女で、21。下の弟も妹が、15と11。皆可愛くてねー…あ、いや、お客人にする話じゃなかったね」
「いや、大丈夫、です…」
愛想笑いを浮かべながら、カーマインについていく。扉の先は細い廊下となっており、左手には、たった今出た部屋を含めて、4つの部屋が並んで在った。ネームプレートが吊り掛けられていることから見ても、ここはカーマイン達兄弟の寝室だろう。ミカはそう推測した。逆に右手には、手前から2番目と3番目の部屋の間、つまりこの廊下の中央に、通路があることが確認できた。ミカは頭の中にT字路を思い描いた。
ミカはこの後の展開の予想を立てていた。というのも、ミカはカーマインが何を考えているかわからなかった。だからこそ、まず前提が合っているかどうかを確かめるため、ミカは質問した。
「あの…山の中で助けてくれたのは、カーマインさんなんですか?」
「…アタシじゃないよ。アタシの弟だ」
「…!ありがとう、ございました」
ミカはお辞儀をしようとするが、カーマインは優しく微笑み、いいよいいよと手を振る。歩みを止めないカーマインに、ミカは小走りで追いつく。
コツ、コツと廊下に足音が響く。狭い廊下であるためか、よく反響していた。カーマインは右へ曲がり、ミカも続く。
ふとミカは、聞くタイミングを逃していた質問をする。
「そういえば、カーマインさん。どこに向かってるんですか?」
「ん?ああ、それはね…」
やがて、長い廊下の突き当りの、ネームプレートの掛かっていない扉に行き当たる。カーマインは、ガチャリとドアノブを押して、扉を開けた。
扉の先は、吹き抜けで広々とした、食堂のような場所だった。1階も、ミカ達がいる2階も、数多のテーブルがきちんと整備されており、木造の建築によく似合う、青々とした観葉植物も飾られていた。中央には植物のカーテンで覆われた天窓があり、麗らかな日の光が室内を照らす。
ミカは一階を見下ろした。ある一つのテーブルに、3人が座っている。
一人は、黒髪に青のメッシュがかかっている青年で、優雅に紅茶を嗜んでいる。
一人は、金髪のソフトモヒカンの少年で、いち早くミカ達に気がついた。
一人は、緑の髪のハーフアップをした少女で、本を睨みつけている。
カーマインは、艶やかな手すりを掴んで、その3人に向けて声を発する。
「スマルト、メイズ、リケーネ。お客人、目が覚めたよ」
そう呼ばれた3人は、また三者三様の素振りを見せた。
一人はミカに微笑みかけ、一人は鼻を鳴らし、一人は本を置いて追加のカップに紅茶を注いでいた。
「ねえ、もしかしてあの3人って…」
ミカは、なんとなくその3人の検討が付いていた。カーマインは、お察しの通りと顔を綻ばせる。
「アタシの、可愛い兄弟たちさ」
ミカは、4人からの視線を一身に受けていた。
「…その、これは一体どういう状況なんですかね…」
作り笑いを浮かべながら、冗談めかして尋ねる。
現在、ミカは4人用の机に、1つの椅子を追加してこの会話を行っている。現実世界で言うならば、この位置は上座だ。居た堪れない気持ちでいっぱいになっていると、カーマインが口を開いた。
「別に、取って食おうってわけじゃないよ。いくら料理人でも、人は食べないさ」
「そ、それはよかった…じゃ、ないんですけど!?」
「冗談はいらねえ。オレ達は時間を無駄にしたくねえんだよ、姉貴」
ソフトモヒカンのの少年が、苛ついた口調で言い放った。やーごめんごめん、とカーマインは笑いながら、ミカへ視線を戻した。
「ちょっと君に聞きたいことがあるんだよね」
声色は変わらないが、視線が冷たくなったような気がした。ミカは弱々しく返事をする。
「…さっきも聞いたけど。お客人、どこから来たんだい?」
「…!」
この質問をされることは、ミカにとって、想定の範囲だった。先程の発言と矛盾しないよう、言葉に注意を払って話す。
「実は私、宇宙人なんだよね」
これが、最も話をつけやすい嘘だとミカは考えた。
「別の星からやってきたんだよ。地球っていう星。本当に、何光年あるのかってくらい遠い星だから、カーマインさん達、知らないかも」
ミカの知る限り、宇宙人の存在が否定されたゲーム、というものを知らない。あったとしても、かなりイレギュラーな作品のはずだ。魔法がある世界であることは天使から聞いていたため、空間転移魔法を使ってきた、と追加で伝えた。
4人は、疑念と困惑の混じった複雑な表情を向ける。しかし、今のミカの論を否定する者はいなかった。
「…で、宇宙人様よ。わざわざ遠くから、ウチの星に何の用だ?」
「それは…不時着しちゃって。私をここに飛ばした人が、手違いでこの星の山の中に飛ばしちゃったんです」
話の中に真実を混ぜることが、嘘を吐くコツだと聞いたことがあった。だからミカは、真実をベースに、幾つかを嘘で塗り替えて現状を説明した。
「…本当は違う星に行くところだったので、私はこの星のこと、何にも知りません」
「…なかなか突拍子もない話ですね。俄かには、信じ難い…」
青いメッシュの入った青年が、顎に手を当て思索する。
「…ッケ。ああ、中々面白え冗談だったぜ」
「…え?」
「必死過ぎなんだよ、密入国者」
「ええ!?」
ソフトモヒカンの少年に睨まれ、ミカは慄く。
「色々設定練ったみたいだけどよ…オレには、通用しねえ。…オレの『異能』がある限りな」
「え、まさか…!?」
「オレの異能は『洞察』。…嘘を吐いているかどうか、判別できる」
そういう異能はもう少し終盤に出てくるものじゃないのか、と言い出したくなる気持ちをぐっと抑え、ミカは、逆にこれをチャンスにできるのでは、と即座に方針を変えた。
「…ごめん。嘘吐いてた」
「ああ、認めたな。じゃあ、こいつは密入国者だ。さっさと国家警備員に突き出して―」
「でも、密入国者じゃない。…これは、本当」
「…ミカちゃん、それは、どういうことだい?」
カーマインが不思議そうに尋ねる。
「さっきは騙そうとしてごめん。さっき、ちょっとだけ嘘ついたの」
「え、そうだったんですか?」
青年は少し残念そうに答えた。ミカは小さく謝る。
ミカは弁明を考え続ける。ソフトモヒカンの少年の『異能』が嘘を見抜く力なのだから、また同じように嘘を吐くことはできない。かといって、ここはゲームの世界で、私はプレイヤーだ、などと言ってしまったら、目の前の4人の存在意義を奪うことになる。例えゲームの世界のキャラクターだとしても、彼らは、自分たちが生きている世界は本物だと信じてやまないだろう。
ミカは嘘を吐けない。しかし、だからといって真実も言えない。では、どうするか?
ミカは一つの作戦を思いついた。
「でも、私が宇宙人…地球から来た、異星の住人であることは本当。それに、私を転移させた人が、手違いでこの星の山の中に飛ばした、っていうのも本当だよ。ここに来た理由は、これ、っていうのがあるわけじゃないけど…強いて言うなら、好奇心かな?」
「…」
ソフトモヒカンの少年は、絶句した。恐らく、嘘を吐いていないことがわかったのだろう。カーマイン達も、彼の焦燥っぷりを見て、そのことに気がついたようだった。
ミカの作戦は成功した。名付けて、知り合いが言ったことなら信じるでしょ作戦。彼がミカを無実だと証明してくれるならば、ミカはそれを促せばいいだけだ。ミカは勝ち誇った表情を、誰にも見られないよう堪えていた。
ーミカは、ゲーマーである。オールジャンルできる、器用なゲーマーである。しかし、その中でも得手不得手は存在する。ミカが最も得意とするゲームジャンルはー。
人狼ゲーム。…ミカは、嘘を吐くスキルが、最も秀でていた。
「…オーケー。メイズの『異能』の結果は揺るがない。今の話を信じるよ」
「ありがとう、ございます」
ミカは安堵の溜め息を漏らす。メイズと呼ばれた少年は、不服そうに口を開いた。
「…だけどよ。その話が本当だとして…宇宙人だろうがなんだろうが、密入国は密入国だろ!」
「…あ」
「ハハハ、確かにそうだね」
「それは話が違いませんか!?」
ミカは叫ぶ。もしこれで警察に突き出されてしまっては、一貫の終わりだ。開始直後イノシシに殺され、助かったと思えばその後は監獄生活とかいう、余りにも理不尽な仕打ちを受けることになる。
「…見逃して欲しいなぁ…私、なんでもするんだけどなぁ…」
手を合わせて、頭を下げ、猫撫で声で嘆願する。
「…なんでも?」
そこに、なんでも、というミカの言葉に、今まで黙っていた緑の髪の少女が口を口を開いた。
「じゃあ、いっしょに働かない?」
「…え」
「お姉ちゃん、人手不足、って言ってたでしょ。丁度いいと思う。ね?」
「あっはっは!そうだね、いい案だ。そうしよう!」
「え、え!?」
「そういうわけで、君が密入国者であることを隠すことを条件に…ここで働いてくれ!」
「いや、急展開過ぎるでしょぉ!?」
ミカは、職を手に入れた。




